第4話 新青とカナリア
久繰里家から海岸の繁華街へは、坂道を降りて10分ほど歩くことになる。車は町営パーキングに駐めてあるとのことだった。海開き直前とのことで町は観光シーズンに向けての準備で活気があった。
ここ
名前の豪奢さとはうらはらに実際は鄙びた漁港で、観光朝市も宿泊客相手にシーズンだけ開催されているに過ぎない。それでも代々住んでいる山の素封家久繰里家と、網元の永瀬浜家と、町の檀家を一手に引き受けている
「子どもの頃のイメージだと江沼市の海の奥座敷って感じで観光船の本数も多かったと思うのだけれど、今はそうでもないのかな」
夏休みに観光船で海水浴場のある黄金浦に行くのは、バカンス気分を味わえた。
「現在は人口約3000人」
「3000人、となると、中高一貫のマンモス校くらいかな」
「そうなるね」
「もともと漁港として拓かれた町だから、先住の人達自体が少なかったんじゃない」
「10年前は約5000人、20年前は約5500人。その前はその前後」
「ここ10年ほどで急に人が減ったってことね」
「観光しか産業がないとなると、人口は減り続けるだろうね」
「え、漁業がメインで観光業の方が従ではないの。それに農業だと枇杷があるよね」
「枇杷は観光業の一部」
竹園灰は断言口調だ。
「そっか」
「漁業では深海魚が珍しがられるけれど、そういったものはあくまで観光地で食べるから食指が動くのであって、普段の食卓に乗せようとは思わない」
「言われてみれば」
江洲楓は、竹園灰の週末の手料理を思い浮かべてみた。
南欧料理にこっていた時には、いわしの塩焼きサルディーニャス・アサーダスの代わりに深海魚のメヒカリを使って炭火焼きにしたり、海の幸のリゾットアロス・デ・マリスコスには、アカムツやユメカサゴ、アカザエビ、キンキにタカアシガニまでをたっぷり盛り込んで煮込んでいた。
さらに駿豆半島産深海魚尽くしのフルコースもあったが、それはあくまで趣向を変えたい時のセレモニーメニューだった。
刺身、寿司、鍋、煮つけ、天ぷら、炙り焼きと和食もお手の物の竹園灰は、素材の持ち味を十分に生かした料理を作ってくれる。
「そういえば、パスタには登場してないね、深海魚」
「トマトやチーズとの相性が今一つ」
「アンチョビはガーリックとオリーブと合わせてパスタにするよね」
「カタクチイワシの塩漬けね、何かで代用して作ってみようか」
「新メニューできたら味見よろしくね」
「了解」
話題が一区切りついたところで「さて、とにかく枇杷観音のお姿を拝みに行こう」と竹園灰に促されて、江洲楓は久繰里家を振り返って見てから歩き出した。
枇杷観音は碧浪寺の境内の御堂に安置されているとのことで、まずはそこに行ってみることにした。
「お寺は人の出入りが自由だから、お参りしながら何か情報を得られないか注意してみよう」
江洲楓ははりきっている。
「地元の人やお寺さんがよそ者にやたらなことをおしゃべりするとは思えないけど」
竹園灰は江洲楓が走り過ぎないようにけん制する。
「よそ者でも観光客は大事な現金資源だから、まあ、言ってみれば観光客は夏のボーナス」
「ボーナス、ね」
「町の歴史は、ここでは、久繰里家の歴史でもあるのよね、だからその辺から攻める」
それを聞いて竹園灰はようやく同意を示す。
「黄金浦の山の歴史か」
「そう。カラス玉がウランガラスだとすれば、鉱山開発と関係ありそうじゃない。金が採掘できなくなってから新たな鉱脈が見つかったとか」
「それがウランだったってこと」
「そう」
「金の鉱脈を探しているうちに、他の鉱脈が見つかることはあったと思う」
竹園灰は腕を組むと首を傾げた。
「ウランなんて危ないもの、もしちょっとでも発見されたら即鉱山立ち入り禁止で政府に接収されるでしょ」
「そこは、ほら、採掘されるのは微量だったから商品開発に使うとか何とか言って」
「そううまくはいかないでしょう」
「でも、実際に工業製品として実用化されてたわけだし、ウランガラス」
「それはそうだけれど。当時は着色料の一つとして認識されていたみたいだから。線量も自然界にあるものほどの微量みたいだもの」
「危ないガラスといえば鉛入りのガラスも普及してたけれど含有量の検査が厳しかったんだよね」
「そうだ、ちょっとこれ見て」
江洲楓は歩きながら自宅の書庫で見つけたというA4サイズの中綴じの冊子をショルダーバッグから取り出した。表紙には『江沼市産業目録』と印字されていた。
「また、マニアックなものを」
「社内報とか月報とか目録ってけっこう面白いのよ。時代のリアルが伝わってくるっていうか」
「それはわかるけどね、で、これはどこが面白いの」
江洲楓は目次の一点を指差した。
「江沼市産業目録 目次 1855年 1月15日 黄金浦町 久繰里商会 製造部門 新青」
江洲楓はタイトルを読み上げた。
「1855年って安政元年、日付は11月27日。世界の大国が日本に開国を迫りに来ていた頃、あ、この頃は地震が多かった。あれ、この日付って、下浦湾に来た御露西亜船が座礁して、修理をしに黄金浦にえい航されてきた頃だよね」
竹園灰が日本史で習った郷土の歴史を思い出しながら言った。
当時は異国との交易は許されていなかったが技術力の高い船で乗り込まれてしまってからは、なし崩し的に交流が行われるようになっていた。
「江沼資料館に行けば、明治時代に江沼市になってから現在までのが揃ってる。うちにあるのは幕末から戦前まで。戦時中に一部資料が没収されて、昭和半ばの頃の産業目録もそれに含まれてたみたい」
「で、この久繰里商会というのが、久繰里家のことね。この新青っていうのは」
「それが、ウランガラスのこと。あの蛍光グリーンを表現してるのかな。それまでにはなかった新しい色彩ということを表現したかったのかも。はっきりとはわからない。それから、久繰里商会の製造部門の商標を見て」
「鳥? 」
「そう、カナリア」
「鉱山開発を主業務にしてたから」
「それもあるかもしれないけど、ウランガラスの別名の一つにカナリアガラスっていうのがあるの。ウランガラスはブラックライトの紫外線を当てる前は薄いイエローっぽいでしょ」
「ミネラルライトを当てると蛍光ブルーを発色する灰重石みたいなものだね」
「そう、鉱物の神秘」
神秘ね、と竹園灰は言葉を受けてつぶやくと、
「情報を知らなければ魔法だと思う人もいるだろうね」
と言った。
「神秘は天与だけど、魔法は人の手を通して生み出される、どちらも不思議な現象なのよね」
「不思議だけなら罪はないけれど、惑わすようになると罪になる」
「灰って、リアリストよね」
「楓もね」
二人は顔を見合わせて肩をすくめ合った。
「さて、さっきの続き。この年代と日付の記載は、ウランガラスが明治期に入る前に作られてたってこと」
「そう。硝子会社の資料では明治10年代ではないかってされてるらしいけれど」
「確定はされてないんだ」
「当時の現物が発見されてないみたい」
「そうなんだ」
「で、これは私の考えなんだけど」
おもむろに八洲楓が言葉を続ける。
「御露西亜船が修理のために黄金浦にきた時に、地元と友好関係を築こうとして献上品を持参したらしいのよ。枇杷観音をお守りしている碧浪寺の宝物庫に保管されてるそうなんだけど、その中に当時としては珍しい貴重な品としてガラス製品があって、その中にウランガラスもあったんじゃないかな。あの蛍光グリーンは神秘的だし、あの色と光が生まれるのはちょっとしたからくり風な面白さがあるから、これはいけると思って製造研究を始めたのじゃないかな。そう、どこよりも早く」
「まあ、筋が通ってはいると思うけれど。でも、久繰里家の事業のメインストリームにはならなかったんだよね、結局」
「ウランを使うというのは、いくら安全性が保証されていても印象はよくないもの」
「それだけかな」
「多分、商いの軌道に乗せるほど採掘できなかったんじゃないかな」
「そのあたりが現実的な要因だろうね」
「夢とロマンの光のマジックは、リアルな支援がないとお披露目できないものだったってことだね」
「そういうこと」
「それでも、ささやかながらも採掘されたものを使って、手元で愛でるためにウランガラスの製造はしていた。実際神秘的できれいだもの、きれいというより美しい、美しい上に魅惑的、魅入られてしまいそう」
「製造はしていたけれど、コレクターズアイテムになるようなものはできなかった。それはつまり採算がとれないってこと。採算がそれないものへの見切りの早さが、久繰里家が繁栄した要因の一つだと考えられる」
「カナリアは鳴かず飛ばずで歴史に眠る」
江洲楓はバッグにしまってあるカラス玉のペンダントの蠱惑的な輝きを思い出した。これはもしかしたら当時のものなのだろうか、歴史的価値のある日本でのウランガラス第一号製品立ったりする可能性があるのかもしれない。
「珍しくて美しいものという以上の私たちにはわからない価値を、当時の久繰里家はウランガラスに見出していたのかもしれない」
江洲楓の考えを察したのか竹園灰が言った。
「そうね。碧浪寺の宝物庫にカラス玉につながるものがあるかもしれないから、見せてもらえないか頼んでみましょう」
「宝物庫の御開帳は普段はやってないのでは」
「拝観料を払ったら見せてもらえないかな」
「浄財です、ってこと」
「お宝見せてください、ってことだと交換条件になるから、浄財というニュアンスからははずれるんじゃない」
「そこ、そういうとこの指摘、うっとおしがられない、ふだん」
「まあ、そうかもね、流してるから気づいてないかも」
「楓、そこが重要。楓のそういう小さな細かな気づきとそれを口に出して指摘すること、すごく大事だよ、何かを解決しようとする時に」
「あ、ありがと、ほめてくれてるんだね、灰」
「わからなかった? 」
「ん、ちょっと、まわりくどかった」
「この先も、その調子で」
「了解です」
二人は碧浪寺の境内へ入っていった。
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