14:激突

 車は大通りに入ると、流れに乗って四車線の道路を西に向かう。御頭さんのスマホに流れてくる報告と写真によれば、この通りから一本向こうのショッピングエリアを二人は移動している。

 少年――波灘一郎は動画の学生服そのままで、黒いリュックを前に抱えている。そのリュックの中に久美の首が入っているのだろう。


「へ~、カップルのふりして撮ってるわけか。映画で見たことあるけどホントにやるのね!」

 美子が御頭さんから転送された写真を興味深そうにいじっている。俺も拡大してみる。成程、御頭さんの部下たちは自分なめの肩越しで二人を撮っているのだ。

「……これ、一郎君、白目になってね?」

 美子はダブルピースで白目をむいてみせた。俺はすかさずデコを軽く張る。

 ありがとうございます! と元気良く叫んだ美子は、なってるわね、とマジトーンで返してきた。

「すでに操演モードってとこかしら。どこか近くに人がことさら密集している場所は?」

 御頭さんは無線機に低くぼそりと何かを言った。すぐに彼のイヤホンから早口で延々と情報が流れてくる。


「信号待ちにイベント会場が幾つか。CD販売、ミニライブ、新作ゲームのプロモ、包丁の実演販売――」


「ミニライブのカメラ持ち込み許可は!?」

 美子の緊張した声に俺は身を固くする。御頭さんは無線機に早口で何かを伝えると、瞬間的に答え返ってきた。

「カメラ持ち込み、可! 会場は通りに入って約十五メートル!」

「ムラシー!」

 美子の号令と共に村篠さんがスピードを上げてハンドルを切る。車は薄暗く狭い裏道に入ると、放置してあったゴミ袋を跳ね上げ突進した。転がらないように窓の上に着いたグリップを掴む俺。一方美子はそんな俺の腿の上に転がってくると、はいよ、とゲームキャラのお面を差し出してきた。プラスチックの安いペラペラのやつだ。

「はい、これ着ける~」

「こ、これで邪眼が防げるのか!?」

「違うって。身バレを防ぐためよ」

「身バレ!?」

「あのガキをぶん殴って気絶させて、首ごと捕獲するわよ! くれぐれも首と目を合わせるんじゃないわよ!!」

 クラクションが三度鳴らされた。

 シート越しに前方を見ると、ショッピングエリアがどんどん迫ってくる。

 大勢の歩行者がぎょっとした顔で転がるように車線上から飛びのく。

「身バレってそういう意味かーっ!!」

 俺は叫びながら面を被る。

 飛びのきながらスマホを向けてくる人が大勢いるのだ。


 ショッピングエリアに飛び出した車は、強烈なブレーキ音をたてながら体制を立て直すと爆走する。魔法少女(褐色)の面をつけた村篠さんが窓を開けると、どけ、ゴラァ! と怒鳴りつけた。波のように割れていく人混み。連発されるクラクション、右に左にと揺れ胃袋がでんぐりがえる。美子がシートから乗り出すと前方を指差した。

「あれだ! ムラシー!!」

 割れた人混みのど真ん中に、ゆっくりと歩く人影。

「やんぞ! 巧くキャッチしろよ!!」

 村篠さんがブレーキを踏みながら思い切りハンドルを切った。車はなんと横っ腹を一郎に向けながら滑っていく。車体の下でゴルルルっと何かが高速で回る音がする。これも『相当いじった』うちの一つという事か。

「初めまして! そして大人しくしなさい!!」

 美子はドアを開け放つとそう叫んだ。

 それに呼応するかのように、一郎はゆっくりとこちらを向いた。

 目の奥に何か――間違いなく間賀津――がいた。


「間賀津うううううっ!!!」


 俺は思わず叫ぶ。モヤモヤした感情は怒りに転嫁された。


 なんで自分の娘にこんなことをしたんだ! なんで二人を放っておかなかったんだ! なんで無関係の人間を巻き込もうとしたんだ!

 ……まあ、最後の奴は俺達も同じだけども。


 一郎の腕が上がる。リュックの真ん中にあるジッパーに手をかける。同時に美子が両手を前に突き出した。空気が揺れ、美子の手から力が放たれたのが判った。だが――

 小さな半透明の何かがアスファルトから無数に飛び出した。途端に風船が割れるような音が連続でし、視界の端で車から逃げようとしていた人達が将棋倒しで吹っ飛ばされる。


うん!』


 次の瞬間、おばちゃんの掛け声とともに車は何かにぶち当たったように斜めに傾ぐ。美子の体が宙に浮き、咄嗟に彼女のズボンの腰の辺りを掴むも、俺自身も前のめりに跳びつつあった。車の外、開け放たれたドアの前には半透明の巨大な何かがいて、その向こうにジッパーを引き下げつつある一郎がいた。

 美子が叫びながら高速で印を結び、手を突き出す。俺は両足をシートの隙間につっこんで手に力を籠める。股間接に激痛、美子の髪がおばちゃんの結界に触れて火花を散らし、ついで今度は後ろにぐんと引っ張られる感覚が襲ってきた。

 美子の放った力の反動?


 違う!


 結界の向こうで半透明の何か――式神の集合体は砕け散った。連中は最初の美子の一撃を防御し、続く攻撃も身を挺して防いだのだ。だから、その向こうに立っていた一郎は髪がそよいだ様子すらなく、淡々とジッパーを引き下ろしているのだ。刹那、美子が叫ぶ。


「顔を伏せて!!」


 反射的に顔を伏せるも、直後に世界がいきなり回転し始めた。御頭さんが悲鳴を上げ、美子が俺に跳び着くと頭を抱えてくる。俺も美子の頭に手を回すも、がんがんと床やら天井やらシートの角やらに頭が、肩が、鼻がぶち当たり、面が粉々になり鼻血が吹き出し、視界が一瞬真っ黒になる。

 はっと目を開けると、逆さまになった車の中にいた。

 地面が上にある。俺も逆さまになっている!? だが、どこかに体のどこかが引っかかっていて動けない。

 野次馬の声が大きくなり、救急車のサイレン、複数人の近寄るなという叫びが聞こえる。御頭さんの部下か? それとも警察か? こうなって時間はどれだけ経っているのか? 

 俺はシートを掴んでいる自分の両腕にようやく気付いた。

「み、美子!!」

「本名で呼ぶんじゃないわよ!」

 打てば響くように返ってきた声。ついで、美子が、目を回して面白い恰好で伸びている御頭さんの脇から体をくねらせて這い出てきた。勿論面は割れ、髪はぼさぼさで顔は血まみれだった。

「大丈夫かオイ!?」

「大丈夫じゃないわよ! 鼻血なんて屈辱すぎるわ! それより来るわよ!!」

 逆さまになった地面を一郎が歩いてくる。ジッパーは引き下げられ、ちらちらと白い物――久美の奇麗な鼻と、少し微笑んでいる唇が暗闇に浮かんでいた。

「ど、どうする!? あ、おばちゃん! 結界を――」


 一郎が両手をジッパーにかけ、さっと横に開いた。


 一瞬、世界が静寂に包まれた。ついで、ざわざわとした声、そして悲鳴と好奇の声。スマホを撮る音、足音、近づいてくる! 野次馬が大勢詰めかけて、近づいてくる!!


 久美の首は白日の下に晒された。


 動画よりも青白く、そして美人に見えた。そして、その両の目は閉じられていたが、徐々に開きつつあった。

 うなじの毛が逆立ち、俺の目の前に転がっていた小石や砂がちりちりと震えだす。


 どうする! 


 あれが完全に開き切ったら、俺達だけじゃなくて大勢が――

「や、やめろ! おい! 目を覚ませ波灘一郎っ!! お前、彼女の親父を殴るんじゃなかったのかよ!? 逆に操られてるんじゃねーよ!!」

 一瞬、一郎の体が震えた――ように見えた。直後、久美の目が一気に開く。だが、その前に美子が車の外に転がり出ると、何かを高々と翳した。


「よく見なさい!!!」


 ウィンウィンと低く小さなモーター音が聞こえた。同時に真っ白くて窮屈な、そして熱い何かが押し寄せてきた。それは圧倒的な力で俺を圧迫し、体がひしゃげそうになる。美子も仁王立ちの姿勢のままで車に押し付けられ、うぐっと呻く。

 が、唐突にそれが途切れた。

 久美が顔を顰め、目を閉じた――のが見えた瞬間、さっきよりも激しく俺の体は車ごと回転を始めていた。衝撃と音、窓から一瞬見えるスローで吹っ飛ばされていく野次馬の群れ。間に合わなかった? いや、でも、死んではいないような――


 がんがんごんごん、ぐるんぐるん、どんべきぼこっ、あまりに滅茶苦茶すぎて俺は気絶することもできなかったようだった。べこべこになった車が奇跡的に普通の状態で着地すると同時に美子が飛び込んでくる。

「生きてる!? よしっ! おばちゃん、そっちは!!?」

「大丈夫よぉ! と言っても、疲れちゃってもう動けないけどねぇ。ムラシー君はもう飛び出したわよ!」

「どこに行ったの!?」

「そこのライブ会場の裏のビルよぉ! 上の階でカメラを下に向けてる男がいたのぉ!」

 俺はヘロヘロになりながら美子に肩を貸してもらって、外に出た。ついで頭から血を流した御頭さんが出てくる。


 周囲は滅茶苦茶だった。


 見える範囲の窓やショーウィンドウは全て割れ、建物は鉄骨がむき出しになっている所もある。俺達の周囲は浅いながらもクレーターのように地面がえぐれていた。そこを中心に折り重なって倒れた野次馬たちの呻き声と助けを求める声。店の店員が電話に怒鳴る声と何処かの警報器の唱和が耳に痛い。

「ま、間賀津が、い、いたんですか?」

 弱々しい声で御頭さんが聞くと、おばちゃんが頷く。

「結界を張った時に、念を送ってきた気配がしたのぉ。で、そっちを見るとあそこに――」

 おばちゃんが指差したビルも窓が全て割れ、スプリンクラーや水道管から出た水が滝のように流れ出ていた。

「イダケンの幻視通りってわけね! ムラシーは確認したのね?」

 おばちゃんは頷く。

「黒ぶち眼鏡でカメラを構えてるスーツ姿の男か? って。で、そうよぉって答えたら飛び出してったわぁ」

 御頭さんは無線で間賀津の特徴を伝え始めるが、返事が中々帰ってこない。美子が辺りを見回しながら顔の血を手で拭う。

「……ロマンチストは?」

「逃げたわよぉ。あっちの方に――向こうに公園があったわよねぇ?」

 おばちゃんの言葉に、彼女は俺を引っ張って歩き出した。自分と俺のカメラを確認すると、よしっと頷く。

「とっとと見つけるわよ。救急隊やら警官が来ると動けなくなる。それに間賀津をムラシーが確保したとしても、まだ安心はできない。オークションの参加者が飛び入りしてくるかもしれない」

 俺はハンカチを出すと美子の顔の血を拭った。乾きかけた鼻血がどろりとくっつく。美子はぷわっと息を吐くと、血交じりの唾をペッと吐き出した。

「くっそ……多分、アバラいったわ」

「……俺もすねが異常に痛い。ひびが入ったかもな」

「お風呂に入りたいわ。熱いシャワーによく冷えた炭酸水――」

「俺はぐっすり寝てから飯が食いたいよ。ガッツリ系でしょっぱいやつ――」

「ああ、もう、ホント帰りたい」

「俺も帰りたいよ。こんなハードな初日、どこの業界探してもねえって」


 そう言いながらも俺達は歩くのを止めない。


 倒れた老人をまたぎ、治療に走ってきた女性を押しのけ、前が滅茶苦茶に吹っ飛んだコンビニの横の道に入る。

 美子は振り返ると、誰もいないのを確認し、懐から出した物を俺に見せた。

「さっきね……これで邪眼を逸らしたの。途中で目を瞑ってくれたのと、おばちゃんの結界のおかげで木っ端みじんにならずに済んだんだけどさ――」

「待て待て待て! こ、これで!? これで防いだって!?」

 美子の手に握られていたのは、ピンク色の張方はりがた、男性器をかたどった所謂ディルドだった。美子がスイッチを入れると車が吹き飛ばされる時に聞いたモーター音が鳴り、ぐりんぐりんと凶悪に本体がくねり始めた。

「うわー……こんなに動いたら痛いんじゃないの? あんたお尻に入れてみなさいよ」

「冗談じゃねーよ! ってか、どうしてこれで防げたんだ?」

「極論として、邪眼ってのは目を瞑らせればいいわけ。

 で、昔っから邪眼や邪視を防ぐお守り、ファリックチャームってのはギンギンに勃起したチンコを模してる奴が多いのよ!」

「ギンギンとか勃起とかチンコとか言うんじゃありません! ……うん? つまり邪眼使いは昔から女性が多かったと?」

「元は魔女信仰のあれやこれやから来てるからね。ちなみに久美は色々な人を魅了してたけども肉体関係は確認されてなかったって御頭のリポートにあったでしょ。ならワンチャン通じるかな、と」

「へぇ~……で、なんで車にそんなのがあんのよ」

 美子はにやりと笑った。どろりと鼻血が再び流れ出し慌ててハンカチで押さえる。

「ったく、映像的に鼻血はNGだっての。折角あたしの私物よつって、あんたがあたふたするっていう最高の流れなのに」

「まるで興奮して鼻血出してるみてえだもんなあ」

「クッソみじめ! ……ま、女性の霊相手にする時に結構効果があんのよね」

 美子はそう言ってスイッチを切り、俺に手渡してきた。意外に重い。

「ああ、エロ波動は向こうの人達に効果的ってやつか」

「そうよ。髪振り乱した白衣の女の霊に、これを唸らせながら特攻かますのよ。大体逃げるわね。まあ絵面がアレすぎるんで、番組では使えないんだけどね」

「そりゃ、女子高生が髪振り乱してディルドもって走り回ったら、通報案件だわな……ん? それって、久美が実は弩スケベで『うわ、おっきい。たまんねっす!』とか言いながら、それをガン見してきたら、もしかしたら俺ら全滅だったんじゃね?」

「……あ、はい。まあ、粉々っしたね」

「お前……」

「うぃーす、反省してやーす」

 俺達はそんな会話をぜぃぜぃと荒い息の合間にしながら歩き続けた。正直、脛どころか全身くまなく痛かった。だが、止まれないのだ。


 広い道に出た。


 その向こうに大きな公園がある。その入り口に一郎が立ってこちらを見ていた。

 目は――正気に見える。そして、ジッパーは閉じていた。

「イダケン、心の準備は?」

 俺はティッシュを取り出すと、鼻を音高くかんだ。吹き出したねばねばの血と鼻水で手が濡れる。

「やったろうじゃないか」

「上等」

 俺達二人は、道を渡り始めた。

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