第2話 念願の再会

いよいよ、この日がやってきた。

 

 急行列車の中で、トメラはそう思いながら窓の景色を眺めていたのだった。


 今のトメラは、もはやあの時のトメラとは様変わりしている。

 泣き虫でもなければ、気弱な少年でもない。

 人生で初めて、家族で海外旅行に行った頃は、彼は何もできないかわいい少年であった。

 スマートフォンの操作も、まともにできていたのはSNSの操作や動画サイトへのアクセスぐらいだった。

 だが、今は違う。

 彼の背丈は、あの頃の数倍は大きくなっている。

 決してのっぽではないのだが、電車のつり革を持てるほどの大きさにはなっていた。

 彼は成長したのだ。身体も、そして心も。


 トメラは、胸をドキドキさせていた。

 何しろ、今までSNSのオンライン通話だけで我慢していたのだから、彼に襲いかかるワクワク感と独特の緊張感は、ハンパがなかったのだ。

 彼は窓に向かって、大きなため息をついた。

(はぁ~っ。ミチルと久々に会うなんて、何年ぶりなんだろう……)

 そうつぶやき、トメラは両手に抱えてある、パンパンになった緑色のリュックサックをじっと見つめた。

 青年、トメラ・ズリーブ。21歳。

 あの時からもう、10年目になろうとしていた。


   ☆ ☆


 電車を降りると、トメラは真っ先に人ごみに流れてホームの改札口へ向かう。

 そして、ポケットからスマホを取り出し、改札機のパネルにスマホの画面をタッチする。

 開かれる扉。

 トメラは意を決するように、グッと前へ進んでいく。

 サッサッと、ゴム底の靴による独特の擦れた足音を立て、次々と階段を下りたり上ったりする。

 そして、彼は外へ出て行くのだった。


 トメラは、辺りを見回す。

 そして彼は、空港から5分程度の距離にある公園の広さを計るようにして、あちこちに目をやった。

 だが、そこにいるのはブライト市民の親子や老夫婦ぐらいだ。


 飛行機のエンジン音が、空に響く。


 トメラはふと、天を見上げた。

 小さな粒のような飛行機が、トメラの真上を通過している。


「お待たせ、トメラ。心配かけちゃって、ごめんなさい」


 甲高い声が、トメラの後ろのほうから聞こえてくる。

 トメラは振り向くと、その声の主が誰なのかが一目でわかった。


「大丈夫だよ、ミチル。僕もいま到着したところだから」


「そう。それならよかった」

 彼女は両手を合わせて、ニコニコと笑顔を振りまいている。

 ミチルの雰囲気は、SNSに載せられていた写真の通りだ。

 とても清楚な黒髪に、日に焼けている焦げた黄色い肌。

 美しい鎖骨のラインを露わにしつつも、白いロングスカートをまとっている控えめなファッションセンス。

 彼女の神々しい雰囲気は、相変わらずだ。

「元気そうで何よりだわ」

 彼女の言葉に対して、トメラもとっさに「そっちこそ」と応じた。

「ウツクシ村の人たちも、元気に過ごしてる?」

 彼の素朴な問いに対して、ミチルは少しの間をおいて

「ま、まあねっ」

と、なぜか焦り顔になってそう答えた。

 そして、彼女は視点を大きく変えて、広い人工芝の公園を歩きだす。

「ところで。ブライト市って、不思議な建物がいっぱいあるのね」

 トメラも、ミチルの後をついていく。

「そんなに不思議?」

「ええ。私にとってはね」

「そう」

 ミチルは、指をさしながら言った。

「あそこの建物の上にある金色の物体って、いったい何なの?」

 トメラは、彼女の指さす方を見つめる。

 その指先の向こうには、白いビルの上にある黄金色の彫像があった。

「あれかい?」

 頷くミチル。

「あれは世界的に有名なアーティストがつくったモニュメントみたいだよ」

「そうなの。でもなんだか、雲というか、排泄物のようにも見えるけど……」

「ちょっ、下品なこと言うなよ! ミチルも年頃の女子だろ?」

「だって」

 むきになってふくれるミチルの顔。

 その顔を見ると、なぜかトメラは朗らかな気持ちになってしまう。

「……どうしたの?」

 ミチルは純朴な表情を浮かべて、彼に体を向ける。

 だがそれに対し、トメラはケロッとそっぽを向いた。

「いや。なんでもないよ」

 トメラは、ビルの上にある金色のモニュメントに目を移す。

「ホント、人間って、わからないもんだな」

「えっ?」

「モニュメントのことだよ」

「えっ、ええ……」

 半ば理解した様子で、彼女はトメラと同じほうを向いた。

 広大な公園の人工芝の中で、二人はしばらくの間、じっと動かないでいるのだった。


   ☆ ☆


「おいしい!」

 ミチルは大いに喜んだ。

 そんな彼女の様子を見て、トメラはすごく安心した。

 とはいえ、驚いたものだ。

 まさか、こんな安価なショートケーキで、これほど感銘を受けるとは……!

 彼はそう思いながら、自分のほっぺたをやさしくなでてニコニコしているミチルに言う。

「そう。気に入ってくれてよかったよ」

 すると、ミチルは目を輝かせて隣のトメラに詰め寄る。

「トメラはいつも、こういう所で食事をするの?」

「いっ、いやぁ、そんなことないけど……。というか、近いよ!」

 ふと我に返るミチル。

「あっ、ごめんなさいっ。わたし、つい……」

 興奮気味であるミチルの様子に、トメラは焦り顔になりながら、頭を軽くかいた。

「キミのところには、こういうカフェは建ってないの?」

 ミチルは頷く。

「ええ。そもそも『カフェ』なんていう所に行くのも初めてだわ」

 サラリとそう話す彼女の言葉に対し、トメラは耳を疑った。

「えっ、そうなの?」

「そうよ」

「ウツクシ村には、カフェのようなお店がたくさんあると思い込んでた」

「どうして?」

「いや、どうしてったって……」

 トメラは、つい口をつぐんでしまった。

 そうなのか。

 ウツクシ村には、そういうカフェの文化がないのか……

 彼は心の中でそうつぶやきながら、話題を変えるように努力する。

「ところで、キミはどうやってここまで来たの」

「ヘリコプターよ」

「えっ!?」

 彼は、またも意表を突かれた。

 トメラはてっきり、一般乗客用の飛行機をイメージしていたからだ。

 だが、当のミチルはきょとんとした表情でいる。

「どうしたの、そんなにびっくりして」

「いや、びっくりするよ! だって、ヘリコプターなんでしょ?」

「そうよ」

「キミの家には、自家用のヘリがあったりするの?」

 頷くミチル。

「操縦は誰がするのさ」

「なに言ってるの、自動運転に決まってるじゃない」

「自動運転!?」

「そうよ。そんなにびっくりすること?」

「いやいやいや、びっくりすることだよ! フツーはみんな、一般のジェット機に乗るでしょ」

 トメラの言葉を聞いて、ミチルは自分の顎に手を添えた。

「そうね。たしかにそうらしいわね。でもウチは違うの。ちゃんとした自家用の自動ヘリコプターがあるの」

「すごいなぁ」

 トメラがそう言うと、ミチルはにこりと笑ってよそ見をする。

「別にそんなことないわ。あれはもう中古品だし、危険極まりないのよ。そろそろメンテナンスをしないと」

「はあ」

(ミチルは一体、何者なんだ……)

 彼は頭の中でそんな思いをぐるぐる巡らせながら、彼女をじっと見つめた。

 たしかに言われてみれば、ミチルはほかのウツクシ村の市民とは何かが違っていた。

 よく見れば、彼女は不思議な白装束の服を着てはいるが、その服には汚れひとつついてない。

 首には黄金色のチェーンでつながれた、美しい宝石らしき水色の鉱石のペンダントを身に着けている。

 ふと頭の中でひらめくトメラ。

「キミって、まさか……お姫様なの?」

 それを聞いて、ミチルはつい笑い声をあげてしまう。

「まさか」

 彼女はそう言って、コーヒーを飲み干した。

 コトンッと、ミチルはコーヒーカップを机の上にある白い皿の上に置いた。

「ウチはただの富裕層よ。ちょっと訳ありのね」

「富裕層って……お金持ちってこと?」

「そう」

 ミチルは食事を中断し、両肘をテーブルの上につける。

 そして、彼女はうやうやしく両手を組み出した。

「私の家はね、もともとは有名なお金持ちの家柄なの。でも長く続く不景気で、私の地元・ジーパンの国全体が、とても貧しい状況にあったのよね」

「そうなんだ……」

「ええ」

 ミチルは、ふとトメラから視線を逸らした。

「それでもわたしが生きてこれたのは、お父さんがネットビジネスで生まれた莫大な財産や資産があったからなの」

「へえ~、すごいな……」

「でもそのおかげで、小さい頃に両親が亡くなったんだけどね」

「両親が亡くなった?」

「ええ。……殺されたのよ、お父さんとお母さんは」

 そのことを聞いて、トメラは言葉を失った。


 そうだったのか。

 道理で、小さい頃にはミチルの親についての記憶がなかったわけだ。

 彼女はあの頃から、自分の孤独と戦ってたんだ……


 トメラの目には、涙が溜まってきた。

 その目を見て、ミチルは表情を一変させた。。

「ごめんなさい。急に暗い話をしてしまって」

「いや。ボクのほうこそごめん」

 トメラは必死に目をこする。

 そして、再びフォークを手にして、食事を再開した。


「ところで、トメラは最近何してるの?」

 彼女は必死になって、話題を変えようと試みた。

 それに対して、トメラは答える。

「芸術大学で、劇作の勉強をしてるよ」

 ミチルの表情は一変し、急に明るい口調になる。

「へえ、すごいじゃない!」

「いや、そんな……」

 ミチルは、ケーキを食べ終えた。

 トメラは即座に、ミチルに「おかわりはどう?」と聞く。

 首を振るミチル。

 彼女は話題を戻した。

「トメラは、演劇で食べていこうとしてるの?」

「まあね」

 トメラも、ケーキを食べ終えた。

 ゴクン、と飲み込む音が、彼の体中に響く。

 ミチルは、目を輝かせてトメラを見つめている。

「すごい……!」

「いやいやいやいや」

 トメラは必死に否定した。

「すごくはないよ。まだまともに作品も書ききれないんだから」

「そうなの?」

「うん」

 ミチルの目から、一気に輝きが失われていった。

 そんな彼女の表情を見て、トメラは必死に言う。

「で、でも! ボクはもう、有名劇団で就職の内定が決まってるんだよね」

「えっ、そうなの?」

「うん!」

「すごい……!」

 彼女は再び、目をきらめかせた。

 トメラはデレデレした表情でかるく否定する。

「いやいや、まだ大したことないよ。劇団の内定も、あくまで役者として採用されただけだから。劇作の活動は、まだまだこれからだよ」

 そして、トメラは不意に、テーブルの上にある領収書を手にした。

「そろそろ会計に行こうか」

 ミチルは頷き、ふと両手を合わせた。

「ごちそうさま」

 ミチルの嬉しそうな表情に、トメラはやさしく微笑みを返すのだった。


   ☆ ☆



 一日というのは、本当にあっという間だ。

 ミチルといる時間こそが、トメラの人生において一番幸せなひと時であった。

 その時間は、たとえどんなに長くとも、トメラにとっては一瞬の出来事でしかない。

 時間とは、本当に残酷なものだ。

 楽しい時ほど、早く過ぎ去ってしまうのだから……




 二人は、公園のブランコの上に座っている。

 向こうがわのビルの向こうから、自動車のクラクションの音が鳴り響いた。


「……また、会えるかな」

 彼の問いに対し、ミチルはふと自分の足元に目をやる。

「そうね。きっと、会えるわよ」

「そう……そうだったら、いいな」

 トメラは、ゆらゆらするブランコの上から降りた。

 でもミチルは、ブランコにしがみつくようにチェーンを強く握っている。

「どうかしたの?」

「え?」

 トメラの問いかけに対し、ミチルは表情を一変させる。

「なにか、ボクに隠してることが、あったりしない?」

 彼の問いかけに対し、ミチルは焦り顔になって首を横に振る。

「ううん、別に! なんにもないわ」

「そう?」

「ええ」

 その口調は、明らかに強がっている様子だった。

 トメラはおそるおそる、ミチルに近づく。

「何か悩んでるんだったら、ボクが聞くよ。友達だろ?」

「…………」

 彼のやさしい声に対し、ミチルはふと涙をこぼしだす。

「どうしたんだよ」

「ホントはね、トメラ。……ウチに、帰りたくないの」

「え?」

「ウチに帰りたくないの!」

 ミチルはそう地面に向かって言い放つ。

「ミチル……」

「私、ここでずっと生きてたい。ウツクシ村に、戻りたくなんかない……」

「どうして?」

「理由は話せない。でも……正直いうと、私……ウツクシ村に戻るのが、すごく、怖くて……」

 ミチルの言葉を聞いて、なぜかトメラは声を上げて笑ってしまった。

「何がおかしいの、トメラ。私は真剣なのよ!」

 ミチルの怒りの眼差しが、トメラに向けられる。

それに対して、トメラは両手で制した。

「いや、ごめん。つい昔のことを思い出しちゃってさ」

「え?」

「ボクが初めてジーパンへ行った時、最後になってボクも泣いてたじゃないか。アレを思い出したんだよ」

 そう言って、トメラはポケットからハンカチを取り出す。

「使いなよ」

 うつむいたままの彼女。

 だが、しばらくの沈黙ののちに彼の手からハンカチを受け取り、両目をハンカチでギュッと押さえた。

「ごめんなさい」

「いいよ。このハンカチは、キミにやるよ」

「いいの?」

「もちろん。このハンカチをミチルが持っていてくれたら、ボクとしても本望さ」

「……ありがと」

 トメラはフフッと微笑み、「どういたしまして」と応じた。


 日が傾きだし、ブライト市に夜が訪れる。

 天を仰ぎ見るミチルとトメラ。

「不思議。ここの空って、星が全然ないの?」

「ううん、違うよ。ここの空気が汚れてて、星が見えないだけさ」

「そうなの?」

「ああ」

 ミチルは、ふとトメラの手を握った。

 トメラはカッと顔を赤くし、辺りを見回す。

 幸い、車こそ行き来はしていたものの、周りには誰も人が歩いていない様子だった。

 彼女は人目を気にせず、自分の気持ちを吐露する。

「いつか、トメラの書いた演劇を観てみたい」

「え?」

「あなたがどんな演劇をつくるのか、見てみたいの」

「あ、ああ……」

 彼女の冷たい指先は、相変わらずだ。

 ミチルの心は温かいのに、彼女の手はなぜか、氷のように冷たかった。

 トメラはそんな彼女の握る手をゆっくりと両手で包み込み、ミチルと向かい合う。

「わかった! ……約束するよ。ボク、キミのために演劇をつくってみせる」

「私のために?」

 トメラは頷いた。

「今年から、大学の卒業制作で演劇をつくるんだ。だけど、どんな題材を書こうか迷ってたんだよ。でも、いま決めた! ……ボク、キミのために演劇をつくってみせるよ」

 ミチルの目の奥が輝きだし、彼女は笑みを浮かべた。

「どんな題材にするの?」

「それはまだ言えない。でも、立派な演劇をつくってみせるよ。そしてその演劇を、キミにプレゼントしたい!」

「プレゼント?」

「ああ。キミのために素敵なステージを、必ずつくってみせる。約束だ!」

 ミチルは再び、両目に涙をため込む。

「ミチル。……どうした?」

 ミチルは必死に、両目をハンカチで拭った。

「ううん、なんでもないわ。ただ、すっごく嬉しくて」

 冷たい手で、トメラの両手を強く握り返す。

「ありがとう、トメラ。約束よ?」

「ああ」

 すると、暗い夜空の向こうからプロペラの音が聞こえてくる。

「トメラ。わたし、帰るね」

「迎えが来たんだね?」

「ええ」

 ミチルは、公園の向こうへと駆けていく。

 そして、彼女はトメラのほうへ向き直し、大きく手を振った。

「また会おうね! 約束だからね!」

「ああ!」

 トメラも、小さくなった彼女に向かって、思いっきり手を振るのだった。

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