❖ ❖ ❖

 そいつは駅の片隅で歌っていた。ちょっと背が低くて小柄な男の子。なのに声が渋い。そのギャップが何とも言えず、2度目も足を止めた。

 同じ場所を2回続けて取るって大変なんじゃないだろうか。そんなことを思った。俺にはそういうことはよく分かんないけど。


 俺はもう30を超えた。今日がその誕生日。もういい年したおっさんになっちまった。そんなこと考えてたから新鮮だった、そのガキんちょが。どう見ても17かそこらじゃないか? 一生懸命に歌っているというより、語りかけるような感じ。


(ああ…… いいなぁ 心が揺れる……)

いつの間にか目を閉じていた。歌が終わっても少しの間。


 手を握られて目を開けた。

「あんた、手が冷たいね」


 低い声だ。背は俺の肩くらい。まあ、俺はガタイはいい方だから。

「なんだ、終わりか?」

「ううん。でもやめる」

「なんで?」

「みんなあんたのことを見てたから。人の歩く間で目をつむって歌聞かれたら俺の方が照れる」

「あ、悪い、邪魔しちまったか」

「いいんだ。ほんとは今日はそんな気分じゃなかったから。ちょっと待っててくれる?」

「あ? ああ」

 少年はテキパキとギターだのマイクだのを片付けていく。俺はただそれを見ていた。

(待ってろって…… なんで?)


 どういうわけか俺は少年のギターを抱えてやり、隣を歩いていた。

「帰るんだろ?」

「どうしよっかな。おっさんは?」

「おい!」

 そりゃ、おっさんになったんだって思ったさ。だからって赤の他人に『おっさん』呼ばわりされたくない。

「ごめん、傷ついた顔してる」

「傷ついたよ! なんで誕生日にそんなこと他人に言われなきゃなんないんだ!」

少年が止まった。

「誕生日、だったの?」

「『だった』じゃない、現在進行形!」

「なのに一人で俺の歌聞いてたの? 彼女とかは?」

「…………」

(このヤロー、地雷踏みやがって)

「あ、また傷ついた?」

俺はギターを突っ返した。

「帰る。じゃな」

「待ってよ!」


 その声は…… なんていうか、なんだか縋るみたいで。


「なんだよ、おっさんに何の用があるんだよ」

「一人じゃ…… やだ」

「やだって…… お前が一人ってことか?」

「俺も。……おっさんも」

 ちょっと怒りそこなった。またギターを取り上げる。

「どこだ、ウチ。暇だから送ってやる」

「……いい。家、無いし」

「無いって、どうして?」

「無いんだ。いろいろあってさ。俺ネットカフェに寝泊まりしてんの。あそこ」

 指を差した方に『ネットカフェ きらら』とある。名前の割には古ぼけたビルだから、なんとなく虚しさを感じた。

「じゃ、着替えとか生活用品とか」

「意外とさ、今時のネットカフェっていろいろ揃ってんだよ。シャワーだってあるし。食いもんや飲み物も困んないし」

「だからって金要るだろ」

「要るよ。たまに歌ってて金くれる人いるから」

「そんなんで食ってけないだろ! 料金だって」

「まぁね。その辺は…… なんとかやってるんだ」


 ネットカフェの方に歩く。あんまりあれこれ聞くのもどうかと思うし、だからって何をできるわけでもないし。


 5分も歩かない内に古ぼけたビルに着いた。3階を見上げる。窓にかかってるのは、多分黒っぽいカーテンだ。中には何人もいるんだろうに全部が一人ぼっちのクリスマスを過ごしてるってことか。

「お前、ずっとここにいるのか?」

「ううん。ここに来たのは4日前。もう少ししたらまたどっか行く」

 冬の7時過ぎってのはもう真っ暗だ。けど暗さを感じさせない賑やかな通り。世間はクリスマスをやってるからやたら活気づいてやがる。

 少年がぎゅっと手を握ってきた。

「ね、荷物置いてくる。だから待っててくれる?」

「待ってどうすんだよ」

少年が俺の顔を見上げる。

「クリスマスに一人じゃ悲し過ぎるよ……」

「そうか? 慣れてるし」

「一緒に……寝ない?」

「は?」

なに言ってんだ、こいつは。

「お前、自分が何言ってんのか分かってんのか?」

「分かってる。寝ようって言った。寝るってのはベッドインしようってことで、だから俺とあんたで」

慌てて口を塞いだ。なに言い出すんだ、このガキャ!

「さっさとネットカフェ入って一人で寝ろ!」

 今度は慌てて手を放した。その手を見る。……濡れてる。

「泣いてんのか?」

「うん」

「なんで」

「おっさんが一人だから」

「それ、俺のことじゃないだろ。お前のことだろ? クリスマスに一人ってのが寂しいのか?」

「うん」

 どうしたものか。俺は別にボランティアが好きってわけでもないし、世話好きでもない。けど……

「荷物置いて来い。さっさと来いよ、ちょっとなら待っててやる」

 少年は俺からギターを引っ手繰るとビルに走って行った。しょうがない、飯でも奢ってやるか。そんな軽い気持ちだった。


 階段を駆け下りてきたのか、顔が赤くて息が荒い。俺はさっさと先を歩いた。この街を知らないんじゃ連れてくしかない。ネットカフェ難民じゃ外に出て食うなんてしないだろうし。

「ね、どこ行くの?」

そうだった、目的を言ってなかった。

「飯奢ってやる。その間は一人じゃないだろ?」

目が輝いているから優しい気持ちになれた。

(『おっさん』の初日は優しい気持ちで始まんのか)

ちょっとだが、嬉しい。ほんのちょっとだ。


 ちょい立ち止まった。

「お前、好き嫌いあんのか?」

「えっと、シイタケだめ。ネギだめ。辛いのだめで中華は嫌い。生ものもイヤだ。それから」

「呆れた…… じゃ普段何食ってんだよ」

「お握りとスナック」

 話になんないからもう好き嫌いを聞くのはやめた。もうちょっと歩くけどファミレスがある。そこならどれか食えるだろう。


 ガキがガキみたいな顔してメニューを眺めてる。ページを捲っては戻って、また捲る。

「いつまでかかってんだよ」

「ハンバーグとホワイトドリア、どっちにしようかって悩んでて」

「めんどくさいな」

 そばにあるボタンを押した。すぐに近くにいたお姉ちゃんが寄ってきた。

「あ!」

「お決まりですか?」

「まだ、」

「デミグラスハンバーグとホワイトドリアとビーフカレー」

「デミグラスハンバーグはセットになさいますか?」

断りかけて、目の前の少年を見た。

(こいつには肥料が足りてない)

「セットで。サラダと…… おい、飲み物は?」

「のみ、……えっと、えっと、メロンソーダ」

「それでしたらドリンクバーのセットでよろしいですか?」

「じゃそれ」

 なんて目、してんだか……

「そんなに嬉しいか、両方食べられて」

「嬉しい!」

唐突に聞きたくなった。

「お前、年幾つ?」

「21」

「は? え!?」

「なんだよ」

「21って言った!?」

「言ったよ。どうしたの?」

「……ずっと少年だって思ってた。だから奢ってやろうとか一緒にいてやろうかとか」

「……21じゃだめだった? いいよ、俺帰る。ごめん、勘違いさせて」

 立ち上がって俺の脇をすり抜けようとした手を掴んだ。

「頼んじまったんだ、食ってけ」

頼りなさそうな目が俺を見下ろす。

「座れって。俺が勝手に思い込んだだけだ。お前が悪いわけじゃない」

「いいの?」

「いい。どうせ暇だし」

「よっぽど暇なんだね」

笑って座った少年、じゃなかった…… 何て呼ぶ?

「名前」

「えと……ヒロ」

違うんだな、とピンと来た。でもいい。要は呼べる名前がありゃいいんだ。

「ヒロ、お前な、もうちょっと遠慮して喋れ。おっさんだの、よっぽど暇だの」

「暇って言ったの、おっさんだし」

 そっか。俺も名前言ってないんだ。そうだな、お前はすぐどっか行くんだし、俺は変わんない毎日を送るんだし。本名言い合ってどうするんだ?

「特別に許してやるよ。おっさんでいい」

「いろいろありがと、おっさん」


 ヒロは見事に食い切った。メロンソーダの後にウーロン茶。ガキなんだか老けてんだか。声だってそうだ、見た目はガキだがえらく渋かった。

「歌さ、なんて歌だ? いい歌だった」

「そう!? 俺が作ったんだ」

「へぇ! 自分でか」

「良かった?」

「すごく良かった。だからつい止まっちまった。声、渋いよな。お前は声がおっさんだ」

 ぷいっと横を向く。なるほど、中性的なんだ。感じる違和感。ギャップ。見れば見るほど男にも女にも見えない。

「俺、可愛い?」

ぼんやりとヒロの顔見てた俺は、その声で現実に戻ってきた。

「なんつった?」

「だから、俺が可愛いかって。そんな顔してた」

「なわけねぇだろ! なに考えてんだか」

「今夜はさ」

急に小さくなった声。

「特別な夜だよ」

「そうなのか?」

「聖なる夜だ。特別だよ」

「お前、クリスチャン?」

「だとしたら俺は地獄に落ちると思う…… おっさん、今夜は一緒に過ごさない?」


 なんとなく分かった気がする。金も無いのにネットカフェを渡り歩き、『寝るってのはベッドインしようってことで』。


「お前、売りやってんのか」

「……そうだよ。股開いてりゃ金もらえるし」

「やっぱ、帰れ。俺も帰る」

伝票を掴んで立ち上がった。飯を奢ったんだ、もう充分だろ。

「怒ったの?」

また縋る声。

「俺から金欲しいってことだろ? ならやる。いくら欲しいんだ、1万か? 2万か?」

「ちがう…… 違うんだ。特別な夜だから……特別に過ごさせてあげたい、そう思ったんだ……」

 それも違うだろうに。特別に過ごしたいのはお前だろ? クリスマスはそんなにお前を寂しくさせるのか?

 大きくため息を付いた。

「来い。ほら、さっさと立て」

目を見開いて座ってるヒロの手を引っ張った。

「お前って、ほんとめんどくさいヤツ」


 たいした家じゃない。新しくは見えないマンション。築19年。エレベーターん中は隅の方の壁紙が剥がれかかってるし、色がださいベージュで陰気くさくてしょうがない。5階で下りて、これまた殺風景なコンクリの通路を歩く。4軒目が俺の家。鍵を開けて黙ってついて来たヒロを押し込んだ。電気をつけて空調入れて。

「あったかくなるまで上着着てろ。エアコンが古いんで少し時間がかかる」

頷いて突っ立ってるからそばに行く。


「目、閉じろ」

素直に目を閉じるから顎を押し上げて唇を重ねた。柔らかい。すぐに舌が入り込んできたから俺は離れた。

「終わりだ。泊るなら泊ってっていい。でも抱き合うってのは無し。そこまでセックスに飢えちゃいない」

 傷ついた顔から素知らぬ顔で目を逸らした。毛布だ、布団だと出して、そっくりソファに置いた。

「お前はここ。俺はベッド。いいな? そうだ、枕、枕」

バスタオルを2枚まとめて細長く畳む。スズランテープで縛って渡した。

「なに、これ」

「枕」

「これが?」

「文句は聞かない。……なんならこの街にいる間、ここで寝泊まりしてもいい。けどセックスは無しだ」

「寂しく……ないの?」

「寂しいとセックスしなきゃなんないのか? いいから寝ろ。お休み」


 まだ9時ちょっと。まるでお子さまだ。こんな時間に寝たことなんか無いんだが。けど他になにするって…… ヒロと酒飲むなんてちょっとな。テレビ並んでみるのも変だし。結局寝るしかない。

 けど不思議なもんだ。電気を消してると自然に瞼が塞がってくる……


 まるで猫が入ってくるようにこそっとそれが入ってきた。温かくて柔らかい体。耳にかかる吐息。シャツに手が入ってくる。素肌を温かい手が滑って行く。ゾクッとする感触。小さく出る俺の吐息。キスが耳の下から顎へ、首へ。手がそっと下りていき……

 俺は起き上がった。

「なんで? 感じたでしょ?」

「言ったはずだよな、そういうのは無しだって」

「いいんだよ、俺に入んなくても。あんたを満足させたいって思ったんだよ、今日は……嬉しかったから」

「あのな、恩返しってんなら他の方法にしてくれ」

「でも。俺、あんたと寝たい」

 なんてストレートなヤツなんだ。ちっとも厭らしく感じないからそれが不思議だ。

「一人で寝んのがいやなのか?」

「いやだ」

「一緒に寝てればいいか?」

「……ほんとに何もしないの?」

「しない。……じゃな、さっきの歌を歌ってくれ。小さい声で子守歌みたいな感じで。それでいい」

 もう一度横になる。同じベッドってとこまで譲歩しちまったけど、どれだけ俺も甘いんだか。


 小さく隣から聞こえてくるさっきの歌。


――寒いけど あなたの息が温かくて 

――あなたのために歌うんだ 一夜限りのLOVE SONGを

――もう寂しくなんかない、明日は別れてしまうけど


 あったかい…… 眠ってしまう前に『いい歌だな』と言ったような…… 


 ヒロは朝にはいなかった。

『おっさん。歌をほめてくれてありがとう』

俺に来てたダイレクトメールの封筒にそう書かれていた。



 何年かして、そんなこともすっかり忘れてたクリスマスの夜。街を歩きながら聞こえてきた歌はどこかで聞いたような歌だった。


――だから僕は歌うんだ 一夜限りのLOVE SONGを

――もう寂しくなんかない、明日は別れてしまうけど


 俺は迷わずCDを売ってる店に入った。店内に繰り返しそのフレーズが流れてる。

 そこにヒロの顔があった。髪型も雰囲気もすっかり変わってたけど確かにそれはヒロだった。


『一夜限りのLOVE SONG by HIRO』

――――あの夜のあなたにメッセージを捧げたい

『ネギもシイタケも食えるようになったよ』


 俺はもう結婚してて生まれたばかりの子どもが一人。けどあの唇を思い出した。写真とメッセージを見て笑ってしまう。

(お前、いい男になったな)

 CDは買わずに出た。もう俺も寂しくないから。




――完――

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一夜限りの「LOVE SONG」 宗田 花 @ka-za-ne

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