第十話『神隠しと返り人』

ノア。


ねえ、ノア。


ごめんね。

わたし、“向こう側”に行かないといけないの。


ノア。


哀しそうな顔の少女が消えていく。


闇の中に。溶け込むように。


嫌だよ。

行っちゃ嫌だ・・・。


駄目だ、行かないで・・・。


・・・アリス。


***


「うっ・・・」

無意識に伸ばした手は虚空を掴んでいた。


「おや、目が覚めたようだね。おはよう、檻嚙おりがみ君」

透き通った“先輩”の声が耳に響く。


どうやら僕は気を失ったまま。そのままソファで眠っていたようだ。


迷宮図書館の“地下六階”。

館長室。“迷宮の主”の部屋。


温湿度おんしつどが管理されていて、空調がよく効いている。

むしろ図書館ここは寒いくらいだ。

だって図書館ここの主役は“彼ら”なのだから、それが当たり前なんだ。


「あ、“先輩”・・・」


「いいからそのまま寝ていたまえ」

起き上がろうとする僕をたしなめる。


“先輩”。

生徒会長。

アルビノの天才少女。

“白き魔女”。

先輩は机に腕を乗せて、頬に手を当てて僕を眺めている。

赤く潤っている綺麗な唇。

唇。

接吻口付け

さっきの接吻キスは夢だっだのだろうか。

“先輩”に聞くのも野暮だし、それはやめておこう。

それに夢でもまぼろしでも、嬉しかったから。

あの“感触”は忘れていない。


「・・・すみません。気を失ったまま寝ちゃったみたいで」

僕は“先輩”に頭を下げた。


「ふふ、何を今更いまさら。いつもじゃないか、君は。普段通りだよ」

ふと微笑む“先輩”の笑顔が眩しい。


「・・・はあ」


「それにしてもよっぽど疲れていたのだろうね、三時間は寝ていたよ」

くくくっと小悪魔のようにも笑う“先輩”、罪深い。


「え・・・?三時間?い、今何時ですか?」

僕は急いでごそごそと携帯電話スマートフォンを探す。


「ん?今は、9時過ぎだが?21時15分だね」

“先輩”はその細い腕から高価そうな腕時計を見ていた。


「やばっ・・・、ちょっと妹に連絡していいですか。“先輩”」

「ああ、構わないよ」


いつも遅くなる時は連絡している。滅多にないんだけど。

妹はうちで家事をしてくれているから、夕飯の支度があるので連絡しておかないと

夕飯抜きになってしまうのだ。恐ろしい。

それというのも、母親母さんが亡くなってから妹がうちの家事全般をしてくれている。

それに父親父さんは仕事が忙しく出張とかでほとんど家にはいない。

所謂いわゆる社畜しゃちくというやつだ。


檻噛家を仕切っているのは妹様なのだ。

だから逆らえない。我家の絶対君主。

かかあ天下、為らぬ。妹天下いもうとてんかなのである。


「ちょっとすみません、電話をかけますね」

僕はソファに座り直して携帯電話スマートフォンで妹に電話をかけた。


・・・。

・・・。


おかしい。出ない。

いつもならすぐに出るのに。

怒っているのかな。

仕方ない。一応、留守番電話に『迷宮図書館に寄ってて帰りがおそくなるから』と、メッセージを伝えておくことにした。


「どうした?妹君いもうとぎみは、いなかったのかい?」

「ええ、まあ。夕飯の支度中だったのかも知れないです・・・」


「そうか、時間を取らせてすまなかったね・・・」

“先輩”が頭を下げる。綺麗な白い髪が揺れる。見惚れそうになる。


「いえいえ、“先輩”が謝ることじゃないです。謝らないでください。大丈夫ですから」

僕は携帯電話スマートフォンを仕舞った。


「そうか、じゃあそのままでいいから少し話を聞いてくれないか。檻噛君」

その顔は、真剣な表情の“会長”。あるいは“白き魔女”の顔になっていた。


「はい・・・、わかりました」

僕もきっちりと座り直す。


「最近、ちまたで有名になっている事件。


少女連続行方不明事件。通称“神隠し事件”を知っているかい?」


「はい、今朝のニュースでもしてました。

この学園都市で起こっているって。“神隠し”ですか・・・」

連日連夜ニュースで取り上げられている。

今や誰でもが知っている噂にもなっている事件だ。


「ああ、そうだ。

学園都市を中心として中高生ばかりが行方不明になっている。

それも女性。女子。少女ばかりが、だ。

我が学園にはまだ被害者は居ないが、いずれ行方不明者が出るかも知れない」

“先輩”が赤縁眼鏡を指でくいっと持ち上げる。


「そんなこと・・・」


「なに、心配するに越したことはない。可能性として、だ」


“神隠し”。

突然、突如として、不意に行方不明になる。忽然と消え失せる現象。

前触れもなく失踪する事象。

古来より、“天狗”や“隠し神”などにより隠されたもの。連れ去られたもの。

“神”の仕業として伝承されている。“天狗隠し”とも呼ばれている。


と、“先輩”が僕に語ってくれた。


「そして、その資料の封筒を見たまえ」

“先輩”は資料の束に指を差す。


「・・・はい」

僕は机の上の資料の束から封筒を持ち、中の書類を出す。


「あの、これは?」

僕が封筒から出したのは、何枚かのコピー用紙だった。


「これはね、とある“神社”から“返り人伝説”という民間伝承として言い伝えられた“書物”をコピーしたものなんだよ、檻噛君」

“先輩”は安楽椅子に深々ともたれながら僕にそう言った。


***


むかしむかし。


とある山に、猟師の青年が住んでいました。


青年は、いつものように山に狩りに出かけました。


すると、空に影が横切り、


山鳥かと思い、その空の影を弓で射抜くと。


なんと落ちてきたものは、鳥ではなく少女でした。


その少女は、羽衣を纏い背中には白い翼が生えたそれはそれは美しい天女でした。


天女の翼は、弓矢で深く傷ついていました。


青年はびっくりしましたが、慌てて傷を手当てしました。


天女様だとは知らず、誠にすみませんでした。

この私めの罰はなんなりとお申し付けください。


青年は土下座しながら謝まった。

本心から、嘘偽りのない純粋な青年を見て。

天女はくすりと笑った。


わかりました。では、明日もここに来てください。

毎日来てください。そして、私の話し相手になってくださいませ。


天女は青年にそう言った。


青年は呆然(ぼうぜん)としていた。

青年は天女様に見惚れていたのかもしれない。


それから毎日。

青年は山の天女様のところに通っては、色々な話をした。


それから、数日。数ヶ月が経ち。


天女の羽が治っていた。

そして、二人が恋に落ちるのは容易かった。


青年と天女は愛し合った。


だが。幸せもほんの束の間。


人間との恋愛。

禁断の恋。

禁忌の愛。


それを知った天界の神が許すはずもなく。


神は怒り。

天女の翼をもぎ取り、羽衣を切り裂いた。


天女は神ではなく、人間になった。

下等な人間に堕とされたのだ。

天の神は言った。


これはお前たちの罪である。

いずれ災いが起こるであろう。

この世に災厄が起こるのだ。

天罰がくだる。

夢夢ゆめゆめ忘れるな。

禁忌を犯した罰である。

罪であるお前たちが幸せになることはない。心せよ。


神は消え去った。


だが。青年は喜んだ。嬉しかった。

ずっと一緒にいれる。

人間になった少女となら。

これで夫婦にもなれる。

少女と共に生きていこうと。


だが。少女は不安がっていた。

神を怒らせたのは自分なのだから。

私がいなくなればそれで済むのではないか。

私が幸せになっていい筈はない。

天界の法に逆らったのだから。

罰は私だけでいい。

青年には迷惑をかけられない。


二人が夫婦になって数日後。

災いも災厄も、何も起きなかった。


青年はいつものように狩りから帰ってきた。


ただいま。


しかし、家の中はもぬけの空。

夕飯は仕掛けたまま。

鍋は火にかかったまま。


少女だけが居なかった。

忽然と居なくなっていた。消えていた。

まるで初めから居なかったかのように。

消えていた。


青年は、辺りを探した。

山中を探した。

何日も。何ヶ月も。何年も。

探していた。諦めることはなく。探していた。


そんな・・・。


天界に帰ったのではないか。

神に許されて帰ってしまったのではないか。

山賊や野党にさらわれたのではないか。

狼やけものに喰われたのではないか。

天狗や物怪もののけに連れ去られたのではないか。


少女は“神隠し”にあったのだ。


神が隠した。少女を隠した。


それから数年が経ち。


青年が狩りをしていると。

辺りは暗くなっていた。

太陽が黒く染まる。

空が夜になっていた。


地面が揺れている。

ぐらぐらと。

立っていられないくらいに。

地震。

それも大きな地震。

大地震。

周りの木々が倒れてくる。

地面に亀裂が入り、割れる。


ごごご。

振動と轟音が鳴り響く。


山が噴火したのだ。

火山。

石が降ってくる。

溶岩が流れてくる。

死の灰が降る。


森に火がついた。

木々が燃える。

動物が死んでいく。

人々が死んでいく。

辺りは燃え盛り、闇の中、赤々と血と炎が渦巻いていた。


この世は地獄であった。


神の仕業。怒り。罰であった。 

天罰。

神に慈悲などはなく。無慈悲に。

青年は震えた。恐怖した。

神の怒りとはこれほどのものだったのか。

青年は祈った。

神に謝まった。

自分がなんという愚かなことをしたのだと。

神に祈った。

私を殺してくれ。

神よ。私を殺してください。


だが。青年は死ぬことはなかった。

青年はなんとか生き延びたのだ。

這いながら山小屋に帰ってきた。


すると。

山小屋の中に。

一人ひとりの少女がいた。

“神隠し”にあった天女がいたのだ。

帰ってきた。


少女は青年に気付いて。


おかえりなさいませ。あなた様。


と微笑んだ。


青年は喜んだ。


だが。何か妙だ。

姿形は同じなのに、何かが違う。何かが違った。


まるで別人にように。

まるで中身が入れ替わったかのように。


かつての少女ではない少女がそこにはいた。


神隠しにあってから数年。

少女に何があったのか。


そして、その夜。

青年は殺された。


愛する少女に喰われたのだ。


少女は涙を流す。


喜びの涙か。悲しみの涙か。


あははははっ。


少女は笑っていた。


だが、死した青年のその顔は安らかだった。

御仏の如く。清らかな表情をしていた。


救いなのか。

願いが叶ったのか。

祈りが届いたのか。


青年は祈っていたのだ。願っていたのだ。

もう一度、天女に会いたい。少女に逢いたいと。


自らを犠牲にしても。


死を選んでも。


青年は幸せを選んだのだ。


死と引き換えに、天女を選んだ。


その天女こそ。


死を呼び、死を告げる天女であり。


天津神あまつがみが送りたもう黄泉よみの天女なのだ。


死ノ国“黄泉津国よもつくに”の天女は、


黄泉向こう側”から帰ってくる。


現世こちら側”には屍者ししゃ巫女みことして顕現けんげんする。


“この世”によみがえ生者もの


黄泉返よみがえり”の屍者もの


それすなわち、“かえびと”なり。


『返り人伝説』六甲山神社伝承譚より。


***


「・・・“先輩”、これは・・・」

読み終えた僕は不思議と“何か”に似ていると感じた。


「ああ、これが神隠しの伝説と返り人の伝承なんだ。


面白いことに、この話には続きがあってね。


資料には書いていないのだが、“天女”のその後も語られているんだ」


“天女”はその後。

出家しゅっけして尼僧あまそうとなり、全国を渡り歩いた“歩き巫女”になった伝承。

徳のある高僧がやってきて“天女”を調伏した伝承。

高僧が“天女”を“石”に封印したと言う“屍解石しかいせき”の伝承。

“天女”が、人魚の肉を喰らって不老不死となった“八百比丘尼やおびくに”だったと言う伝承。

“天女”は、そのあと“黄泉国”に戻り“黄泉津神(よもつがみ》”になったという伝承。



“先輩”が語る内容はどれも不思議で魅惑的だった。


「伝承には必ず、尾びれが付き纏う。

いろいろな言い伝えにより、広がっていくんだ。噂のように。


そして数ヶ月前から、いや。数年前から起きている噂の事件。


“神隠し事件”。


その全てが、この山。六甲山麓付近で起きている」


「神隠し事件ですか・・・」

“先輩”が言うからには、全てに意味があるのだろう。


“先輩”の推理。

いままでも“先輩”は学園の数々の事件を解決してきた。


狂気山脈。

霊峰れいほうだった六甲山ろっこうざん

神隠しの山。

六甲山神社に伝わる伝承でんしょう


「そして、今そこには。新興カルト教団が根付いている。


終末少女教団“マホロバ教”。


その信者全てが少女ばかりで構成されたカルト教団だ」


「はい、それは聞いたことがあります。この学園にも何人か信者がいるとか・・・」

草薙学園の女生徒たちが、ちらほらと“黒い十字架”を持っているのを見かける。


「そうなんだ。

心配でもあるんだが、我が学園にも教団の信者がいるらしい。


そして、少し調べさせてもらったのだが、君の幼馴染である阿頼耶識アリス君の住所住いは。


六甲山付近であり、教団の施設がある特別自治区“少女特区”なのだよ」


アリスが住んでいる“少女特区”。

そこまで調べているなんて、さすが“先輩”としか言いようがない用意周到さだ。


「そんな、アリスが・・・、教団に・・・」

僕の思考はますます混濁(こんだく》する。


「死んでいるはずの少女。ふらりと現れた転校生。


そして、この写真の血塗れの少女は、“別人”ではないのかね?」

“先輩”は迷わず僕に問う。


アリス。

阿頼耶識アリス。

入れ替っている?

もう一人のアリス?


「檻噛君が知るアリス君ではなく。

もしかしたら中身が入れ替わった“天女”ではないのかね?


そう“返り人”なのではないのかね、阿頼耶識アリスという“人物”は。


よみがえり、黄泉返よみがえる。


“神隠し”から帰ってきた“返り人”。


この“天女”のように“猟師の青年”を。檻噛君を探しに来たのではないだろうか・・・、死の国。黄泉(よみ)の国から」


“先輩”は僕を見詰めている。

鋭く。優しく。心配するように。


地震。

天災。

災い。

六甲山。

終末少女教団。

少女。

天女。

神隠し。

返り人。

阿頼耶識アリス。


「そしてそれら全てがひとつに繋がるとは思わないかい。檻噛君」


「はい、・・・ひとつに繋がる・・・、確かに・・・」

ふう、“先輩”の言葉で、少しづつ僕の思考がまとまってくる。


「そう、君に調べてもらいたいのは、そこなんだ。


阿頼耶識アリスの“正体”。


本当に“神隠し”なのか。この伝承のような“返り人”であるのか。


檻噛君。それがきみにはできるかい?・・・いや。やってくれるかい?」


そう僕に尋ねた“先輩”の綺麗な赤い瞳は、少しうるんでいた。


「・・・“先輩”」


僕は・・・。


アリス。

阿頼耶識アリス。

僕が殺した少女。

幼馴染の少女。

僕が大好きだった少女。


いまでも・・・、いまでも?

忘れられない記憶。

忘れられない気持ち。感情。

この感情は・・・、なんなのだろうか。

胸が痛い。

切ない。

転校してきた君を見かけた時。

僕は嬉しかったのではないだろうか。

内心、喜んでいたのではないだろうか。


君が生きていたこと。

君が死んでなかったこと。


喜んでいたんじゃないのか。

まだ僕は大好きだったんじゃないだろうか。


僕はまだ君を・・・。


***


静寂な部屋に、携帯電話スマートフォンの音が鳴った。


「・・・あ、すみません。妹から電話が、やっと繋がったみたいです」


「ああ、構わないよ、出たまえ」

“先輩”はゆったりと安楽椅子に座っている。


僕は携帯電話を耳に当て。もしもし、と言おうとしたら。

耳元で妹が泣きながら叫んでいた。

まったく何を言っているのかさえわからない。聞き取れない。



「ちょっと、ノイ?落ち着いて。どうしたの?何があったの?ねえ、ゆっくり話して」


それでもわんわんと泣いている妹。


「とにかく、落ち着くんだ。ノイ?いいかい。深呼吸するんだ。いいね?ほら・・・。

兄さんが付いている。大丈夫。ゆっくり話してごらん」


電話の向こうでゆっくり深呼吸する妹の息が聞こえる。


「ひっく、ひっく・・・。兄さん、兄さん・・・、あのね、トモエさんがいなくなったの・・・。


消えちゃったの・・・、まるで“神隠し”にあったみたいに・・・」


「え?・・・委員長が?いなくなったって?」


「うん・・・、放課後に一緒に帰っていて・・・、目を離したら・・・、突然いなくなったの・・・。

それからずっと探してるんだけど・・・、家にも帰ってないみたいだし・・・、もうこんな時間だし・・・、

兄さん・・・、私どうしよう・・・、ねえ、私どうしたらいいの・・・、兄さん・・・」


「そんな・・・、委員長が・・・、どうして・・・」


思い出したようにまた泣いている妹。

あの真面目な委員長が夜遊びするはずはないし、夜九時を過ぎて出歩く人でもない。

あれから家に帰っていないのもおかしい。


そんなまさか、委員長が“神隠し”に・・・。


電話の向こうで泣いている妹の声が聞こえる。

妹は僕の名を呼び続けている。


僕は虚空を見上げたまま。何も答えられないまま。そのまま呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


部屋に響く妹の泣き声が、僕にはまるであの伝承に出てきた“天女”が泣いているようにも聴こえたんだ。

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再殺少女地獄-君死ニタモウ事勿レ 哀川ライチ @hiiro1031

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