なついろ図書室

亜麻音アキ

なついろ図書室

 当たり前に過ぎていく毎日の中で、きっとわたしたちは普通じゃない。


「何してるの?」

「これはね、図書室に入荷して欲しい本のリクエストボックス開封の儀」


 窓際の椅子に腰掛けて扇風機を独占したまま彼女が答える。こっちを見ようともしないで。


 図書室のエアコンは夏休み中は使用禁止のため、カウンター奥の準備室には古ぼけた扇風機が一台おかれているだけだった。開け放たれた窓からは蝉時雨が流れ込む。風はちっとも吹き込んで来ない。


「良い御身分ね」

「ふふーん、そうでしょ!」


 嫌みたっぷりに言ったつもりなのにまるで手心えなし。


 夏休み中も返却を受け付けているせいで、図書委員は分担して学校にやって来ることになっていた。返却された本を棚に戻し、貸し出しカードの記載をチェックしたり、期限を過ぎてる本があるのかないのか調べたり。


「リクエストボックスの設置期限は9月いっぱいでしょう?」

「中間発表だよー。知りたいでしょー?」

「いえ、別に」


 カウンター側に設置してあるリクエストボックスは、そもそも厳重に鍵がかけられているわけじゃなかったけれど、不正を隠そうとする気さえない様子で無残にも開け放たれていた。


 リクエストボックスを勝手に開封するのが不正なのかどうかは知らないけれど。


「ほとんど漫画ばっかりだよー」

「でしょうね」


 こんなものに入荷して欲しい本を真面目に書き込む生徒がどれほどいるのだろう。そもそもいつ入荷するのか、はたまた入荷するのかしないのかさえはっきりわからない学校の図書室に、本気で入荷を願う生徒なんているわけがない。


「けどねー、ときどき面白いのがあるよー」


 わたしが側に近付いたことを気配で察知したのか、カチリと扇風機の首振りスイッチを切り替える。長いこと首を振る機会がなかったのだろう、ガコガコ音を立てながら不器用に風をそよがせる。


「ほらこれ見てよ、『都内ラーメン店ランキング最新版』、『夜景の綺麗な都内おすすめビュッフェ』、『都内ハズレなしランチバイキング店特集』だってー」

「都内ばっかりね」

「やっぱりお料理本は鉄板でしょー」

「仮に入荷するとしても、その頃には情報が古すぎるでしょうね」


 お料理本とはレシピ本のことを指すのではと思ったけれど言わないでおいた。あと、お料理本は鉄板って、もしかして鉄板料理って意味なのかと疑問が浮かんだけどこっちも言わないでおいた。


「あとこれこれ、『彼女のキスの甘味指数』って知ってるー?」

「少女漫画、かしら」


 ぴらぴら指先で挟んで見せるリクエスト用紙に、控え目な丸っこい文字で確かにそう書かれている。


「ぶっぶー、不正解でーす。じゃあ罰としてちょっと眼鏡貸して!」

「ぜったい嫌」


 唐突にもほどがある。いつからクイズ形式になっていたのか、不正解で罰があるとか後付けも大概だし、どうして罰で眼鏡を貸さないといけないのか。乱視だから仕方なくかけてる眼鏡を罰ゲーム扱いしないでほしい。


「いやー、この『キス甘』をちょろっと調べてみたらさあー、あ、『キス甘』ってさっきの、彼女のキスの甘味指数って百合ノベルの略称ね」

「ノベル、小説なのね。しかも百合って」

「借りた眼鏡で念願の新作スイーツを食べるって馴れ初めらしくてさー、その眼鏡借りればあたしもいけるんじゃないかなーって」

「いけるわけないでしょう」


 要約しすぎててどんな内容なのかほんの少しだけ気になってしまう。もちろん言わないけれど。


「じゃあさー、眼鏡無しでいいから、あたしとキスしようよ」


 腰掛けていた椅子から立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた顔をぐいっと近付けてくる。


 さっきまでエアコンもない蒸し暑い図書室で、返却された本の片付けを一人黙々と作業してたから、体中が汗でじっとりベタベタだった。汗臭いって思われたら嫌だな。


「……熱中症で頭がおかしくなったのかしら?」

「ね、チュウ、しよう?」


 逃がさないようにだろう、スルリと腰に手を回して鼻先が付きそうなほどに顔が近付く。そして、ふんわりと甘ったるい檸檬の香りが鼻を突く。


「図書室内は飲食厳禁よ」


 鼻先が触れるか触れないかの直前、両頬をぐにっと摘まんで押し戻す。


「ここは図書準備室じゃん」

「同じです」

「飴だよ飴、ほらー」


 んれっと、舌先に小さくなった飴玉を乗せて見せてくる。溶けかけの飴玉がぬらぬらと舌の上で転がる。


「飴でもダメ」

「むー、……このキス甘のネタバレ読んでたらさー、ファーストキスを借りた眼鏡をかけて視界がぼやけてる中、スイーツ食べながらーみたいな感じでさー」


 なにそれ、眼鏡借りすぎ。


 あとネタバレの前にせめて本作を読んでから語ってあげて。それにしても、視界がぼやける眼鏡をどうしてわざわざ借りてるのだろう。


「この眼鏡、他人がかけると瞬時に側頭部を締め付けて、耳から脳みそが噴き出るまで締め上げる呪いがかかってるけどそれでもいい?」

「えー、ヤッバ、もしかしたら死ぬじゃん」


 もしかしなくても確実に死ぬと思うけれど、この子だったら万が一にも生き延びるかもしれない気がしてくる。


「なので眼鏡は貸せません。けれど、そんなにノベルの真似事がしたいならスイーツを食べに行きましょう」

「マジ? じゃあ早く行こー行こー」

「ええ。コンビニのスイーツで良ければ」

「コンビニかー……」

「セブンの新作スイーツがちょうど今日からってCMを観たわ」

「むー、この辺りが妥協点かー」


 顎に指を添えて眉間に皺を寄せる。


 最初から壊れていたのだろう、ガコッガコッと左に首を振りきった位置から動かなくなった扇風機の風が、彼女の短いスカートのプリーツを踊らせる。


「それじゃあ、リクエスト用紙ちゃんと戻して帰りましょう」

「はーい」


 それほど多くもないリクエスト用紙をまとめてボックスに戻して図書室を後にする。次からは勝手に開けられないように鍵をかけるようにしよう。


「あとさっきのリクエスト用紙」


 生徒玄関で靴に履き替えながら、眼鏡越しの上目遣いで彼女を見上げる。


「んー、さっきのってどれのことー?」


 控え目に書いたつもりだろうけれど、わたしがとてもよく知っている、特徴的な丸っこい文字の癖を消しきれていない。


「……新作スイーツ食べてる間だけなら、眼鏡貸しても良いわ」


 生徒玄関から一歩出ると、グラウンドから野球部の声出しが響いてきた。張り合うみたいに蝉の鳴き声がわたしたちに降りしきる。


「えー、でも脳みそ噴き出るんでしょー」

「ええ。シュークリームみたいにびゅーって出るわ」


 子供っぽい笑顔が夏の日差しを受けて陰影を濃くする。


「いっちばん甘そうなの選んでいいー?」

「そうね。うんと甘いのを期待してるわ」


 当たり前に過ぎていく毎日の中で、きっとわたしたちは普通じゃない。


 だから、こんなにうだるように暑い、ただ過ぎ去っていく当たり前の毎日の中でも、日々退屈せずに済んでいる。

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なついろ図書室 亜麻音アキ @aki_amane

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