お菓子のいただきかた

「さて、お勉強はここまでにして、お楽しみの時間にしましょう」

 先生は、はしによせておいた食籠を持ち上げた。

「茶道では、お抹茶を飲む前にお菓子をいただくのよ」

「食べながら飲むんじゃないんですか」

「食べてから、飲むの。これも茶道のルールよ」

 やっちゃんは神妙な顔をして、コクコクとうなずいた。

「そして、お菓子の取り方にもルールがあるの」

 タエ子先生は、たもとから懐紙(かいし)を出した。猫の模様が入っている。

「これは、懐紙といってね。お菓子やお抹茶をいただくときに使うのよ。今日はわたしのものをあげるわ」

「あ、ネコちゃん!」

「いろんな種類があるから、自分でお気に入りのものを探してみなさい」

 模様つきなんて邪道だ。懐紙に、機能性以外は必要ない。

「まずは食籠、このお菓子入れのことね。これを隣の人との間におきます」

 お先に、のごあいさつ。

「やっちゃんは『どうぞ』で受けるのよ。挨拶されたら、挨拶で返してね」

「はい」

 やっちゃんは、言われたとおりに礼をする。

「そうしたら、正面に置く。少し持ち上げてね。これを押しいただくといいます。お菓子への感謝をあらわします。それで、懐紙を前に置く。黒文字を懐紙の上に置いて、蓋を開ける」

 先生は蓋を開けて、左手右手左手と手を持ち直して、ひっくり返す。食籠のとなりに置く。

「黒文字も持ちかたがあるの。よく見ていてね」

 右手で上からかぶせるように持ち上げ、右手のすぐそばを左手で持つ。右手をすべらせて、おはしの持ちかたに。

 お菓子を手に取る時、左手は食籠にそえておく。お菓子を懐紙の上に置いたら、懐紙の右上で、黒文字の先のよごれをふき取る。

 そこまでしたら、さっきの逆再生。右手をすべらせて、黒文字を上から持ち、食籠の上に置く。そこまで終われば、先生はやっちゃんとの間に食籠を置いた。待ってましたとばかりに、手をのばすやっちゃん。先生は待ったをかけた。

「本当は蓋を先に拝見に回すのですけど、お茶が出ちゃうからまた今度にしましょう。やっちゃん、隣の人に、『お先に』というのが先よ」

 やっちゃんはこっちを見た。

「お先に」

「どうぞ」

 最低限のあいさつだけをすませる。

「じゃあ、さっきのを真似してやってみて」

 やっちゃんは、食籠を持ち上げて正面へ。懐紙を前に置く。黒文字をつかんで、左手で少しあつかって、右手をすべらせる。おはしの持ちかたにして、お菓子に手をのばす。

「よく覚えているわね」

 先生のほめ言葉に、やっちゃんはへへへと照れ笑いを返した。

「今日は上庸(じょうよう)まんじゅうよ。菓子楊枝を使わずに食べられますからね」

 まだ茶道具を持っていないやっちゃんのことを考えてのことだろう。当然の気づかいだが、なんとなく面白くない。わたしはやっちゃんがいない左へ顔を向けた。

 左となりに座っている中井さんは、わたしたちのやり取りなどお構いなしに、綺羅さんのお点前を見守っていた。

「綺羅さん、茶杓をにぎっている指はそろえて。お道具を取る時も指はくっつけてね」

「はい」

 綺羅さんはまだ緊張がほぐれていないようだった。苦労しながら、お抹茶をすくう。

「やっちゃん、お饅頭はこうして割って食べるの。……あれ、もう召し上がったの?」

「ふぁい」

 口を大きくもごもごとさせているやっちゃん。

「一口で頬張るものじゃないですよ」

「ふぃいまふぇん」

「言うのが少し遅かったわね」

 ごっくんと飲みこんだやっちゃん。綺羅さんはツボに入ったのか、笑いをこらえている。

「ひとくちで……ふふふ」

「綺羅さん、集中」

「すみません」

 綺羅さんはすまし顔にもどって、お棗の蓋をしめた。その上にお茶杓を置く。

 柄杓に手をのばして、お湯をくむ。合いっぱいに湯をすくい、必要な分だけ、お茶碗に入れる。残った分はお釜の中に戻す。

「合一つぶん高く上げて。ひじもまっすぐのばす」

「はい」

 綺羅さんの右うでが、少しだけ高く、のびあがる。もどし終われば、柄杓をお釜にかけて、茶筅に手を伸ばす。

「ここ、好きです。茶道っぽくて」

 そう、茶道と言えば、この茶筅を振るところだろう。シャカシャカと小きざみな音が心地よい。だけど、わたしはこの所作が一番嫌い。最も雑念が入りやすいからだ。

 もう少し振ったほうがいいのだろうか、お湯の温度は熱すぎやしないか、茶室の空気はどうだろうか。色々なことが、頭にうかんでは消えていく。そうすると、決まって自分を見失う。どこまで点てたらいいのか、分からなくなる。

 一華庵のときはちがった。あのときは、お抹茶の点て具合どころか、どんなふうに、どんな手順でお点前をしたのか。なにも思い出せない。まわりの人から好評だったということは、そつなくつとめを果たせたのだと思いたい。

 あの時の感覚。

 また、一華庵でお点前をすれば、体験できるのだろうか。もういちど味わいたい。

 あそこにまた座りたい。そのために、やっちゃんに邪魔をされるわけにはいかない。

 先生に、やっちゃんよりもお点前にふさわしいと思ってもらわなくては。

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