第6話 こっちへ来い
さくらはまた、不思議な感覚に襲われていた。
ここが夢の中なのか現実なのかはわからない。けれど、ふわふわと感覚が浮いているように感じるのでさくらは夢だと思った。牛とおじいさんを見た時と同じだ。またあの歌が遠くの方で聞こえる。
伊佐はとっても いーさ
鳥神山 高くそびえー
そこは真っ暗だった。誰もいないことだけはわかった。どれだけ前に行っても何も見えなかった。自分でも理解できないような不安で泣きそうになるけれど涙は出ない。恐怖だけがそこにある。
小さな頃に、スーパーのエスカレーターの夢を見ることがあった。自分だけが先に上りのエスカレーターに乗ってしまう。父と母は下りのエスカレーターに乗り、こちらに手を振って笑っている。本当は自分も下りのエスカレーターに乗らないといけないのに、上りのエスカレーターは止まらない。焦って階段を下に向かって走るけれど、全然進まない。父と母だけは見えなくなっていく。
「置いていかないで!」
心で叫んでも聞こえない。怖くて泣きそうになりながら目覚める。本当にそんなことがあったとしたら、一言「下で待ってて」と言えば良いのに。夢の中の私は、ただただ恐怖に煽られていた。さくらは、その時のような恐怖をこの暗闇に感じていた。
突然、暗闇の中に何かの気配を感じた。
ポソ、と肩に手が置かれて振り返るとそれは緑色をした何かの手だった。ハッキリは見えない。けれど、それに対して恐怖はなく、寧ろ安心感さえ生まれた。こっちへ来いとでも言うように前を歩く。何故か暗闇なのにそいつだけはさくらに見えた。はっきりと見えたというよりは、その存在をはっきりと感じたという方が正しいだろう。
そいつに付いて行き、少しすると、突然に岩肌の真ん中に光が見える。ここは洞窟のような場所だったようで、外につながる穴が丸く窓のように開けられていた。そして、歩いてもいないのにそれは近づいてくる。流れ続けていたあの音楽も耳の中で大きくなっていく。目の前がその窓の光で真っ白になって、さくらは目が覚めた。
部屋は少しだけ明るくなっていた。さくらは温泉に入ろうと思った。今入らなければならないと思った。あんなにはじめは渋っていたというのに、誰がいても構わないという気持ちにすらなっていた。脱衣所まで早足で歩いて、服を脱いで、タオルを体に巻きつける。外に出ると、朝の透き通った空気の中で雲や空や大自然が、さくらを出迎えた。待っていたかのように、さくらを包み込んだ。少し熱めの温泉に身体を預け、さくらは景色を見ながらしばらく動かなかった。
そのあと、部屋へ帰ってまたひと眠りした。そのあと、朝食をいただいて、ガラッパ荘を出た。ガラッパ荘の出口には、昨日出迎えてくれた河童の置物があった。
何となく、夢の中のあいつに似ている。
「君だったんだ。」
さくらは笑みを河童に向けて、手を合わせた。
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