第34話 隼人さんの決意(晴日視点)

 琥珀が映画降板になり、先日WEB用のドラマは撮り直しになった。

 先に撮っていた写真は全てアウト。企画からやり直し。

 それに伴い追加の撮影と取材で一気に仕事が詰まってきて、おにぎり屋にさえ帰れなくなった。

 でも琥珀が消えたスッキリ感があるので頑張った。

 私はふ~と息を吐いてノートパソコンを閉じた。


「もう今日は終わり! おしまいじゃああ~~!」


 今日は演劇社長の塩野さんに「新作始めるから初日に来て~」と誘われているのだ。

 またこっそり隼人さんがナレーションしてるんでしょ? 晴日さん、そんなのすぐに分かりますから!!

 私はヘッドフォンをつけて録音データを再生しつつ、会社を出た。


『こんばんは、楠みぞれです。今月からこの時間帯のラジオを担当させて頂きます。よろしくお願いします』

「きゃああああああ!!! よろしくお願いします!!」


 私は会社の廊下で叫んだ。

 実は琥珀のラジオは終わり、同じ枠は隼人さんこと楠さんがラジオを始めたのだ。

 これがもう……すっごいの……。

 はじめる、と隼人さんから聞いてて「そうですか、頑張ってください、毎回聞きますね!」とその場は軽く済ませたけど、会社に来て叫んだ。

 最高じゃん……毎週木曜日22時にお仕事の隼人さんをチャージできるとか、もう琥珀消えてありがとう以外言葉がない。


『すいません……好きに話せと言われているのですが、あまり話が得意なほうではありません。でも頑張りますので、よろしくお願いします』

「ぎえええええええ」


 この慣れない感じと恥ずかしそうな感じと丁寧な感じがミックスダウンした結果、会社ではとても聞けず毎週近所のカラオケボックスに飛び込んで雄叫びを上げる事になった。すっごく良い声で必死に話す人って、もうそれだけでダメ……好き……!!

 わたくし、これでも一線で働くライターなので、文章には少し自信がありますの。

 というわけで、お便りと言う名のメールをめっちゃ送ってるのに(しかも匿名で)読まれないっ!!!

 悔しくてハガキ職人さんのサイトと熟読した結果、私が書いた文章では狙いすぎだと分かった。

 もっとツッコミがいれられるような文章を考えなくてはならない。

 必要なのは素人っぽさだ。

 私のハガキ職人への道のりは始まったばかり……!!




「晴日ちゃん、来てくれてありがとうーー!」

「塩野さん、久しぶりです~チケットください!」

「いつもありがとうね~~」


 私は基本的に身内が何をするときにチートを使うのは嫌いだ。

 雑誌を作っていると仕事関係の人の展覧会や、写真展などには行くことが多い。

 みんな招待券をくれるというけれど、それはやはり違うと思う。

 努力や才能には対価が支払われるべきなのだ。


 演劇が始まった。

 内容は小さな星にひとつだけ残されたロボットが色んな国を回って「記憶のカケラ」を貯めて行くお話で、すごく良かった。

 見ていたら一番最後、そのロボットと暮らし始めた人をみて絶句した。


「?!」


 舞台の奥から出てきたのは、隼人さんだった。

 そして息を飲んだ。

 隼人さんが前髪を切っていたのだ。

 頬の傷は化粧だろうか……というか、やはり舞台は照明をたいているし、全体が暗いので全く見えない。

 VRでは見た事あるが、実際の舞台に立つ隼人さんを見たのは初めてで自分の心臓の音がバクバクと大きく聞こえてくる。

 大きな声で演じている隼人さんはものすごくカッコ良くて、動いてる、演技してる。

 私は視界がボヤけてくるのを必死で止めて、その姿を目に焼き付けた。

 隼人さんが、舞台に復帰した。


 劇が終ったら塩野さんの所に寄ろうと思ってたけど、今日はきっと打ち上げがあって、そこに隼人さんがいるだろう判断した。

 だって10年ぶりに舞台に復帰したんだもん。

 そんなのみんなめっちゃ嬉しいと思う。

 私が劇団員だったら、もう朝まで離さないで飲むと思う。

 西久保さんも……きっと今日は来てたんだろうな。

 そう考えると、更に泣けてくる。

 美和子さんはずっと言っていた。「隼人くん、実はすっごく舞台が好きなのよね。お客さんの前にたって演技するのと、カメラの前で演技するのは全然違うんだから」と言っていた。私は最大でも会議室でプレゼン程度しかしたことないけど、よく分かる。

 人が目の前にいて自分の動きを、声を、追ってくれているのはものすごく緊張するし、興奮する。

 それを続けたいとは全く思えないから私は演じる人ではないのだけど。


「……おめでとうございます」


 商店街を歩きながら小さな声で言った。

 私は劇団に関しては恐ろしく部外者だ。今日は行かない方が良い。


 もう夏が終わり、秋が始まろうとしている空気だ。夜は少し寒い。

 外に出て、はあ……と息を吐いた。

 ものすごく嬉しいのに、なんだか淋しくて、でも嬉しくて、感情がまとまらない。

 私は駅前で花束を買うことにした。水色と黄色と白の花束。

 最近考え事をするときは、なぜか隼人さんのおばあちゃん……房江さんの所にいく習慣が出来ていた。

 私の顔を見て覚えている時もあるし「どなた?」と言われることも多い。

 でも不思議とぼんやりできるのだ。

 それに房江さんは隼人さんの演技を持って行くと喜んでくれる。

 私の貴重な隼人さんファン仲間だ。






「こんばんは」

「どうも、こんばんは」


 どうやら今日は私のことを誰だか分からない日のようだ。

 しかし邪険にもされないし、私も気にしない。

 ただ『演劇のデータを持ってきてくれる人』とは認識されている気がする。

 花束をいけて、横に座る。房江さんは私がプレゼントした二世代前のiPhoneで舞台を見ていた。

 時間は夕方から夜になってきていて、窓の外がゆっくりとオレンジから黒に引き込まれていく。

 私はぼんやりと外を見ていた。iPhoneからは隼人さんの舞台の声が聞こえてくる。

 ……カッコ良かったなあ。

 そうだ、新しい舞台に隼人さんが出たんだから、またデータを入れなきゃ。

 VRヘルメットに入れてもよいけど、房江さんはやっとiPhoneの使い方に慣れてきたのだから、ここに入れるのが一番良いだろう。


「素敵ねえ、本当に素敵」


 静かな室内、房江さんは舞台を見ながらうっとりと呟いた。

 この前こっそりと再生数を見たら、私が作った隼人さんスペシャルの再生数が一番多かった。

 ……肉親だけど、ファンなんだな。

 情けない。

 隼人さんが舞台に復帰してションボリするなんて、なんて私はワガママなんだろう。

 そして気が付く。またファンの私と、隼人さんを好きな私が一体化してしまっていたことに。

 ファンとしてはこれほど嬉しいことはない。隼人さんの舞台が声が増えるのだ。

 きっとションボリしているのは隼人さんの恋人の私だ。

 だってあんなにカッコイイ人……。


「……モテちゃいますね、これは」

「そりゃカッコイイ人はモテるでしょう。当然の原理よ」


 予想より普通のコメントを房江さんが返してきて笑ってしまう。

 私は隼人さんの声が好きな、ただのおにぎり屋の客だったから、恋人がモテモテの有名人だと言われてもピンとこない。

 むしろ私は演劇をバリバリして声優としても人前に立って行くであろう隼人さんの恋人として、大丈夫なのだろうか。

 めっちゃ普通のライターで、社畜で、女性として秀でてるかと言われたら、家事は苦手だし、たぶん仕事のが得意だ。

 唯一誇れるのは隼人さんの声が好きってことくらいで……。

 なんだか心がダメになってきていた。

 それくらい舞台の隼人さんは輝いていた。


「こんばんは」

「あら、いらっしゃい隼人くん」

 

 その時、廊下を挨拶しながら歩いてくる隼人さんの声が聞こえた。

 やっば!!! 今日は絶対にこないと思ってた。

 実の所私は、房江さんの所に通っていることを今も隼人さんに言えて無いのだ。

 超ストーカーだと自ら言うようなことは出来ない!


「おばあちゃん、入れて!」

「あらら、一緒に寝たいの? 仕方ない子ね」


 私は靴をベッドの下に投げ飛ばして、おばあちゃんの布団に飛びこんだ。

 数秒後に隼人さんが入ってきた。セーフ……。

 私は房江さんのお布団にもぐりこんでため息をついた。

 どこかのタイミングで「身内の方が近くにいらっしゃらないんですか? 私も挨拶したいです~」とかすっとぼけて、一緒に連れてきて貰うつもりなのに、忙しくてすっかり忘れていた。

 房江さんの体温と柔らかい匂いで一気に落ち着く。

 というか眠い。仕事の疲れと演劇に興奮、そして隼人さんの復帰と髪の毛短くなって……と私のメンタルはもうゴンゴンに振り回されて疲れ切っていた。

 もう隼人さんが帰るまでここで寝よう……話を盗み聞きするのも悪いし……私は両方の耳に指を入れて目を閉じた。

 すると、ツン……と何かが私の足に触れた。


「?!」

「……こんな所から足が出てるということは、うちのおばあちゃんは身長が4mくらいになっちゃうな」


 布団の下から足が出ていた?! 

 私はスッ……と高速で足を隠すが、当然時すでに遅し。

 隼人さんのクスクス笑う声が聞こえる。

 よく考えたら入館者の所に名前を書いている。

 バレて当然。アホの子である。

 モソ……と布団を持ち上げて横から顔を出す。

 すると前髪が短い隼人さんが私をみてほほ笑んだ。

 ……無理。

 私はパタンと布団を閉じて引きこもった。 

 気のせいです、ここに居るのは布団の妖精です。

 隼人さんは私を引きずりだすことを諦めたのか、房江さんにお話を始めた。


「……今日はご報告があってきました。俺、舞台に復帰することにしたんです」

「あらまあ、舞台をされてるんですか。私も舞台をみるのは大好きですよ。ここにいるね、晴日ちゃんが見せてくれるようになって」

 そう言って布団をポンポンする。

 房江さん!!!! もうやめてください、私のライフはゼロです!!!

 隼人さんは続ける。

「……ずっと踏み出すタイミングが掴めなかった。それに俺だけ歩き出したら、おばあちゃんに申し訳ないと思ってたんだ。でも違うんだな、俺が歩けば、おばあちゃんも歩けるんだ。みんな待っててくれたんだな」

 私は隼人さんの言葉に泣けてしてしまう。

 でもグズグズ声を出したくなくて、無言で涙を落とす。

 隼人さんははっきりと房江さんに向かって言った。

「車いすの席を準備するから、今度見に来てほしい」

「あらまあ、じゃあオシャレにしないと! 晴日ちゃんも行きましょう、ね?」

 そう言っておばあちゃんは私が隠れていた布団をはぎ取った。

 私はもうグズグズに泣いていて、横を向いたまま涙で布団を濡らしたくなくて、腕を下にひいて涙を吸収させていた。

 その姿をみて隼人さんが爆笑する。

 そして私に向かって腕を大きく広げて差し出した。


「晴日、おいで」

「はい……」


 たぶん私は今、世界で一番ブサイクな顔をしてると思う。

 でもいっそ抱きついたほうが顔を見られない気がして靴も履かぬまま、隼人さんに抱き着いた。

 服の腕の部分で涙をぬぐう。

 隼人さんが私を優しく、でも強く抱きしめた。


「あら、すてき。演劇見てるみたいだわ」


 房江さんは嬉しそうに言った。

 房江さんが見るなら、私は横で見たい。

 だって隼人さんのファン仲間だもん。




「舞台復帰……おめでとうございます」

「ありがとう」


 見事な月夜。

 私と隼人さんは手を繋いで帰って来た。

 いつもの居間で隼人さんがお茶をだしてくれた。

 少し寒かったから、香ばしい番茶が美味しい。

 私はそれを一口のんで舞台を思い出していた。


「……髪の毛、切ったんですね」

「似合うか?」


 私の手を隼人さんがスッ……と掴んで傷跡に触れさせた。

 少しだけ跡が残っているけど、やっぱり全然分からない。

 なによりいつも隠れていた左目が見えて……まっすぐに見つめられるので、息が苦しい。

 なんなら苦しさは今までの二倍になったということだ。そんなのもう劇薬だ。

 私は指をゆっくり動かして頬に触れる。


「……似合います。すごく素敵でかっこよくて……恋人の自信が、いえ……最初からそんなのあったわけじゃないんですけど……無くなります」

「どういうことだ」


 隼人さんが私の手を掴んだ。

 完全に表情が、声が怒っている。

 慌てて否定する。

 

「違うんです、それくらい、素敵だということです。私ももっと頑張らないと隼人さんに置いていかれますね」

「だから、晴日は何を言ってるんだ。俺は晴日がいたから舞台に立てたのに。お願いだから俺から逃げるようなことを言わないでくれ。ここにいてくれ」


 その言葉に私は嬉しくなって、膝をついてトコトコと隼人さんに近づく。

 同時に隼人さんが私を思い切り引き寄せる。

 私は軽々と隼人さんの胡坐の上に持ち上げられた。

 そして全く逃げ場なく抱き寄せられる。

 隼人さんの大きな腕、そして分厚い胸、安堵のため息をついた。

 私の好きな人だ。頬に手を添えられて、そのまま唇が下りてくる。

 そして優しく、甘く、確かめるように、キスをする。

 やがてそのキスは激しさを増して、隼人さんの舌が私の中に入ってきた。

 それでも優しく、でも奪い尽くすように。

 隼人さんは、もう一度私の唇に優しくキスを落として顔を離した。


「……明日は誰もこないように言ってあるから、今日は泊ってほしい」

「……はい」

「朝まで一緒にいたいんだ」


 私は頷いて、隼人さんにしがみついた。

 

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