第26話 二人、朝のひと時

「くああああ……」


 早く目覚めたルカは一人、宿舎を出た。

 淡い紫色の空に、広がり始める橙色の陽光。

 涼やかな空気、森へと続く道の空気は澄み切っている。

 散歩がてら、慣れた森道を進んで行くと――。


「……あれ、もしかしてユーリか?」


 先を行く一人の少女が見えた。

 ダンジョンへ向かう時よりはずいぶんと軽装だが、それでも隙のない歩き姿。


「おーい、ユーリ」


 呼びかけると、凛とした表情で振り返る。


「君は……どうしたの、こんな時間に」

「偶然早く目が覚めたんだよ。天気が良かったから散歩でもしようかと思って」

「そうか」

「ユーリは?」

「私は少し……行きたいところがあって」

「こんな時間に?」

「うん、少し距離があるんだけど」


 ユーリはそう前置きした後。


「……………………君も、来る?」


 ルカに誘いの言葉をかけた。


「ま、まあ別に無理にとは言わないけど――」

「行く行く、何があんの?」

「……それは、ついてからのお楽しみだ」


 先導するユーリの後に続いて森道を行く。

 言葉通り、目的の場所まではわずかに距離があった。

 連なる木々の間を抜け、朝露に濡れる下草を踏み分け、黙々と進んで行く。

 すると突然、視界が開けた。


「この森に、こんなところがあったのか……」


 視界に飛び込んで来たのは、一面に咲き誇る純白の花たち。

 黄金色の朝日が花々を照らす光景は、とても神秘的だ。

 ユーリはいつも通り、木の根元に腰を下ろした。

 ルカも同じ木により掛かり、登っていく太陽を見つめる。


「……ど、どうかな」

「ああ、綺麗だな……」


 ルカの言葉に、うれしくなるのを隠せないユーリ。

 思わずほころぶ表情を、慌てて繕い直す。


「ここにはよく来るんだけど、誰かと一緒なのは初めてだよ」


 かすかに青みを残す空、遠く見える山々。

 登っていく太陽の輝きが、白い花弁のふちを金色に彩る。

 この時間この場所は、ユーリのとっておき。

 刻々と変わっていくその光景を、ただ二人並んで眺める。


「……その、この前はありがとう」


 不意に、つぶやくような声でユーリが言った。


「ん?」


「ああやってふざけてくれたことで……助けられているんだなと分かったんだよ」

 それは、ユーリの小バカにするような言い回しにルカがおふざけで返したこと。

 それによって「自分はまたあんな言い方をして……」と落ち込まずに済んだ。

 もっともルカにしてみれば、普段もっと当たりのキツい冒険者たちを相手にしているせいか、特別な意図はなかったのだが。


「何が助けになってるのかはよく分からないけど、役に立ってるならよかったよ」

「あの日の攻略は肩の力も程よく抜けていた。君のおかげだ」

「うん?」

「君のおかげだ」

「んー……よく聞こえない。誰のおかげだって?」

「ウソだ! 君は聞こえててそう言っている!」


 鋭い指摘を返すユーリに、ルカが笑って応えると――。


「君という人は……」


 ユーリも嘆息と共に苦笑いを浮かべた。

 差し込んで来る陽光が照らす横顔は、見とれてしまうほどに美しい。


「本当に、君の前ではこんなのばかりになってしまうよ……」


 ヒザを抱えるような座り方をしながら、ユーリがこぼす。


「ブランシュ家の人間に見られたら、なんて言われるか」

「……ブランシュ? もしかしてユーリって、貴族だったりするのか?」

「一応、名前だけは」

「そうだったのか」

「ブランシュは……王国の西部に領地を持つ貴族だよ」

「聞いたことあるような気がする」

「そうは言っても私は実子ではなく、引き取られてブランシュを名乗っているだけなんだけどね」

「そうだったのか。でもなんでまた貴族が冒険者になろうと思ったんだ? それもウインディア王国ダンジョンの」


 ルカが問うと、ユーリは少し悩むように視線をそらした。


「……君には酷い態度を取ってしまったし、聞いてもらった方がいいのかな。それはね、私の得たスキルが戦闘に向いていたからだよ。そしてそれを……ブランシュ家の人たちは快く思わなかった」


 ユーリはルカと同じく、単独でダンジョン攻略を行う冒険者だ。

 わずか二年強で上級者層へたどり着いたその能力は、別格と言っていい。

 そしてそれは『強力なスキル』を保持しているという事。

 実子よりもはるかに優れたスキルを持つ養子を、ブランシュの者たちは認めなかった。


「もともと貴族ばかりの学園に通っていた頃から実子たちとの仲は良くなかったのだけど、それが決定打になった感じかな。ユミールの儀式を受けた後には、王国から騎士見習いの打診もあったけど……ブランシュ家としてはそんなの認められるはずがない」


 実子よりも優れた拾い子など、あってはならない。

 それがブランシュ家の姿勢だった。


「だが、ダンジョンの冒険者としてひっそり生きるのなら良いと言われたんだ」

「そうだったのか」

「……そして」


 貴族の子たちが集まる学園で、実子たちはユーリを徹底的に『格下』として扱い続けた。

 そうなれば、周りの者たちも自然とユーリを『攻撃していい者』と判断する。

 孤立するまで、そう時間はかからなかった。


「弱いところや情けないところを見せれば、それを笑われ追い詰められる。だから自分を守ろうとして生まれたのが……今の私なんだ」


 自戒するような表情で、ユーリはつぶやいた。


「……ただ」

「ただ?」

「なぜか私はずっと、ここのダンジョンに惹かれるものを感じている」


 そう言って、真面目な顔をする。


「現状で見つかっている最下層は仮のものと言われているのだが、進んだ先に、本当の最奥に何があるのか……私は知りたい」

「ダンジョンの……最奥」

「私は幼い頃のことを何も覚えていないんだ。両親のことすら。ユーリという名前以外すべて忘れてしまっている」

「そうなのか……」

「それなのに、どうしてこんなにダンジョンに惹かれているんだろう」


 ユーリは不意に、空を見上げる。


「…………前にも言ったかもしれないが、少しずつでも変わっていければとは思っているんだ」


 それから小さく息を吸い。


「これからも、その、よろしくお願いします」


 この場所、二人きりで同じものを見ていなければ絶対に言えなかったであろう言葉を、紡ぐユーリ。


「ああ、こちらこそ」


 ルカは短くそう応えた。


「なぁユーリ」

「うん?」

「今少しだけ、少しだけ、『なんて言った?』て聞いてみようかなって思った」

「……その時はもう、死ぬしかない」

「ええと、どっちが?」

「この場合はさすがに君だよ」

「だよなぁ。言わなくて良かった」


 苦笑いを浮かべるユーリ。

 こんなやりとりをユーリが楽しんでいることを、ルカはもう知っている。


「あの夜、ひとりごとを君に聞かれた時は死ぬしかないと思ったけど……不思議なもので、肩の荷が下りた気分もしたんだ。本来の情けない自分を知られてしまったことで」


 かすかにのぞかせる、恥ずかしそうな表情。


「今も時々、思い出しては恥ずかしくなるけどね」


 そんなユーリに、ルカも表情を緩める。


「…………本当にいい場所だよな、ここ」

「そうなんだよ」

「他にも何かあったら教えてくれよ、ユーリが気に入ってるやつ」

「うん。君がそう言うのなら」


 登って行く太陽が、空をまばゆく染めていく。

 夜明けが終わり、朝が来る。

 そろそろギルドも動き出す頃だ。

 立ち上がる二人。

 今日もまた、騒がしい一日が始まる。

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