第2話 「希望は、きれいなきれいな放物線を描いて」


「お名前を確認してもいいかしら」

「林ひより、です」

「お母さまのお名前は?」

林美緒はやし みおです」

 お医者さんはうなずいて、ゆっくり説明してくれた。


 ママはインフルエンザが悪化して、肺炎になっていること。

 お薬と点滴で、治療をしていること。

 肺の炎症がなくなって、熱が下がれば帰れること。

 あたしは何度もうなずいて、首が痛くなった。最後に先生は

「ごめんなさいね、病院にもルールがあって。あなたとお話するしかないの」


 あたしは、最後にもう一回うなずいた。カーテンの向こうで、清親きよちかが足を鳴らす音が聞こえた。

 先生がいって15分ほどしたら、ママが目をさました。

「ひより」

 ママは手を差し出した。さわると熱い。ママはかすれた声で言った。

「ごめんね。山形やまがたにいるおばあちゃんが、明日きてくれるから―― 一晩だけ、ひよりを頼むわ、清親」

 清親は答えなかった。シュッとした顔が、ママと同じくらいに白かった。



 家に帰ると、あたしは食品棚を探しはじめた。お腹がすいた。カップ麺があるはず。いつも頼りになる「赤いきつね」と「緑のたぬき」。

 あたしはポットでお湯を沸かす。そして振り返って清親を見た。清親はコートを着たまま、ぼうっと立っていた。


「もう、だいじょうぶだから。帰っていいよ」

「――カップ麺くらい作ってやる。どっちを食うんだ」

「きつね。具は全部、皿に出して。卵と揚げとカマボコも分けて」

 あたしは皿にスープ粉末を出しながら言った。スープの中のネギも別にするからだ。

 清親がお湯を取りにキッチンへ行く。すぐに大声がした。

「うわっちゃああああ!」

 大声にびっくりして走って行くと、ポットが落ちて床に湯があふれていた。

「くるな、ひより! あぶない!」

 清親はあたしをかばうみたいに立って、着ていたコートを床に投げた。熱湯を吸って、みるみるコートがぐにゃりとなっていく。しばらくしてから清親は濡れたコートをキッチンシンクに放り込んだ。

 あたしを見て、クシャッと笑う。


「なんともないか――おれは何にもできねえオヤジだな。病院じゃ役立たず、カップ麺も作れねえ」

 泣いているみたいだった。

 あたしはそっと新しい「緑のたぬき」をテーブルに置いた。

「お湯わかすから。一緒に食べなよ」

 あたしはポットにお水を入れるために、シンクから清親のコートをどかした。重い。中に何か、入っている。

 コートのポケットに手を入れると、指輪の箱があった。


「なにこれ」

 清親は鼻筋にしわを寄せたまま答えた。

美緒みおに渡そうと思って」

「ママに? なんで?」

「やり直したいんだ、おまえたちと。でも渡す直前にいつも、何かが起きる。おまえがジャングルジムから落ちたりテーマパークで連れ去られそうになったり。


ある時、思った。この指輪を渡そうとするから、悪いことが起きるんじゃないかって。渡さない限り、おまえと美緒は無事なんじゃないかって。

おれは、おまえと美緒を何があっても守りたい。指輪を渡さないのが、おれにできる最善のことなんだ」


 むらっと、何かがあたしの中で立ち上がった。熱いもの、勢いのあるもの。

 行きどまりをぶち壊す大きな波。

 あたしは清親の前にたった。


「そんなの、勝手な思いこみじゃん! 神さまは人間と取引しない。ジンクスなんて、ただの言い訳だよ。欲しいものは引き寄せるか、あきらめるしかないんだ」

 あたしはテーブルのカップからうどんと蕎麦の麺を取り出し、バリっと割った。

 半分のうどんと半分のそばをひとつのカップに入れる。お揚げとカマボコと卵も、てきとうに入れた。

 そして小エビの天ぷらを清親の前に出す。


「半分にしてよ。食べるから」

 清親はあたしを見た。

「おまえ、食えるのか。カップの中で、全部一緒だぞ?」

「食べる。もう神さまとの取引は終わりにするの。お願いは、かなわなかった。でもあたしはパパが好き。それでいい」

 清親は小エビの天ぷらを大きな手で半分に割った。あたしはお湯をふたつのカップにいれる。タイマーは4分。うどん5分、蕎麦3分だから、あいだを取った。

 

 ピーっとタイマーの音。

 蓋を開けると湯気が立った。

 あたたかく、ほわっとした鰹節の匂い。おだしを吸った半分のお揚げ。あたしはちぎったお揚げと、うどん+蕎麦を箸で持ち上げた。

 全部が一緒に、つるんと口に入る。うどんと蕎麦の歯ごたえ、お揚げの香り、小エビ天ぷらの香ばしさ。

 泣きたいほどに、おいしかった。


 一気に「赤いきつね+緑のたぬき」を食べる。食べ終わったら、汗をかいていた。隣を見ると、清親の顔もほんのり赤い。

 あたしは聞いた。

「今でも、ママが好き?」

「いつだって、おかしくなりそうなほど美緒に惚れてる」

 清親は小さな指輪の箱を手に取った。ぽい、とバスケットのシュートみたいに投げる。

 指輪は、きれいなきれいな放物線を描いて。

 まっすぐにゴミ箱に入っていった。

 清親は笑った。

 「だいじなものを守るのに、言い訳はいらねえな」

 部屋中のおだしの香りが、ぐらっと揺れた気がした。



★★★

 あれから2ヶ月。

 あたしはまた普通の料理を食べるようになった。お弁当も普通になった。そして帰宅すると――ときどき玄関に大きな靴がある。


「ただいま。清親、来てるんだ」

「ひより、みやげがあるぞ、北海道の“赤いきつね”。利尻昆布りしりこんぶだしだ」

 清親は「赤いきつね」をかかげた。


 先月、清親はうちから歩いて10分のマンションに引っ越してきた。ママと清親はまだ再婚していないけど、清親はもう、ムダに女性に笑いかけない。

 あたしはソファにふんぞり返ったままの清親を見る。

 背が高くて、きれいな顔。笑うと目じりにしわが寄る。かっこいいけど、ポンコツ。だけどめちゃくちゃいい男。


 林清親は。

 史上最強のダメパパだ。

 あたしのパパだ。



『了』

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「倖せはいつも、4分後のカップのなか」【「赤いきつね」「緑のたぬき」幸せしみるショートストーリーコンテスト 参加作】 水ぎわ @matsuko0421

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