第11話 知らざる者からのエール



いつの間にかヒノキはどこかへ消えていた。

道の先、遠くの方にまたあのお爺さんが見えて、瞬きをしたら、いつの間にかお爺さんはさくらの目の前まで来ていた。


「どうだった?良い思い出だったろう。」


おじいさんは得意げに言った。


「全然。思い出さないほうがマシだった。」


さくらは間髪入れずにそう言い捨てた。

おじいさんを見ることすら嫌だった。


「なぜ?」


おじいさんは、さくらに笑いかけた。相変わらず、手を後ろに組んでいた。


「一人だってことを、嫌になるほど自覚させられるからよ。」


さくらは静かに言った。楽しい思い出は心の中にあっても、さくらの元気の素になるものではなかった。


「あんなに楽しかったのに。」


さくらはポツリと呟いた。そして、堰を切ったかのように、次々と言葉が溢れだした。


「何で皆自分の相手だけを大事にして、私を大事にしてくれないの。」

「皆、自分さえ良ければ良いのよ。」

「あの人たちのせいで私は心底不幸!誰かの幸せなんて何にも面白くない!」


最後はほとんど大声で叫んでいた。

涙は止まらずに、さくらはそれを別に拭おうとも思わなかった。

おじいさんはただただ優しく笑ってさくらを見た。決してさくらの言ったことを否定しなかった。うんうん頷いて聞いていた。


「楽しい思い出は、時に人を悲しい想いに駆らせることもある。それは君が今、あの時より日常を楽しめていないからだね。責任や、結婚しなければという使命感が肩に重くのしかかる。また、夢を達成していく友達を祝福することも出来ない。何故なら君は孤独だからだ。孤独だと毎日染みるほど感じているからだ。」


おじいさんは、さくらに少し顔を近づけて言った。


「だから忘れたんだ。」


「楽しい思い出を忘れてしまえば、その時と今の生活を比べることもない。」


さくらは、手を痛いくらい握った。「何が駄目なの。」と、心の中で何度も叫んだ。


「私は、決してそれを駄目だとは言っていない。人間は、時にそういうことがあるものだと知っている。けれど、君にはあの記憶が必要だと思ったんだよ。」


おじいさんは、「少し歩こうか。」と言った。

さくらはおじいさんの後について、奥の社がある方へゆっくりと歩いた。


「君には、出来るはずなんだよ。だって君はここがとても好きだろう。だから、ここに連れてきたい人を探せばいい。誰とここに来たいか、誰とあんな風に楽しみたいか笑いたいか。誰とここで美しい景色を眺めたいか。そうすれば君はきっと君の思う幸せを手に入れられる。」


さくらは、じっとおじいさんの後姿を見つめた。


「一人で生きていくことが出来る人も、この世の中には沢山いるよ。けれど、君は一人でいることが好きな人ではない。そうだろう?そういう人がずっと一人だと、苦しみ続けることになるだけだ。君は、君のために行動しなければならない。

もう君の中には、ちゃんと答えがあるはずだ。自分がこれからどうしたいか。本当は伊佐の景色を見て、ずっと思っていたはずだよ。誰かと一緒にこの景色を見たい、とね。」


おじいさんは歩きながら、一層笑みを深めた。


「もし、また上手くいかないことがあれば、またここに来れば良い。

 上手くいったらいったでまた来ておくれよ。こっちも寂しいもんでな。」


社の前まで来るとおじいさんは、麻で出来た紐を勢いよく引っ張り、鈴を鳴らした。


「さあもう時間だ。伊佐に来てくれてありがとう、さくら。また、必ず会おう。」


鈴の音が木霊する中、さくらが瞬きをするとそこは真っ暗になり、そして、どこからか光が射した。その光はさくらの足元を細く照らし、それは一気に回りに広がって現実世界を作っていった。

全てが照らされたそこの場所は、満開の桜で埋め尽くされた広場だった。



”さくら、最後の贈り物だ。忠元公園の桜。見たかったろ?”



それはヒノキの声だった。決してあの生意気そうな顔をヒノキはどこにも見せなかった。


”さくら、俺はずっとそばにいるよ”


ヒノキの声はやけに優しかった。さくらは「もう一度、会いたかったよ。」と静かに零した。


”さくら、きばれ!”


ヒノキは最後に力強くそう言った。

さくらがその声を聞いたのが伊佐での最後の不思議な出来事だった。










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