第3話 姉ちゃん

 木漏れ日のさすうららかな学食のテラス。白のアンティーク調チェアに腰掛け、ベージュの巻髪を揺らした少女が笑みを浮かべてアフタヌーンティーを楽しんでいた。

 フォークの先には甘いものが大好きな彼女の舌を満足させるザッハトルテ。

 丈の短いプリーツスカートと白ブラウスは女生徒たちと同じような若さを保つ魔女の彼女にはお似合いの恰好だが、そのうえに羽織った黒のローブが、彼女がこの学院で悪魔学を専門にしている教師だということを示している。


 トイス=チャーリュフ。カインの十歳上の姉――かつて、とても仲の良かった、姉ちゃんだ。


 だが。そんな彼女の向かいでケーキを頬張るのはもう自分じゃない。

 「美味しいねぇ」と笑みを向けられ、「そうだね」と返すのは、銀糸の髪に湖底を思わせる蒼を湛えた巻き角の少年だった。


 あの日。姉ちゃんが初めて召喚した悪魔は人でいう十歳程度の愛らしい見た目をしたあの怪物だ。

 ベルフェゴール。今や亡き魔王の直系配下、七柱のうちのひとり。魔界においては最強の集団。その一画に名を連ねる知る人ぞ知る悪魔だった。

 破格の召喚獣を引き当てた娘の才覚に狂喜乱舞する両親をよそに、少年はそのむせび泣きを「五月蠅い」と一蹴した。その瞳を冷たく震わせただけで、両親の心と身体は冬の湖底に引き摺られたかの如く凍りつき、少年に連れられて何処へともなく出て行く姉を止めることすらかなわなかったのだ。


 昔から、「大きくなったらここを出ようね」と約束していた。そんな姉を、あいつが勝手に連れ去ったのだ。カインよりも、一足先に。

 なにせ実家は復讐に憑りつかれた悪魔召喚士一族だ。いつ生贄にされてもおかしくない環境で一刻も早く家を出たかった姉にとって、それは救いだったといえるだろう。だが、取り残されたカインは唯一の心の支えを失い、両親の邪な期待を一身に背負う羽目になったのだ。


 そんな姉に、今更なんと声をかけよう。


 放課後、午後三時過ぎ。物陰に潜んで二人の様子を伺っていたカインとサリエルは、「ティータイムを邪魔するな」という悪魔の無言の圧により、その場から一歩踏み出せずにいた。

 しかし、主のためにも――

 金縛りに負けじと冷や汗を拭って、サリエルが踏み込んだ。


「あの……!」


 声をかけられ、トイスとベルフェゴールが視線を向ける。

 目が合った瞬間。トイスは驚きに目を丸くした。


「え――カイン……?」


 黙っていると、彼女はフォークを放り出して駆け足で傍に寄って来る。


「猫毛の金髪、瓶底メガネ……間違いないよ! カインでしょ!? 大きくなっても私が見間違うわけがない……あんた、この学校に入学してたの!?」


 トイスの担当は五、六年の上級生だ。一年のカインは名簿を手にする機会もそうそうないのだろう。無論、連絡先も知らない。

 だが、ベルフェゴール程の悪魔であれば学院内の血縁者――カインの存在には気がついていたはずだ。入学からこの半月近く黙っていたのかと思うと、やはりいけ好かない。あいつはそうやって、姉をいつも独り占めしているのだ。

 

 トイスはおもむろにカインのメガネをずり上げると、瞳に薄っすらと涙を浮かべる。


「カイン……カインだぁ……! また会いたかったよぉ……!」


「……っ!」


 ぎゅーっと強く抱きしめられて、二の句が継げなくなる。


 本当は、言ってやりたいことが沢山あった。

 あのあと大変だったんだぞ。

 両親に邪眼を植え付けられて、人と魔法の特性が勝手に見えるようになった。

 目に映る情報が多すぎて、人混みに出ると酔うし、吐くし、喋れないし。

 慣れるまでは地獄だった。だからこれまで、下ばかり向いて生きていた。


 頼りの姉ちゃんはいなくなるし、魔法の修業はエスカレート。

 でも、それでも会いたくて。苦労してこの学校に入学したんだ。


 天使を召喚して、契約して。

 これからボクは悪魔と無縁の生活を送るんだ。

 まっとうな大企業にも労せず就職できるだろうし、動画配信が軌道に乗ればそれすらせずに沢山のお金が手に入る。

 もう一族を捨てて何処へでも行ける。

 ボクは自由だ。勝ち組なんだ。

 ざまぁみろ……


「うっ……くっ……」


 何も、言えなかった。


「カイン? どうしたの……? お腹痛いの? 大丈夫?」

 

 そう言って、そっと優しく背をさする。その手が何も変わらなくて。

 カインは思わず涙をこぼした。


「姉ちゃん……」


 その様子を、天使は黙って見守っていた。

 ここに来るまでは散々嫌がって、姉に対して悪態をついていたのに。


『サリーがそこまで言うなら会ってやる。でもこれはアレだ。あくまでボクがネカマVtuberとしてどう振る舞ったら女っぽく見えるかっていう、研究の為なんだからな。ボクを女にしたときのモデルやデザインは、悔しいけど姉ちゃんが一番参考になるからな』


 ……なんて。そんなの言い訳ですよね、マスター。


 少年は天使を召喚して、もう頑張らないと決めた。

 これからは楽して、自由に生きていくんだと。

 でも、天使は知っている。

 少しだけだけど、召喚されてからずっと彼の傍にいたから。

 本当は、『自由だ。勝ち組だ』って、言いたかったんでしょう?

 お姉ちゃんに、もう何も心配いらないよって。


 天使は、椅子に腰かけたままにやりとザッハトルテを舐める悪魔に視線を送った。

 いくら自分が天使でも、あいつに本気で睨み返されたらきっと強力な呪詛を受ける。でも、それでも。自分を必要としてくれる彼の為に、何があっても守ってみせる。

 そんな決意に、悪魔はふふ、と微笑んだだけだった。


「カイン……ごめんね。本当は、教師をしてまとまったお金が手に入ったら迎えに行くつもりだったの。でもまさか、カインの方から来てくれるなんて。あっちにいるのは天使様?」


「笑っちゃうだろ? 悪魔召喚士エリート候補のボクが、天使様を召喚だなんてさ」


 はは、と笑うと、姉は「笑ったりなんてしないよ」と微笑む。

 そして――


「凄いね。やっぱり、自慢の弟だ」


「……!」


 そうして姉は、今一度強くカインを抱き締める。

 ぎゅっとした両腕を離すと、今度は満面の笑みで彼を迎えた。


「言うのが遅くなっちゃった。ようこそ、カイン! エヴァンス召喚学校へ! 色んな種族が暮らすこの学校では、仲良くできるなら天使も悪魔も関係ないの。凄くない!? でもね、悪さをしたらオシオキだから。気を付けなよ~? 私、一応先生だから。ベルフィに氷漬けにされても知らないからね」


「ベルフィって……あいつのこと?」


 ちらり、と少年悪魔を見やる。カインにとっては姉を攫ったいけ好かない奴。だが、話を聞くに彼はあくまで姉の召喚獣。彼の願いを姉が叶え続ける限り、サリエル同様頼りになる友人なんだとか。


「私ともども、仲良くしてね」


 差し出された姉の手を、そっと、そーっと握り返す。


「姉ちゃんがそう言うならまぁ……でも、ボクにだって色々言いたいことはあるんだ。勝手に出て行ったこととか。姉ちゃんがボクの配信に協力するなら、許してやらなくもないよ」


「配信? なんの?」


「天使様のおみあしチャンネル」


「なにそれ??」


 きょとんと覗き込む姉は、二十四とは思えぬ若さと愛らしさの持ち主だ。元から故郷では数年に一度の美少女と謳われていたが、七年ぶりに会って一層スタイルが良くなったようにも思う。天使と姉キャラの二大タッグか……姉ちゃんには教師属性も付いてるし、案外アリかもしれないな。


 そんな姉に、これまでのお返しと言わんばかりに協力して貰おうかな。

 カインはにやりと笑みを浮かべた。


「姉ちゃん、これからはVtuberと動画配信。スパチャと広告収入の時代だよ」


 そうやって今度こそ。楽しい思い出を沢山作ろう。


「一緒に動画で天下を取るんだ。そうすれば、きっとボクらは勝ち組さ」


 背を押してくれた天使に感謝し、カインは姉の手を握り返したのだった。


                            FIN

  


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最強の邪眼を持つ少年、天使の召喚に成功したのでこれからはVtuberして生きていく 南川 佐久 @saku-higashinimori

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