第3話 人間がひとり増えました


 それから1ヶ月ほど経った頃でしょうか。わたくしが二階の洗濯室で日向ぼっこをしていると、リビングの方からとてつもない大きな呻き声が聞こえてきます。


 これはママさんの声なのでしょうか、それでしたら大変です。大好きなママさんが苦しんでいるのに日向ぼっこをしているわけにはいきません。ママさんを助けに行かなくてはとわたくしはリビングに降りて行きました。


 するとそこにはママさんがお布団を敷いて寝ているではないですか。わたくしはママさんのお側に行ってママさんをペロペロ慰めてあげようとしました。が、急にママさんがさっきよりも大きな声を出して呻き出したのです。パパさんはママさんの頭の上に座っていてママさんの手をぎゅっと握ってがんばれがんばれと言っています。ママさんは何かに頑張っている最中なのでしょうか、それではわたくしが行ったところでママさんの助けにはなれないかもしれません。わたくしはリビングでその様子を見守りました。


 ママさんは足を開いています。足と足との間には見たことのない女の人がいました。白い服を着ていてふっくらとした白髪のおばあさんです。そのおばあさんがママさんに何か話しかけています。頭が見えてきたからもう少しだよと言っているようです。足の間に頭とはどういうことなのでしょうか、わたくしにはさっぱりわかりません。パパさんがママさんにキスをして、後少しがんばれがんばれと励ましております。ママさんはわたくしが知る限り拝見したことのないようなお顔をして呻いています。肩が出たよ後少しと白髪のおばあさんが言いました。


 ママさんの横には小林さんちの人間の子どもが三人座っていて、ママがんばれ、ママがんばれと手作りの旗を振っていました。何か書いてありますが、猫のわたくしには読めません。ママさんはいよいよ大きな呻き声を上げ、ふぅーと大きく息を吐きました。ふうぅふうぅと何度も息を吐きました。先ほどよりは苦しくなさそうです。ママさんが落ち着きを取り戻したまさにその時、白髪のおばあさんが赤黒い肉の物体をママさんの体の上に置きました。子どもたちは大歓声で紙吹雪を撒きました。パパさんはよく頑張ったねよく頑張ったねとママさんに何度もキスをしていました。


 パパさんがハサミを持ち、赤黒い物体にくっついている紐を切りました。あれよく切れないななんて呑気なことを言いながら、赤黒い紐を切りました。うごめく赤黒い物体は白髪のおばあさんの手で白いタオルでくるまれて、今度は三人の子どもたちに代わる代わる抱っこされていました。小林さんちのママさんもパパさんも子どもたちもとても幸せそうで、わたくしはちょっと寂しくなりましたが、その日の夜には、ママさんがふくちゃんおいでと言って、頭や背中をいつものように撫でてくれました。ママさんの匂いがしました。膝の上に乗ると、ママさんの布団には赤黒い色のあのうごめく物体が、赤みのかかった肌色に変わってすやすやと眠っていました。


 その夜、人間がみんな寝静まった頃に、その小さな肌色の眠っているものの匂いを嗅いでみました。どこか懐かしい、わたくしの記憶の中のもう思い出せない、遠い母の乳の香りがしたように思いました。



 この日から、小林さんちの人間の子どもがひとり増えました。

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