第25話 信太森

 信太森しのだのもりは現在の大阪府和泉市にある。


 安倍保名あべのやすなと葛の葉姫の恋物語は文楽や歌舞伎でも有名だ。


 『葛の葉』は室町時代に安倍晴明の出生説話のために付けられた名だが、その正体は白狐であり、安倍晴明の母である。


 7歳の童子丸(安倍晴明の幼名)に正体がばれ、行方をくらませた白狐はここ信太森へ舞い戻ったと言われている。


「安倍晴明の母のいる地か。なんだか凄く神聖な場所にやってきたって感じだな」


 日没時刻を過ぎ、俺はいつも通り人目のないところで幽世へと入った。


 辺りには誰もいない。


「過去二回は両方とも鳥居の下に誰かしらいたんだけどな」


 などと軽口を叩きながら赤の鳥居と灯籠の立ち並ぶ参道を抜け本殿に近付く。


 すると、そこには綺麗な和服の女性が立っていた。


「お待ちしておりました。加納様でございますね。お話はお聞きしております。師範を務める者があいにく留守にしておりますので、戻るまであちらでお待ち下さい」


 そう言うと女性は、本殿の左にある立派な建物を指し示した。


 ここまでの道のりをネット検索した時こんな建物あったっけ?


 幽世は死者の霊気により成り立っている世界。これも妖怪達と同じように幽世特有のものなのだろうか。


「ありがとうございます。宜しくお願いします」


 女性に促され建物に入ると、内部はとても豪華な作りになっていた。


 天井や柱には天女の絵が描かれ、五十畳はあろうかという板の間の中央には八畳ほどの畳が敷かれている。

 

 い草のなんとも言えない芳しい香りを嗅ぎながら、俺は当主の帰りを待った。


 い草の成分に最も多く含まれるヘキサナールはリラクゼーション効果が非常に高いという。

 他にも睡眠効率を高め調湿性にも優れていて良いことづくめなのだそうだ。


「暇だなぁ。眠くなりそう」


 幽世内はもちろんスマホが使えない。動きはするものの、当然の如く圏外なのでインターネットや動画を観ることはできない。


 虚無僧からの指示に時間がかかったのは俺の状況を伺っていたからだろう。とすると今回の教練はやはり操術?


 今度はどんな教練なのか。

 当主、早く帰ってきてくれ。


 そんなこんなで部屋に通されてから二時間ほどが経過した。


 未だ女性からの連絡はない。

 さすがに遅い。


「ちょっと聞いてみるか」


 待ちくたびれた俺は状況を確認するため部屋の襖をそっと開けてみた。


 廊下には誰もいない。


「すみませ〜ん!」


 問いかけても反応無しか。

 来た道を通るだけならいいよな。


 玄関からはほぼ一本道だったので迷うことはない。俺が来た道をゆっくり戻って行くと、開け放たれた玄関扉付近に佇む女性が目に入った。


「あの〜、師範の方はまだ戻りそうにないですか?」


 女性はゆっくりとこちらを振り向く。


「申し訳ございません。お忙しい方でして、なかなかお屋敷に戻ることが少ないもので」


 女性は申し訳無さそうに言う。

 

「分かりました。戻られたら教えてください」


 俺は一旦大人しく部屋に戻る。

 しかし、何かがおかしかった。


 振り向く時に一瞬見せた虚ろな目の動き。俺が勝手に部屋を出たから怒ってるのだろうか。


 それに、案内してもらう時には俺が先に歩いていたので気付かなかったが、彼女にはなぜか影がない。

 夕暮れ時といっても幽世内は結構明るい。入口から射し込む光を浴びていれば必ず影ができるはずなのだが、、


 少し雲行きが怪しくなってきたな。


 念のため戦闘準備はしておくか。

 俺はバックの中身を確認する。


 鬼切丸の発動、、よし!

 霊衣の発動、、よし!


 常に神墨と小筆も持ち歩いているので今のうちに快符も数枚作成しておく。


 白紙の札は持ってきていないので、さっき買ったコンビニのレシートで代用した。


 ちなみに、今日の刀身の色は青。


 意識的にそうしているわけではないのだが、もしかしたら仮免以来の戦闘、しかも一人でとなると初の試みになる。


 そんな不安な気持ちを鎮めるため必然的に選ばれた色なのだろうか。


 微妙に揺らめく刀身の青い光を見ていると気分が少し落ち着いた。



 更に小一時間ほど経った頃

 外からすーすーと足を擦りながら近付く音が聞こえてきた。


 俺が固唾を呑んで身構えていると


「失礼いたします。当主がお戻りになりましたので、本殿までよろしいでしょうか?」


 襖が開けられ、さきほどと同じ出で立ちの綺麗な女性が膝をつき座っている。


「あ、はい。宜しくお願いします」


 気のせいか?

 目の動きなどは見間違えの可能性もあるけど。この世界では影が出ないこともあるのだろうか。


 ただ今回もやはり先頭は俺だった。

 前なんて歩きたくないのに。


 結局、言い出すことができず後ろを警戒しながらも俺達は本殿へと到着。


「中で当主がお待ちです。どうぞお入りください」


 本殿入口の襖の前に俺が立ち、彼女は半歩後ろに立っている。


 障子越しに蝋燭らしき明かりが左右に二つ揺らめいていた。

 中の物音は聞こえない。

 入りたくない。

 どうしても嫌な予感がする。


「すみませんが、先に入ってもらえませんか?」


 俺がそう言っても返事はない。

 ふと横を向くと、女性はこちらを向いて満面の笑みで微笑んでいる。


 そして、その口は耳まで裂けていた。


「くっ!」


 すぐさま俺は距離を取る。


 女性の顔はみるみると変わっていき、目は赤く、頭部にメキメキと角が生える。

 体も大きくなり、蛇のような姿へと変わっていった。


『よく分かったな。罠にかかったところを食うてやろうと思うていたものを』


 化け物は俺を掴まえようと口から舌を伸ばす。


 俺はそれをすんでのところで躱し、鬼切丸で切り落とした。

 

「やっぱりそんなことだろうと思ったよ」


 悪い予感が的中してしまった。

 できれば当たってほしくなかった予感が。


 刀身の色は高鳴る心臓の鼓動に合わせるかのように、赤とグレーを交互に繰り返していた。

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