第23話 皇王の兄

 「グレディアース老!何故あなたがここに!」


 ヴァーレンハイト皇国にいるはずの人物の登場に全員が驚いた。

 楪は結界が切れてたのかと焦りの表情を浮かべたけれど、グレディアース老はそれをちらりと横目で見て素通りした。

 そして皇王に突き立てた短剣をぐりっと踏みつけたけれど、もはや皇王の身体は何の反応を見せなかった。


 「無様だな、ウィル」

 「ウィル?」

 「ウィリアム=ヴァーレンハイト様。陛下の戴冠前のお名前です」

 「戴冠か。本来皇王にあるべき者を消して得た冠にいかほどの価値があるというのか」

 「な、何の話だよじいちゃん」


 この場で最も困惑しているのは流司だった。

 人を殺し足蹴にしあざ笑う、それは流司の知る祖父の姿ではなかった。どうしたんだよ、と手を伸ばしたけれどそれをするりと通り抜け、今度は楪を見下ろした。


 「楪様。一体どうなさったのです。魔術師崩れにその有様とは」


 信じられないというよりもがっかりしたような顔だった。

 こんな悪態をつくような人ではないはずだと、メイリンも混乱を隠せない。


 「じいちゃん!どうしたんだよ!楪は俺達のために戦ってくれたんだよ!」

 「お前達のため?」


 グレディアース老は大きなため息を吐くと、それと同時にグレディアース老の身体がぐにゃりと歪んだ。


 「な、なに?なんだ?」


 ぐにゃぐにゃと祖父の姿が剥がれ落ちていき、次の瞬間に全く違う男の姿に変わっていた。

 そこに現れたのは皇族の証ともいえる紅蓮の髪だった。

 先ほどまでは老人だったはずが皇王と同じくらいの年齢になり、それに何となく顔立ちが皇王に似ているようだった。


 祖父に何が起きているのか分からず、流司はただ立ち尽くした。けれどそれを見て立ち上がったのは結衣だった。


 「姿を変える魔法?それ、まさか私をアイリスにした魔法じゃ……」


 結衣は誰かの手によって姿を変えられていた。

 姿を変えたり翻訳をしたり、明らかにヴァーレンハイト皇国の魔法ではない。そんな事ができるのは楪のような魔術師か、その血を引く人間だけだ。

 ルイは男を見上げて、くそ、と吐き捨て結衣を流司の後ろに押し込んだ。


 「生きていたのか、貴様」

 「し、知ってる、んですか?誰なんですか?」

 「こいつはキリル=ヴァーレンハイト。ウィリアム=ヴァーレンハイトの実の兄だ」

 「兄!?」

 「お前は前皇王殺害の罪で処刑されたはずだ。何故生きている」

 「たかが魔導士ごときが魔術師の血に勝てるわけもない」


 ふん、と馬鹿にしたように鼻で笑ったキリルと楪の間にルイが立ちはだかった。

 ルイは再び武器を構えたが、キリルはそんな事には怯える事もなくただ笑っていた。


 「狙いは何だ」

 「ヴァーレンハイト皇国の滅亡と楪様のお命」

 「……初対面で、命を、狙われる覚えは無いんだけど……」

 「こちらにはあるのですよ」


 「内乱なら勝手にやれ。だが楪を傷つけた罪、その命で償ってもらう!」


 ルイは強く棍を握りしめると、思い切り床を蹴飛ばした。

 目にも止まらぬ速さで間合いを詰めて振り下ろし、誰もが確実にキリルの脳天を割るだろうとルイの殺意に恐怖を覚えたけれど、それはキリルにかすりもせずするりと流れていった。


 「楪様の加護無き人間など恐るるに足らず」

 「くそっ!」


 当たっていないわけではないように見える。

 当たってはいるけれどすり抜けているのだろうか。確実にキリルのいる場所を振りぬいても当たらないのだ。キリルは馬鹿にしたようににやにやと笑った。

 楪が武器は駄目だ、と呟いて、何かの魔法がかかっているのだろうと考えたメイリンは腕に大きな炎を纏わせた。


 「楪様に近付く事は許しません」


 キリルは一瞬きょとんとしたけれど、ああなるほど、と目を細めた。


 「私を殺せばアイリスは戻らないぞ」

 「……アイリス?アイリスをどうしたのですか!?」


 キリルはくくっと笑うとゆらりと姿を歪ませて瞬きしている間にメイリンの真横に現れ炎に手を差し込んだ。そしてろうそくを消すかのように手で仰ぐとふうっとメイリンの炎は消えてしまった。

 キリルはメイリンの目を手のひらで覆った。するとメイリンの意識は途切れ、かくんと膝を折って床に倒れてしまった。

 結衣が慌てて駆け寄ったけれど、動けないだけで怪我を負ったわけではなかったのでほうっと息を吐いた。


 キリルはかつんと楪に一歩近づいたけれど、させるか、と流司も楪を庇うように立ちはだかった。


 「じいちゃんをどうした」

 「……マルミューラド。こちらに来い」

 「じいちゃんをどうしたって聞いてんだよ!!」

 「こちらに来い。そうすればそこの二人も共に早乙女の元へ連れていってやろう」

 「は?」


 何だ、と流司は息をのんだ。

 時折裕貴の名前が脈絡も無く出てくるが、一体どういう繋がりなのかが全く分からない。

 しかし考え込む流司を無視して叫んだのは雛だ。


 「裕貴君に何したんですか!」

 「何もしていない。ただお前達がここにいると教えてくれただけだ」

 「教えた?裕貴が、お前に?」

 「でなければこんな所に来るわけがないだろう」


 楪を殺そうとする男に居場所を教えて導いた。

 けれど裕貴本人は待てど暮らせどやって来ない。

 それはまるで――


 「……裏切った、のか?」

 「嘘だよ!裕貴君が裏切ったりするわけない!」


 キリルはもう興味が無いとでもいうかのように大きくため息を吐いて再び楪に目を向けた。

 結衣と雛が楪を抱きかかえるけれど、こんな触れることもできない男からどこに逃げたらいいのか。

 ルイは三人を背に庇った。


 「ヴァーレンハイトを滅ぼしてどうする。水も枯れ死を待つ国に何がある」

 「国民の命を貰う」

 「魔術師のために、人を殺すっていうの……君も前は、国を守る、皇族だったんだろう……!」


 楪は力なくルイにしがみ付き、それでもキリルを睨みつけた。

 けれどキリルはその言葉で顔色をかえ、部屋が割れそうなほど大きな声で叫んだ。


 「あなたがそれを言うのか!!我らを滅ぼすと言ったあなたが!!」

 「……滅ぼす?」

 「そんな身体で何ができる!」


 楪はキリルの言葉に眉をひそめたけれど、それすらもキリルを怒らせたようだった。

 キリルは視線の直線上に楪を捕らえて手を伸ばした。

 するとその瞬間楪の身体は沸騰するような熱を受けて再びばしゃりと血を吐いた。


 「きゃあああ!!」

 「楪!!」


 がくがくと楪の身体が跳ね、目はうっすらと開いているだけで意識はどこかへ飛んでいる。

 ルイは聞いた事の無い悲痛な声を上げた。流司は当たらないと分かっていたけれど、それでもキリルに飛び掛かった。

 けれどやはりその拳は空を切り、その勢いで流司が転んだだけだった。


 「くそっ!」

 「その程度じゃ私には勝てないよ、マルミューラド」


 それは剣の訓練をしてくれた祖父に言われた言葉とそっくり同じだった。

 後ろで血を吐き続ける楪の姿に祖父の姿が重なった。


 「……じいちゃんをどうしたんだよ!!」

 「どうもしていないよ」


 流司は転がっていたルイの棍を拾って殴りかかるけれど、キリルはからかうようにするするとそれを避けていく。

 ほらほら、と微笑ましいとでもいうかのように馬鹿にしたその顔に苛立ちが募るけれど、全くかすらない。何をしてもすり抜けてしまう。

 けれど突如ガツン、とキリルの肩に棍が当たった。


 「何!?」

 「……屈折率、ってやつだね……」


 楪が何かやったのだろうか。当たるのならこっちのものだ。

 流司はキリルを壁に叩きつけ、棍で首を締め上げた。


 「ぐっ……!」

 「何だよ。力は随分弱いじゃないか」


 見た目より力は無い。それなりに整った身体をしているように見えて、殴り合いをしては負けるかと思っていたけれどどうにかできそうだ、と流司は口角を上げた。

 このまま押さえつけて捕らえればと思ったけれど、すっかり頭に血が上っていたルイは皇王に突き刺さった短剣を抜いて流司を突き飛ばすと、キリルの喉元に向かってそれを振り下ろした。


 死んだ。


 きっとキリルもそう思っただろう。

 けれどそれはキリルの喉には届かず、ルイごと跳ね返した。何かが弾けた。パチパチと星のようなものがキリルを守るように小さく弾けている。それは楪が流司達を守った星屑に似ている。


 「これは……」


 すうっと白く細い腕がキリルを守るように伸ばされた。

 その手は少女のものだ。

 手を伸ばす少女の姿は黄金に輝く月のような瞳に、腰まであるウェーブの紅蓮の髪はまるで炎が燃え盛るようだ。

 この少女は――


 「アイリス!!」


 消えたヴァーレンハイト皇国の第一皇女アイリス=ヴァーレンハイトだった。

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