第1章 愚者の試練
第4話 愚者の試練Ⅰ
2016年8月3日
「ぐお……っ!
石像に訳も分からないまま試練とやらを与えられた直後、俺は腰の痛みで目が覚めた。
どうやら、机の上で突っ伏して寝ていたせいだろう。
上体を起き上がらせると、ぼやけた視界の中から強い光が顔面いっぱいに差し込んだので、あまりにもまぶしくて思わず顔を背けてしまった。
「なんか、暑いな……」
まるで夏のような蒸し暑さの中で、額から垂れてくる汗を腕で拭った時に自分の部屋の内装が少し物足りない状態であることに気付く。
俺はハッとして再び強い光の方へ顔を向けると、そこには懐かしく映し出されたパソコンのモニターがあった。
「これ、まだ
日付を確認しようと画面の右下に表示されている日付を見ると、
『2016/08/03』
という表記があるのを確認した。
ついでに時刻は9時43分。
「おいおい……マジかよ」
俺はどうやら試練とやらで9年前の過去に飛ばされたらしい。
「ん……?」
ツールバーを見ると、メモ帳が最小化されてはいるが立ち上がっていた。
「俺、この時ってどんな生活だったっけ」
おもむろにメモ帳のウィンドウを表示させてみた。
――――ああ、思い出した。
そのメモ帳に書いてあったのはプロットだった。
なんで、忘れていたんだろう。
俺は、小説家を目指していたんだ。
小説家というよりも、正確にはラノベ作家を目指していた。
たしか、当時はウェブ小説が相次いでアニメ化したんだっけか。
「はは……ひでぇ文章」
昔の作文を大人になってから読み返すと、恥ずかしくて死にたくなることがある。
でも、俺は思い出した。
この時、俺は確かに本気で目指していたんだ。
大学を卒業して、友達は就職していく中で俺は本気でラノベ作家になるとか言って、フリーターの道を自分で選んだんだ。
もう9年も経てば、忘れてしまえるような夢だったなんてな。
笑えないぜ。
そうだ、少しずつ思い出してきた。
この時の俺はまだ山崎と付き合っていた。
大学を卒業して1年間はまだ付き合っていたんだ。
でも、俺はフラれる。
たしか、山崎と口ゲンカをしたんだ。
「あれ、俺はなんで山崎と口ゲンカしたんだっけ……」
何かがきっかけでケンカになったはず。
俺はその時、山崎にどうしても許せない事を言われたような気がした。
「何だったっけな……」
9年前で忘れていることは多いとはいえ、そんな物忘れがひどい方ではないと思ったんだが。
案外、思い出そうとするとなかなか出てこない。
ふと、部屋の壁に貼ってあるカレンダーを見る。
「よし、
大事なことは思い出せないくせに、まさかカレンダーにシフトを書いておく習慣がこんなところで役に立つとは思わなかった。
ただ、気になるのは×の下に小さく※も書いてあったことだ。
これは何か予定がある時だけ書いておくマークだったはず。
俺はこの時、何か予定があってバイトを休んだことになる。
「…………」
前言撤回、この習慣も役に立たねぇわ。
9年前の8月3日の予定を覚えていられる人間なんて完全記憶能力を持っていたって可能かどうか怪しいレベルだ。
覚えていられるわけがない。
そう、人間ならね。
「ヘイ、今日の予定は?」
俺はスマホに向かって予定を尋ねる。
ポポン、と軽快な音が鳴った後に
『今日は予定は1件も見つかりませんでした』
「チッ……ダメか」
早速アテが一つ外れてしまった。
そもそもスマホのカレンダー機能を使いこなしていないなんて、当時の俺は一体どうやってスケジュール管理をしていたんだ?
過去の自分の無能っぷりにイライラしながら、今日の予定をなんとか調べようと思いメッセージアプリを立ち上げる。
すると同時に、一件のメッセージを受信していた。
送り主は『明日香』と書いてあり、それが山崎のアカウントだとすぐに分かった。
『今日、12時に待ち合わせだよね。駅前の喫茶店でいい?』
ナイス! 山崎! 正直すげぇ助かった!
そうそう、何となく思い出した!
俺は山崎とよく行ってた喫茶店で会う約束をしていて――――
「ってダメじゃん! 口ゲンカするのも今日じゃん!」
もう試練の内容とか、タイミングとか諸々さ。
もしかしたら性格が悪い奴が仕組んでいるんじゃないかって疑わしくなってくる。
俺は急いでシャワーを浴びて身支度を整えながら、頭の中で9年前のことを必死に思い出そうとしていた。
☆☆☆
約束の場所に電車で向かっている途中、俺はスマホを眺めながらどうしても感謝したいことがあった。
検索履歴とSNSはこういう時こそ役に立つ。
本当にありがとう。
当時のニューストピックである程度の情報はリサーチできたし、検索履歴で当時の自分が何に興味を持っていたかが一目瞭然だった。
ついでにメッセージの履歴も一通り眺めて、自分の記憶と会話の内容に整合性をとるには十分な情報量だった。
つまり、スマホ一台だけでもとんでもない情報量ってことだ。
こんな個人情報の塊、うっかりスマホを落としただけでも大事件になりかねないと再認識したところで、俺は山崎と待ち合わせの喫茶店にだいぶ早く到着していた。
俺は喫茶店に入る前に、少し離れた場所にあるベンチに腰掛ける。
山崎との出来事も大切だが、今回は試練とやらが行われているから俺はここにいるということも考慮しなくてはならない。
この当時、俺はもちろん未来の記憶など持っていない。
今、起きていることはあくまで試練とやらが過去の出来事を追体験させているのだろう。
なら、俺が試練ですべきことは未来の記憶を持っている状態で何かをしなくてはならない。
だが、試練のクリア条件はハッキリとは言われていないのも問題だ。
『汝、
かつてはラノベ作家志望だったんだ。
なめてもらっては困る。
これくらいの深読みなんて朝飯前よ。
愚者の試練――、愚者と言えばたしかタロットカードだったか。
俺はスマホを取り出して愚者のことを検索する。
「正位置が自由、型にはまらない。逆位置が軽率、わがまま、落ちこぼれ」
ふーむ。
安直に考えるならこういった内容に関わる試練なのだろうか?
いや、しかし今起こっているのは現実のことだ。
そんなに簡単に看破されてしまっては試練の意味もないだろう。
「だけど……あの石像が言ってたことはヒントだと思うんだけどなぁ」
責任の在処って一体何のことだ?
俺は試練で何をすれば良いんだ?
分からん……、頼むからもう少しヒントとか欲しいくらいだ。
「どうしたの? そんな頭抱えて」
ふと、懐かしい声がした。
顔を上げると約束の時間より早く来た山崎が不思議そうな顔で俺を見ていた。
よく似合う白いワンピースが、太陽の強い日差しに照らされて、俺はつい目を細めてしまう。
そうか……、そうだった。
山崎はこの当時は髪が短かったんだ。
結婚式で見た時の綺麗なロングヘアーの印象が強すぎたせいで、すっかり忘れていたけれど、山崎のショートボブも反則的なまでに可愛かったんだ。
「あ、わかった! また、小説のこと考えてたんでしょ?」
山崎は優しく、恋人に語り掛けるような口調でにこりと笑う。
俺はそんな山崎の顔を見ると、なぜか泣きたい気持ちがこみあげてきてしまった。
なにせ、9年ぶりに忘れていた懐かしさと愛おしさが心に流れてきたんだ。
同時に俺は彼女と別れるまでの間にどんなやり取りがあったのかも、思い出した。
案外、試練の答えはシンプルだったのかもしれない。
とりあえず怪しまれないように、俺は久しぶりににこやかな笑みをうかべて、
「よく分かったね。――明日香」
俺は、9年ぶりに彼女の名前を口にした。
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