第十九章 初めての後悔


「花園、ひまり……?」


 忘れもしない、その名は――前世で私の妹だった少女の名前。


「前世では、お姉ちゃんが私を守ってくれていた――」


 グラスリーが泣きながら話し始める。


「でも、お姉ちゃんが死んだ後、私はお母さんからネグレクトを受けるようになった――」


 私は自分の事しか考えていなかった。

 自分が死ねば、その矛先はひまりに向くと分かっていた筈なのに――どうして、私はあの時死ぬ事を選んでしまったの……?


 公爵とお兄様は、グラスリーが何を話しているのか理解出来ていないようで顔を見合わせていた。


「お父さんは見て見ぬふり――助けてくれる人なんていなかった。だから、死んだの。屋上から飛び降りて。ゲームの世界のように異世界転生して、グラスリーのように幸せな人生を送りたかったから」


――どういうこと?


 まさか、ひまりは自殺を選んだというの? ――私のせいで?


「そして、私は思い通りグラスリーに転生した――なのに、ゲームみたいな幸せな人生は、送れない……」

「グラスリー、これから幸せになればいいじゃないか――」

「そんなの無理に決まってるわ! もうお父様にバレてしまったじゃない! 貴方はバレずに上手くいくって言ったのに!! 嘘吐き!!!」


 もうお兄様の声すら届かなくなってしまった。

 グラスリーに否定されたお兄様は二の句が継げず、視線を下げた。


「私の味方はお姉ちゃんだけだった!! 家では誰にも相手にされず、学校では虐められる!! お姉ちゃんだけが私に優しくしてくれた!! きっとお姉ちゃんが生きていたら、私の事もお母さんから守ってくれた筈よ!!」


 その瞳から大粒の涙が零れ続ける。


「お姉ちゃん!」


――やめて。


「お姉ちゃん!!」


――もう、やめて!


「お姉ちゃん!!!」

「止めて!! 花園立香はもう死んだのよ!!!」


 今度は全員の視線が私へ集中する。

 ハッとして、両手で口を塞いだ。


「――どうして、お姉ちゃんの名前をフローリア様が?」


 聞こえてきたのは、困惑。


「お姉ちゃんを知っているの?」


――違う。


「まさか――」

「違う!!! そんな人知らないわ!!! 私の名前はフローリア!!! フローリア・ミリー・ヴィシュバルドよ!!!」


 それだけ吐き捨てて、私は走り出す。


 一刻も早くあの場から去りたかった。

 一刻も早くあの瞳から逃れたかった。


 どうして――?


 私だけが死んだと思っていたのに、大地君がいて、ひまりまでもが転生していた。


――そんなバカな。


 こんな偶然があるかしら? そして、何より――




 私は、最愛の妹をなぶり続けていた。




 この世界では腹違いの姉妹だとしても、元々赤の他人だと思っていたから出来た事なのよ?

 それが、前世で唯一救いだと思っていた妹だったなんて――

 その事実が重たくて重たくて。形容し難い感情が溢れる。

 その感情を振り切りたくて走って走って走った。

 息が上がる、肩で呼吸をしても苦しくて仕方が無い。

 これが悪事を働いた代償? あまりにも大き過ぎる……。

 どうしたら、楽になれるの?


 誰か助けて――


「きゃあっ」


 ズザァッ!!


 足が絡まって転んでしまった――無様ね。今の私にお似合いだわ。嘲笑が漏れる。


「大丈夫か?」


 その時、目の前に手が差し出された。


「え――」


 その人の姿を認めて、納得する。私に手を差し伸べてくれるなんて、貴方しかいないわね。


「カイトさん……」

「部屋に様子を見に行ったらいなかったから、探していたんだ」


 私はその手を取って、起き上がる。


「怪我はしていないか?」


 カイトさんも膝を付いて、私の背を支えてくれた。


「ええ、平気よ。少し膝が痛むだけ」

「見せてみろ」

「嫌よ」

「怪我をしていたら大変だ」

「平気だと言っているでしょう?」

「いいから」


 私の制止も聞かず、カイトさんはドレスを少しめくって膝を確認する。


「血は出ていないようだが、少し擦れているな」

「心配いらない――」

「おい、救急箱をフローリアの部屋に」

「承知致しました」


 気付かなかったけれど、カイトさんの背後に執事もいた。カイトさんが指示を出すと、迅速に行動する。執事まで使って……大袈裟よ。


「きゃあっ!」


 なんて思っていると、体が宙に浮いて、思わずその体にしがみつく。


「か、カイトさん!?」


 お姫様抱っこをするなら事前に言ってくれないと困るわ。


「足を怪我しているのだから、歩くべきでは無いだろう?」

「歩けるわ!」

「いいから。俺がしたいだけなんだ」


――本当に変な人。


 さっき引っ込んだものが、また溢れてきそうになる。カイトさんの優しさは、いつも私を狂わせるの――。


「何をしていたんだ?」

「え?」

「転んだところなんて初めて見たが」

「――野暮用よ」

「そうか」


 私はまた突き放すような事を言って――でも、カイトさんはそんな事気にしない。

 男性と話していたら異常な嫉妬を見せるけれど。面倒なのはそこだけね。


「フローリア」

「何?」

「結婚したら、どこに住みたい?」


 随分急な話ね。


「どこでもいいわ」

「ヴィシュバルド国やバーラン王国以外でもいい。他国でもいいし、田舎町でもいい。どこかないか?」

「田舎町……?」


 そういえば、と追放されていた時期に住んでいた田舎を思い出す。

 あの場所が長閑のどかで良かったかもしれない――


「そうか、田舎がいいのか」


 何で分かるのよ。


「俺も田舎がいいな。王位継承権なんて有って無いようなものだし、どうせならフローリアと二人で静かに暮らしたい」


――何を言っているの?


「何かあったの?」


 ずっと前を向きながら歩いていたカイトさんがちらっと私へ視線を投げる。


「それは、フローリアだろう?」

「え?」


 何を言われているのか分からなかった。


「もうこんな国出て行こう。ヴィシュバルド国もバーラン王国も関係無い、俺達なんて知らない人ばかりの田舎で静かに暮らそう。そうすれば、泣かなくて済む――俺が泣かせない」


 泣いている? ――誰が?


「もう疲れただろう? フローリアは良く頑張った」


――私が、泣いているの?


 自分の頬に触れると、確かに濡れていた。

 その手をぎゅっと握りしめる。


 私が何を頑張ったというのかしら? 私はただ、公爵を、お兄様を、バーラン王国を陥れたかっただけ。


――そして、グラスリーを虐めていただけ。


「着いたぞ」


 私の自室へ着いた時、丁度執事が合流して扉を開けるようにカイトさんが指示を出す。

 中に入ると、ソファに降ろして貰って、カイトさんは隣に座った。

 執事は救急箱を置いて、カイトさんの指示で部屋から出て行った。

 二人きりの部屋で、カイトさんは私の頬に触れて涙を拭ってくれる。けれど、私はまっすぐ前を向いたまま。

 この暖かい手に触れられるのも明日まで。


「――もう帰ってしまうのよね」

「寂しいのか?」


 口が勝手に言葉を紡ぐ。


「寂しいわ」


 だって、今の私の中にあるのは虚無だけだもの。

 公爵を陥れようと始めた悪事――いいえ、その前から。


――グラスリーを虐めていた時から私がしている事なんて間違っていた。


 もっと言えば、前世での私の振る舞いだって間違っていたわ。

 私が正しかった時なんて一瞬たりとも無いのよ。


――どうしたら良かったのかしら?


 お兄様とグラスリーは公爵――お父様にこってり絞られて、お父様は『アヘン』も止めるでしょう。きっと、バーラン王国との友好関係だって白紙になる。そうすれば、私とカイトさんの縁談も破談になるわ。


――私の目的は遂行される。


 なのに、あのたった一言が耳から離れないせいで、心は晴れない。


『私の名前はグラスリーじゃない!! 花園ひまりよ!!!』


 グラスリーがひまりだったなんて――。


 私は悪役令嬢として、自分がしてきた事に誇りを持っていた。

 でも、今は後悔している――こんな感情は初めてだわ。


「嬉しいよ、フローリア。素直になってくれて。いつでも、会える。フローリアが呼んでくれたら、いつだって駆けつける」


 カイトさんが抱き締めてくれる。励ましてくれているのでしょうね。

 でも、私の心が晴れる事は無い。

 カイトさんがずっと傍にいてくれたら、少しは変わるのかしら?


「俺の前では着飾らなくていい――もう、悪役でいる必要は無いんだ」


 そこで私はやっと気が付いた。


――そうよ、私は悪役令嬢よ。


 カイトさんと一緒にいた日々の中で薄れてしまっていたのかもしれない。


 自分が悪役令嬢だという実感が――。


 悪役令嬢には悪役令嬢のケリのつけ方があるわ。

 私はカイトさんの腕の中でほくそ笑んだ。そう、いつもの微笑み方で。


 見せてあげるわ。私の一世一代の幕引きを――。





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