第12話 一歩前へ


 おにぎり屋さんの朝は早い。

 徹夜してる時に外を見てると6時ごろに動き出しているのが見える。

 だから朝ごはんを頂くなら、開店前の6時半くらいがベストだろう。

 隼人さん本人が目の前に居ないと、こういう脳は働くから我ながらよく分からない。


 私は6時にむくりと起きて、頑張りすぎない程度に髪の毛を整えて隼人さんに『おはようございます』とLINEを打った。

 すると数分後にふすまがトントン……と軽くノックされた。

 静かに開くと、そこにお盆を持った隼人さんが正座していた。まだ仕事着ではないラフな部屋着姿に、ドキドキしてしまう。静かに挨拶してくれて、部屋の中のちいさなちゃぶ台にお盆を置いてくれた。

 内容は一番最初に隼人さんが持ってきてくれたのと同じ……梅茶漬けだった。

 

「いただきます」

「はい」


 私はお礼を言って食べ始めた。

 あの時は泣きそうになりながら食べていたけど、今は全然違う。

 でも別の意味で……心臓が痛い。

 隼人さんが正座した状態で、じーっと私を見ているのだ。

 口に運ぶのも、食べるのも、緊張する。スプーンを持つ手も軽く震えるほどのドキドキしている。

 隼人さんが口を開く。


「……明日は、お店を休みにしたから、朝いない」

「あっ、そうなんですか。わかりました!」


 そんな毎日朝ごはんを要求するつもりなんて全く無かったけど、そう言われるとそう答えざるを得ない。

 でも明日は平日だ。おにぎり屋さんが平日にお休みするのは珍しい気がする。

 おにぎり屋さんは平日はいつも営業していて、会社の人たちが重宝しているからだ。私はスプーン置いて顔を上げる。


「木曜日にお休みは、珍しいですね」

「声の仕事を増やすことにした。ずっと誘われていた……声優の事務所にも入ることにしたんだ」

「えっ、すごい、わ、楽しみです!」


 ゆっくり話したかったことはこれだろうか。

 どこの事務所か気になるけど、お仕事増えるの楽しみだ。

 そう心底思うけど、少しだけ心が重くなる。

 事務所に入ったら仕事がどんどん増えて、おにぎり屋さんは続けられないだろうな。

 というかそうあるべきだ。本当に素晴らしい声だし演技だと素人の私でも分かる。

 でも私は会社の目の前にいるおにぎり屋さんの隼人さんを先に好きになったので、なんだかとても淋しい。


 自分勝手なものだ。

 だって家に帰った時にキラメキプリンセスの動画を丸キャプしてスマホに入れてきた。今日はこれを聞きながら仕事しよ~~と思っていたし、超絶重たいファンレターを本人に押し付けてるのに、仕事増やされるのが淋しいとは。

 冴えない表情に気が付いたのか、隼人さんが聞いて来る。


「……どうした」

「いえ、このお店のおにぎりが大好きなので……」

「店は、祖母が大切にしていた店で、やめるつもりはない」


 元は房江さんのお店なのか。でもやめるつもりはないという言葉に安堵する。

 隼人さんはずっとここにいてくれるんだ。


「隼人さんのお仕事めっちゃ応援します。たぶん世界で一番のファンだという自信もあります!!」

「……知ってる」


 静かだけど部屋の隅まで広がるような優しい声に私の心臓はまた掴まれてしまう。

 私は誤魔化すように残りのご飯粒を一つも残さぬように食べて、お盆の上を整えた。

 そして迷いなく思う。

 声優事務所は芸能事務所と同じだ。

 私のようなよく分からない存在が家に出入りしてるのは良くない。

 というか、私が事務所の社長なら、そんな女は放り出す。


「……お仕事増やされるなら、私はもう来ない方がいいですね」

「どういうことだ」


 隼人さんの声が一気に変わった。

 その声が重くて、完全に怒っているのが声だけで分かって私は驚いて顔を上げた。

 隼人さんの表情はそんなに怒ってないのに、声だけでこんな……。

 私はひるまず口を開く。


「声優事務所も、芸能関係ですから。私も一応読モの管理をしてるので、知っています。やはり私のように無関係な女の出入りはよくないです」


 隼人さんは黙ってうつむいた。

 私はただのストーカー&ファンに戻ろうと思った。

 お仕事の名前も知ることが出来たし、これからはこっそり見てるだけで満足だ。

 ……満足、だろうか。俯いたら視界が歪んできて全然満足じゃないやと悲しくなってきた。

 応援してるのに、応援したいのに、優しい隼人さんをたくさん知ってるから、もう辛いのだ。

 隼人さんが好きなんだもん……。

 強く膝を握っていた指先……ちょん……と触れる感覚があった。


「っ……!」


 顔を上げた瞬間、溜めていた涙がこぼれてしまった。

 見ると隼人さんが私の指先に触れていた。

 そして私をまっすぐに見た。


「無関係じゃ、ない。声の仕事を増やすつもりなんて無かった。でも舞台で君に気が付かれて嬉しくて、その感情に自分でも驚いた。それに手紙も嬉しかった。何度も読んだ。読んで……思った。もっと色んな人に、声を聞いてほしいと思ったんだ。動きたいと、強く思う。今動かないとたぶんずっと動けない。だから……」


 そう言って私の指先に、隼人さんは指先を絡ませた。

 もう身体中が心臓になってしまって身動きひとつ取れない。

 隼人さんの指、私と全然違う。大きくて太い指。

 それに熱い。

 隼人さんは静かに、それでいて力強く私に話しかける。


「君は無関係じゃない。俺の心の奥にまっすぐに言葉を届けてくれて、ずっと動けずにいた俺を動かしてくれた人だ」

「っ……」

「君の素直な感想を読んで、もっと仕事をしたいと思ったんだ。こういう声を聞きたい、動きたいと思った」

「はい」

「だから、近くにいて、見ていてほしい。正直事務所に所属するのは久しぶりで、怖い。でも晴日さんは絶対に応援してくれると信じられるから」


 私は動揺して、ただコクコクと頷いた。

 隼人さんは絡ませていた一本の指先から、手繰り寄せるように私の掌に触れて優しく握ってくれた。

 心臓の音がうるさくて、息ができない。

 どうしようもなく、嬉しい。

 隼人さんが続ける。


「もう少し……この部屋に荷物を置いて、また来ると、思わせてほしい。何もないと、もう来ないのか心配になる」

「……居座りますよ」

 私はもう涙が止まらない。

「俺が、そうしてほしいと言っているんだ」

「っ……はい……」

「俺が仕事を再開しようと思ったのは、晴日さんのおかげだから、ここにいて」


 コクコク頷く私からあふれ出す涙。

 隼人さんは大きな掌で私の涙を優しくぬぐった。

 どうしよもなく嬉しい。私の言葉で隼人さんが一歩歩き出してくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る