31
「ではカアラ様。私はこれで」
「ええ。知朱ちゃんによろしく言っておいて下さいませ」
面倒臭い奴に絡まれる前に、私はその場を後にしようとし、
「ああ? なんだ。『金魚のフン』もいたんだな」
特に気にも止めず、私はエレベーターへ向かう。
『知朱の後ろに付いて回るだけの者』。
何も間違ってない。
「卯月。桃源楼の仲間に対しての言い草ではありませんわね」
「あん? 何か間違った事言ったかお袋よぉ。この女がそれなりの地位に居るのは、お袋の孫に媚びただけの結果だぜ?」
何も間違ってない。
私は歩みを止めない。
「ケッ。言い返しもしないとかとんだ腑抜けだぜ。大方、そのご自慢のナイスバディで取り入ったんだろうさ。件のお孫さんは相当、この女の躰がお気に入りの御様子だ(笑)」
「あ?」
それは感情では無く反射に等しい。
私は振り返り、卯月を睨め付ける。
私が理性的に受け流せるのは、『私への侮辱』まで。
期待していたであろう私の反応に、満足げな卯月。
「丁度いい機会だから、アンタの伸びた鼻折ったげるわ」
「伸びた棒状のモンの扱いはお手のもんってか(笑)」
「電話する時間くらいあげるわよ。暫く仕事出来なくなるでしょうし、代理立てときなさい」
「生憎俺はどんな状態でも仕事は休まない社畜なんでね。お前こそアイツの他のカキタレにお世話係の代役頼んどけよ(笑)」
「コラコラ二人とも(パンパン)会う度に喧嘩して、もう。卯月、今のは貴方が悪いです」
「へーへー」
このガキ……カアラ様にだけは素直になりやがって。
「てか、元はと言えば全てお袋の孫がイザコザの要因だぜ? いい加減、どうにかしてくれよ」
「どうにも出来ませんわねぇ。手の掛かる子ほど可愛いもので、ウフッ。勿論貴方もその一人です」
「……チッ。俺は認めねぇぞ。顔も知らねぇバカ殿の下に付くなんてまっぴらごめんだ」
「アンタ、さっきからカアラ様の前でよくもまぁ言いたい放題身内の侮辱を……」
「いいのですよ、薄縁。第一、ほぼ事実ですし」
「それはそうですが……」
「ふんっ。若い奴らは冷淡で無慈悲で完璧主義者のお袋に畏怖しつつも畏敬の念を持ってるのが殆どなんだ。そんな孫バカな方の顔、外じゃあ見せないでくれよ」
「どんな顔でもわたくしですのに……」
ぶすぅとむくれるカアラ様の表情は、知朱そっくりだ。
「まぁ、近い将来ここは知朱が継ぎます。皆にはいつまでもわたくしに縛られて欲しくは無いですわね」
卯月の空気が揺らぐ。
普通に動揺してるな。
「……まだ隠居するほど衰えてもボケてもいねぇだろ」
「しかしわたくしも長く席に座りすぎましたからね。世代交代としては妥当な時期です」
「お袋が去ったら大半の職員も去るぞ。贔屓の多くの客もだ。ここはお袋の信頼と人望と恐怖で成り立ってたんだ。桃源楼はすぐに崩壊する」
「それならばそれでも。ここをわたくしと同じように続けなくとも良いのです。宿泊業ですらなくとも」
とは言っても、カアラ様の側を拠り所とする者は多い。
スタッフにも、客にも。
保っていた世界のバランスも崩れかねない。
「……でも、隠居するつもりはねぇんだろ? 別の仕事始めるとか」
「さて、どうしましょうか。わたくしも、心はいつまでも若くありたいですからね。挑戦したい事はまだまだあるつもりですわ」
その言葉に空気が弛緩する。
卯月は安心したようにニヤリとし、
「なら安心だぜ。重要なのは、お袋という『居場所』だ。アンタが何をするにしても、みんなお袋について行くだろうさ」
「わたくしに依存するなと申してますのに……」
そうは言っても、この方はついてきた者達を拒みはしないだろう。
形は変わっても、第二の桃源楼のようになるのは想像に難くない。
「けど、まぁ」と卯月は目を細め、
「アンタの居ない桃源楼のその先に興味はないが……慣れ親しんだ場所だ、思わない部分がないわけでもない。他にも心中穏やかじゃない奴らも出るだろうぜ。崩壊するような確定した未来……黙って見てられるか」
「見ていられないのであれば、どうするおつもりで?」
「分かってんだろ。いい加減、自慢のお孫さんに『挨拶』させてくれよ」
またそれか。
「アンタ、いい加減しつこいわね」
「テメェは黙ってろ」
「…………そうですわね。よろしい。そろそろ『頃合い』でしょう」
「マジか!?」
マジか……。
「あの子の居場所は追って伝えます。『禁』も解きましょう。しかし、貴方も仕事で疲れた筈。明日にしなさいな」
「へっ! やっぱりお袋は話がわかるぜ! じゃあまたな!」
まるでオモチャを与えられた子供のような表情のまま、卯月去って行った。
「……カアラ様」
「そんな怖い顔をしなさんな薄縁。これ以上、引き伸ばすのも『お互い』最善と思わないという判断です」
「……ですが……『アイツ』は、普通に相手を『殺し』ますよ?」
「良い機会です。それが、お互い『良い結果』になる事を祈りましょう」
しかし物騒な会話である。
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