第19話 晴日、悪いヤツは許しません


 ミサキの家は何度か来たことがあった。

 未成年と仕事するときは、ご両親の了解が必要なので、すべての親御さんに会っている。

 父親は輸入代理店の役員で、お母さんは専業主婦。

 二年前に挨拶にきた時から威圧的な父親に、一歩引いたお母さんだとは思っていた。

 モデルをしたいというミサキに「男に媚びを売る仕事か」と言った父親に「そういうお仕事ではありません」と即答したけれど。


 お母さんは「人前に出る仕事なんて……」と反対していたが、徐々に人気が出てきたミサキを見て応援し始めてた。

 本来なら家庭事情に顔を突っ込むべきではない。

 でも離婚したら、ミサキは心か折れてしまいモデルを続けられなくなるだろう。

 やっと仕事が楽しくなってきたのに、それは辛すぎる。

 

「こんばんは、すいません夜分に」

「どうぞ。すいません、部屋が汚くて……体調が悪いんです」


 お母さんは美人さんだったのに……今は青白く見る影もない。げっそりと痩せてしまって心配だ。

 私は挨拶もそこそこにお母さんに伝える。


「話はうかがいました。お父様の関係している女性の声を、なるべく多く聞かせてください。ひょっとしたら何か分かるかもしれません」

「声を……?」


 ミサキのお母さんは不思議そうに言った。

 でも「パーティーの時とか……結婚式の時の物とか……?」と映像を色々見せてくれた。

 私は時間を貰って映像を見始めた。

 結婚式や、季節ごとにあるホームパーティー。

 常に偉ぶる父親、仕事を続ける母親……見ていて楽しいものではない。

 映像はかなりの量があり、来客も被っている。でも私は声と名前を関連付けて頭に記憶していく。

 横でミサキとお母さんは心配そうに見ている。

 何時間たっただろう。

 来た時は夜だったのに、もう部屋が明るくなっていたし、ミサキはいつの間にかソファーで眠っていた。

 お母さんも私のよこで眠ったり起きたりしていた。

 私はどんどん映像を見て、声を頭にいれていく。


「次に寝室の声を聞かせてください」

「あ、はい」


 お母さんが寝室の声を再生する。

 とにかく長時間取ろうと時間優先にしたこともあり、音質はわるい。

 それに鞄の中……しかも底に仕込んだようで、小さい。

 でも聞こえる。

 私はスマホに取り込んで何度も聞く。

 喘ぎ声は特殊で「あんあんあんあん気持ちがいい」が基本だけど……たまに話している。

 うん、覚えた。もう一度怪しい人の声を聞きなおす。


 ……違う。

 ……違う。

 ……この人も……似てるけど違う。

 

 何度も怪しい人の声を聞きなおして、喘ぎ声を聞くけど……居ないのだ。

 5時間みた映像の中に喘ぎ声の女はいない。


「……すいません、わかりませんでした。他に怪しい人の声があったら聞かせてください」

「わかりました」


 お母さんは完全に落胆している。

 そりゃそうだ、すべての人の声が録画されているわけではない。長期戦になるかもしれない。

 それに……やっぱり無理だったのかも知れない。声だけで誰か聞き分けるなんて……。

 ミサキとマンション内を移動する。

 情けなくて悔しくて、気持ちが落ち込んでしまう。

 その時、朝日まぶしい通路に女の人が立っていた。


「おはようございます、ミサキちゃん。今日は早いね」

「おはようございます。御手洗さん」


 マンションから出ようとしたら話しかけられた。

 今は朝の5時だというのに、恐ろしく整ったメイクに隙のない服。

 そしてこんな美しいマンションなら管理人さんがいるだろうに、通路で不自然にほうきを持っている。


「気持ちのいい朝ね、いってらっしゃい」


 その言葉を聞いた瞬間に私の耳はピン……ときた。

 私は口を開く。


「……あの、このマンション素敵だなって思うんですけど、住み心地とかどうですか?」

「え? ええ、近くにスーパーもあるし、住み心地はいいですよ」

「……どこら辺を歩くと気持ちがいいですか?」

「そうね、マンションの庭はとっても気持ちがいいわ」

「……ありがとうございました」


 そしてミサキを見て「ごめん、部屋にスマホ忘れちゃったみたい」と伝えて踵を返し、部屋に戻った。

 ミサキは「? 晴日さんスマホさっき持ってたよね?」と言いながら私について来る。

 玄関に入った瞬間にもう一度靴を脱いで、さっきの喘ぎ声を再生する。


『あんあんあんあん……気持ちいい』

 間違いない。

 

「今の女の人だわ、不倫相手」

「ええ……?! 御手洗さん?!」

「間違いないと思う。『気持ち良い』の言い方が同じだから。あの人どういう人が分かる?」

「いつも私が学校とか行くときに挨拶してくれる人……? 同じマンションってことしか知らない」


 私はお母さんに探偵を依頼した。

 その結果不倫相手は御手洗さんだった。

 ミサキの父親は不倫相手を同じマンションに住まわせていたのだ。

 そりゃ探偵が調べても出てこないわ。だって一見自宅に帰ってるんだもん。

 しかもこの部屋がよく見える場所だった。気持ちが悪すぎる!

 やはりパーティーには一度も出ておらず、同じ建物の別の会社の女だった。

 良かった……やっぱりビデオの中には居なかったのだ。

 ミサキ曰く「毎日私が朝出ていくと挨拶にくるの。お掃除してるのかな……と思ってたけど……」

 見てたんだよ~~、キモイ~~~。


 状況と相手が分かった瞬間にミサキのお母さんは冷静になった。

 即取り押さえず、落ち込んだフリを続け、家事は放置、父親を油断させ、鞄に高性能カメラを仕込んだ。

 顔がガッツリ見えるエッチ中の動画を山ほど押さえて「証拠に問題なし」と判断された状態にしてから、探偵さんたちと一緒に現場に乗り込んだ。

 その時に「あら……私お部屋間違えたかしら?」と言ったとミサキから聞いて爆笑した。

 その頃証拠のエッチなビデオは取締役会で絶賛上映中。

 献身的に父親を支えていたお母さんを可愛がっていた常務にブチ切れされ即クビになった。

 マンションを与えるほどの金の出所も怪しく、これから厳しく取り調べる……との事だった。


 結局不倫女と父親が多額の慰謝料を払う事になり、二人とも消えた。

 ミサキとお母さんも「気持ちが悪い」ということで、別のマンションに引っ越しを決めた。

 もちろん親権はお母さん。

 私は心の底から安堵した。声で分かりますなんて言ってしまった手前、ひやひやしていたのが本音だ。

 役にたてて本当に良かった。

 しかし冷静になると母は強し……だった。



「晴日さん、ただの良い声マニアじゃなかったんだね、すごい!!」

 ミサキが飛びついて来る。

 ミサキは私より10cm以上大きいので、倒れそうになるが、なんとか耐える。

「ミサキがモデルを続けられるのが一番嬉しいよ。バリバリ仕事してね」

「……晴日ちゃん好き……」

「声探偵・小清水晴日はじめようかな」

「だめー! 晴日ちゃんは私のマネージャー!」


 ミサキがふにゃふにゃと私に抱きついてくる。

 隼人さんのおかげで、特殊だと思ってなかった力に気が付けた。

 良かった。







「だから全部隼人さんのおかげなんです!」

「……いや、それは晴日さんの特殊能力でしょう」


 隼人さんは私の前にトン……と白いご飯と野菜炒めと汁物をだしてくれた。

 中島デスクにもめっちゃ褒められて、私は「今日はもう休め」と言われていた。

 クソみたいに忙しいうちの部署であり得ないレベルの幸せ!

 実の所「料理できます!」と言ったけど、隼人さんに比べたら小学生レベルだ。

 人生納豆があれば生きていけると真剣に思ってる所もある。

 言ったら怒られそうだから言わないけど……。


「どうぞ」

「頂きます!」


 私は野菜炒め(どうやら回鍋肉っぽい。とにかくキャベツがパリパリで最高においしい)と真っ白でふわふわなご飯を美味しく頂いた。

 何より好きなのは隼人さんの家は味噌汁が具沢山なのだ。いつも大根と人参、それにごぼうも里芋も入っている。

 最高に美味しい……。

 最近私は栄養状態がかなり良くなってると思う。

 だってご飯たべてお布団で寝てるもん。ずっと居酒屋で食べてマンガ喫茶で寝てたのに!

 はあ……幸せすぎる……。

 私は米粒ひとつ、みそ一粒残さず完食した。


「ごちそうさまでした!」

「……はい。晴日さんは食べるのが本当に早いね。お腹痛くならないの?」


 隼人さんに聞かれて横を見たら、隼人さんはまだ半分も食べてなかった。

 これは完全に大家族の悪いクセだと思う。

 早く食べないと他の人におかずを奪われるのだ。

 恥ずかしいので今度からもう少しゆっくり食べようと思った。

 そしていつも通りお茶を頂き、一息ついた。


「……晴日さん、おいで」

「……えへへ、はい」


 私は隼人さんに呼ばれて、膝の間にトコトコ入っていく。

 最近食後はいつも甘える時間があって、私はこの時間が最高に好きで幸せだ。

 隼人さんもそう思ってくれてると良いな……と思って、今日は後ろ向きじゃなくて、横向きにちょこんと座ってみた。

 チラリと見たら、隼人さんが優しくほほ笑んでくれて、お団子みたいな私を抱き寄せてくれた。

 ああ、隼人さんの腕、大きくて全部包まれちゃう感じが最高に幸せだ。

 そして触れ合った状態で大きな身体から響いてくる声は、そのまま聴くのとはまた違う響きを持つ。

 この身体に響く声は、肌に接触してないと聞けない。

 だから、恋人だけが聞ける声なのだ。私だけの声。


「……本当に、晴日さんの耳はすごいと思う。俺は10年間こっそりと劇のナレーションしてたけど……西久保さんも気が付かなかった」

「気にして聞いてないのでは? 私はもう隼人さんの声が聞こえたら、すぐに分かるので」

「知ってる」

 

 私は隼人さんの声を味わいながら話す。

 すると後ろの髪の毛がツン……と引っ張られたのを感じた。

 確認すると、隼人さんは私の髪の毛に指を入れて、やさしく手櫛してくれていた。

 私の髪の毛は細くてふわふわしている。

 美容雑誌の担当したことがあるし、メイクさんたちにも色々聞いて試したけど、私の髪の毛はすぐにふわふわになって絡んでしまう。

 隼人さんの大きな指が触れて気持ちがいい。

 うっとりとして眠くなってきてしまった。

 私とっても頑張ったんです。


 その瞬間、おでこにふわりと柔らかい感触がおりてきた。

 瞳を開くと目の前に、目を閉じた隼人さんがいた。


 うわっ……。

 

 私は身体を固くした。

 もう無理死ぬのでは??

 私の髪の毛はふわふわすぎて前髪が作れない。だから左右に広げて落としているので、つねにおでこが全開になっているのだ。

 おでこに太い隼人さんの指が触れる。そして優しい声が下りてくる。


「……晴日、がんばったね」


 ご褒美嬉しいけど……慣れない……全然慣れない!! すっごく好き……!!

 私は石団子みたいに身体を固くして隼人さんの前で小さくなった。

 隼人さんは私を抱き寄せながら笑った。

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