我が恩人、雪男に捧ぐ

寺音

我が恩人、雪男に捧ぐ

 ここは魔法のある世界。

 


 ある国に、死の大地と呼ばれる場所がありました。そこは灼熱の地とも呼ばれ、魔法の影響で常に極熱を帯びた大地です。

 草も木も枯れ果て獣は死に絶え、少しでも装備を怠れば肌が焼け爛れてしまう。終末すら連想させる土地。しかしそこを行き来しなければ、生活ができない町もありました。


 人々は少しでも暑さが和らぐ夜を狙い、夜通し歩いて別の町へと移動していたのです。しかし夜でも汗が止まらない程の気温です。過酷な環境はその名の通り、多くの旅人の命を奪っていきました。

 




 そんな生活が何十年、何百年と続いた頃。一人の氷の魔法使いが現れます。大変力の強いこの魔法使いは、同時に慈悲深い心を持っていました。

 彼は人々の助けになればと、魔法で氷のトンネルを造って下さいました。その魔法使いの力を持ってしても、その大地全てをつなぐことはできません。しかし最も過酷な中央部に造られたそれは、決して溶けることのない氷でできています。


 中は涼しいと言うよりは寒いと言う気温になっていましたが、それでも外の環境に比べればオアシスの様でした。

 寒さを凌ぐ装備も必要になりましたが、人々は灼熱の土地で一時身体と心を休める事ができるようになりました。






 ある時、一人の若い商人が死の大地を歩いていました。彼は自分の町で作った作物を荷車で引き、熱さの和らぐ夜に町を出発したのです。

 彼の住む町は死の大地と高い山々に挟まれた場所にあります。土地柄交易が難しい町を、何とか盛り上げようと考えたのです。


 ところが彼は商品を守ろうとするあまり、自分の準備を怠ってしまいます。太陽が出ていない夜だからと油断もありました。歩いて行く内に彼の額からは大量の汗が噴き出し、意識も朦朧としてきます。


 とうとう彼は死の大地で倒れ込んでしまいました。氷のトンネルを目の前にして。





 気がつくと彼は自分の視界が真っ白な事に気がつきました。吐く息が白く宙に溶けていきます。彼は氷の洞窟の中にいました。

 トンネルの壁に背中を預けて座らされていて、身体を分厚い毛皮で覆われています。もちろん彼が持ってきた物ではありません。

 誰かが助けてくれたのだろうか、そう商人が考えていると、トンネルの奥からのっそりと毛むくじゃらの何かが現れました。それは全身を分厚い白い毛に覆われ、商人の倍はある体躯、巨木の様に太い腕と足を持っています。


 商人は驚きと恐怖で目を見開きました。アレは噂に聞く雪男ではないか。どうしてこんな場所に。それよりも自分は食べられてしまうのだろうか。

 恐怖と寒さで悲鳴も出せません。逃げようにも身体が動きません。もう駄目だと思ったその時、何と雪男が口を開いたのです。


『私は貴方に危害を加えるつもりはありません。それよりも身体は大丈夫だろうか?』

 くぐもっていて分かりづらい声でしたが、確かにそんな事を言っています。

 まさかお前が助けてくれたのか、そう言うと雪男は静かに頷きました。残念ながら荷物の方は持って来られなかった、と雪男はとても申し訳なさそうに言います。


 商人は雪男の話を聞いてみました。どうやら彼は一族の中でも変わり者のようです。人間と交流したくて偶に山を降りてきて、ここのトンネルで過ごすのだとの事でした。魔法で身体を冷やしながら行けば、夜の間ならば移動も問題ないのだと。


 商人は彼の話を信じる事にしました。体毛の隙間から見える瞳が、とても穏やかで優しげであったからです。商人は改めて雪男に助けてくれたお礼を言いました。




 しばらく商人は雪男と話をしました。彼の話はとても興味深く、氷のトンネルの寒さを忘れるほどでした。しかし暫く経つと、雪男が言いました。

『そろそろ帰りなさい。時期にまた日が沈みます。人間の貴方が長時間ここに居るのも身体に悪い。私もそろそろ山へ帰ろうと思います』

 商人は自分の身体がかなり冷えている事に気がつきました。名残惜しいが、雪男の言う通り町へ帰ることに決めます。商売はまたやり直すことにしました。


「本当に助けていただいてありがとうございました。貴方は命の恩人です」

 商人は言いました。すると雪男は静かに首を横に振ります。

『いえ。こちらこそ、束の間だが人間と交流ができて良かった。最後に贈り物をさせて下さい』

 雪男はそう言って立ち上がり、トンネルの端に垂れ下がった氷柱に向かいました。徐にその太い腕を振り上げると、氷柱を一本折ってしまいます。

 雪男は氷柱の断面を上にして持つと、そこに手をかざしました。何やら呪文を唱えています。すると、氷柱の上に白くキラキラと光る何かが現れました。雪男はそれを商人に、氷柱ごと手渡します。


 氷柱に乗った物は雪の球のようです。しかし、表面が非常に滑らかで近くで見ると、少し黄金色にも見えます。こんな物は今まで見たこともありません。

 雪男が言いました。

『それは今は亡き私の故郷に伝わる食べ物です。非常に冷たくて甘くて食べると元気が出ます。しかし暑さに弱く、すぐに食べないと雪の様に溶けてしまいます。氷柱の上に乗せたので少しは保つと思いますが』

 商人はお礼を言ってすぐに食べようとしました。しかし、冷たいのならば、と熱い外に出てから食べることにしました。


「何から何まで本当にありがとうございます。この御恩は一生忘れません」

 彼は深々とお辞儀をすると、雪男と別れてトンネルを出ました。





 トンネルを出てそれを食べた時の衝撃は、決して忘れることができません。

 それは冷たくて、口の中に入れるとあっという間に溶けてしまいました。しかし、溶けて行く中でまろやかな甘さが口の中一杯に広がり、忽ち幸福感で満たされます。不思議で、幸せな食べ物でした。

 商人は思います。もう一度食べたい。町の皆にも食べさせたい。


 あれから雪男に会おうと何度か氷のトンネルに行ってみました。しかし、雪男には会えません。商人は考えます。あの食べ物を再現できれば、もう一度あの雪男と会えるかもしれない。

 彼はあの味を思い出しながら、何度も何度も試行錯誤を繰り返しました。






 月日は流れ、ついに彼はあの食べ物を再現する事に成功しました。

 早速町の皆にも食べてもらいます。一口食べれば皆笑顔になりました。

 ところが、食べ進めていくにつれて人々の表情が曇っていきます。不思議に思った商人は、町の人に理由を尋ねました。人々は言います。

「これは非常に美味しい。だが、この氷の柱に乗せて食べなければならない物なのか。この氷のせいで手が悴んでしまう」

「それに重いから年寄りや女、子どもではずっと持っていることができない。腕が疲れてしまうよ」


 そうです。商人は食べ物の下の氷柱まで再現していたのです。確かにこの町の気温では氷は冷たすぎますし、重くて大きいそれは次第に腕が疲れてきてしまいます。


 普通であれば、皿に盛ることも考えるでしょう。しかし商人にはあの食べ物の形状はアレ以外考えられないのです。少しでも変えてしまうと、あの時の感動が薄れてしまう様な気がするのです。


 手が冷たくならない、かつあの食べ物の形を再現できるもの。彼は町で育てた作物に目を付けました。作物の実を砕き家畜の乳などで練ったそれを、型に流し込み焼いてみました。


 そしてその上にあの食べ物を乗せ、もう一度町の人々に食べさせたのです。

「これは良い! 手が冷たくならないし、軽いので腕も疲れない!」

「それにこの入れ物もサクサクしていて美味しいよ!」

 町の人々は大変喜びました。



 

 その食べ物は忽ち評判となり、町には死の大地を越えてでも食べたいと、旅人が多く立ち寄る様になりました。

 後にその食べ物は、アイスクリームと呼ばれるようになり、町の名物となりました。それは町を大いに潤したのです。

 




 開発した商人はと言うと、その後あの氷のトンネルで雪男と再会したと言います。彼は雪男に自分の作ったアイスクリームを振る舞いました。雪男も故郷の物と変わらぬ味に大いに喜びました。


 それからというもの、彼らは時折氷のトンネルで会うようになりました。

 二人の思い出の味、アイスクリームを食べながら。

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