6.ろっくなまじかる


 いまりがしゅぱっと手を上げた。


「ほい! じゃあかくし芸やります!」

「えぇ……」


 ソルティライチの入ったグラスを置いて、わたしは心底嫌そうな顔をした。鏡を見なくてもわかる。


「ぬゎぁぁあんでそこで『いえーい! 待ってたでがんすー! いまりちゃすぷりちぃー!』とはならんのだね? 実際いまりちゃすはぷりちぃですぞ!? ほれこのとおり!」

「存在がかくし芸大会のくせに、なにもったいぶってるのよ。どうせいつものアレでしょ?」

「アーッ、アーッ!? ダメですの! 初見! 初見の人がおりますの! 空気読んでひれ伏すんですの! ヒッカエオローッ!」

「ひれ伏さないわよ。詩雅楽しがらきさん、やめてね」

「やめました」

「スエたんスエたん! こりゃ何だいのこりあんだぃっ!?」


 と、妹の方に身を乗り出しながら、いまりはこたつの中からピンクの毛糸玉を取り出す。それどこに持ってた?


「毛糸?」

「いえすっ、ウゥゥゥル! こやつめをぉー、チョイと手のひらで持っててくだされ。握らずにふんわり乗っける感じーで……そーっそっそっそっ、うまいうまい」


 妹の両手をこたつの上に出させ、いまりはそこに毛糸玉を乗せる。つまんだ糸端を引き出すと、お椀の形にした手の中で毛糸玉は自在に転がった。


 その具合を確かめてから、いまりは糸端をぱくりとくわえた。


「……へ? え?」

「よっひゃ! 動かにゃいでね、しゅエたん!」


 くわえた毛糸の根元をつかむようにして、いまりは握りこぶしを唇に当てる。そうしていったん鼻息を吹き出すと、すさまじい音を立てて毛糸を吸い込み始めた。


「え? へっ、えぇえっ!?」


 妹の手のひらで毛糸玉が勢いよく回る。くり出される毛糸はこたつ越しにいまりのこぶしの中へどんどん飛び込んでいく。みるみる小さくなる毛糸玉。

 妹が呆気に取られているうちに反対側の糸端まで見えて、それもほどなくいまりに吸い込まれていった。


 いまりがこぶしを顔から離す。胸を軽く叩き、「ぷぅぅっ」と音を立てて息をついた。口の先に糸は残っていない。


「なはー、食った食った」

「きったな……」とわたし。

「さって、スエたん! はい、聞こえてるぅー? 動物はなにが好きぃ?」

「ど、ど、ど? ど?」


 妹は目を白黒させて口をパクパクさせてしまっている。

 まあ、初めてでついていける人はそういない。今のは、いまりお得意の手品だ。


 わたしもタネまでは知らないが、ことあるごとにいまりがやりたがるのでもう見慣れてしまっている。本当に飲んでいるわけではないにしろ、新鮮さが薄れると、毛糸を口ですするしぐさは見ていて気持ちのいいものではなくなっていた。

 そうでなくても、いまりは毛糸玉をいつもスカートの中に隠し持っている。恥じらいを覚えて他の芸を考えろと度々口を出してはいるが聞く気配はない。いまりのおしりを見たことのない人間がクラスにいるのだろうか。


「キツネでしょ。すえちゃんが好きなのは」


 いまりのペースも妹には速すぎるようなので助け舟を出しておく。手品にはまだ続きがあるのだ。


「ゴンさんギツネさんか! でぃすうぇい!」

「いろいろ違う。手袋を買いに」

「絵本のね! へいっ、ちょっくらお待ちを!」


 また叫んでいまりはこたつ布団に頭を突っ込む。「ゥゲッ、ヨウちゃんスパッツはいてやがる!」「蹴るぞ」しばらくもぞもぞしていたが三十秒もしないうちに顔を出し、勢いよく手を振りあげた。


「お待ちどう!」と言って妹の前に突き出したのは、手乗りサイズの小さな毛糸のぬいぐるみ。

 耳がとがっていて、顔もとがっている。それに太くて長いしっぽ。前足はミトンをはめたような形をしているが、おおむねピンク色のキツネっぽいなにかだった。


「出た。いまりの早編み」

「おあがりよ!」

「食うか」


 勢いだけのいまりの発言をいさめつつ、妹の方を盗み見る。やっぱりまた口を開いて固まってしまっていたが、丸くなった目の奥がキラキラしていた。どうやら成功らしい。


 手品のつづき、というか、いまりの真のかくし芸。ぬいぐるみの早編みだ。


 短い編み棒を魔法のつえッキと称して持ち歩き、ところかまわず小さな編みぐるみを量産する。それが安理多ありたいまり。なぜか編んでいるところは見せてくれないが、たいてい一分や数十秒以内の、編んでいることにこちらが気付くまでにはできている。当人いわく、背中でも同じ早さで編めるらしい。


 今日はいつもに輪をかけて早かったが、実はハンデ付きだ。妹の好きな動物がキツネだという話は、いまりに事前に通してあった。好きの由来が絵本という話を思い出して、軽く修正を加えたぐらいだろう。


 手品だとわかっていても、やはり一見の価値はある特技だ。一見どころか毎日見せられて、編んで満足して教室中に散らかしたぬいぐるみを片付けさせられているし、毛糸を飲み込む手品との組み合わせはやっぱり少々気持ち悪いが、観客の顔が輝いているのを見ると悪い気はしない。いまりの方も、ただの手癖になりかかっている芸に純真なリアクションをもらえて得意満面といった様子だ。


「すごい……魔法みたい」

「ひぇっひぇっひぇ。魔法なのだよ、お嬢さん」

「手品でしょ」

「あの……これは、子ギツネさん、ですか?」

「ほひ?」


 受け取ったぬいぐるみから目だけを上げて、妹はおずおずといった様子でいまりにたずねた。

 いまりはうろ覚えで反応できなかったようだが、『手袋を買いに』のキツネで手袋をはめているなら、それは子供のキツネだろう。妹が昔から大好きな絵本のことなら、姉のわたしに知らないことなどなかったが、妹がなにを言いたいのかまではすぐにはわからなかった。


「あの、あの……お母さんギツネさんも、出せますか?」

「……」


 いまりから返事がない。なぜか妹を見て固まっている。呆気に取られたような目だ。

 わたしも横から手が出せなかった。いまりがあまり見たことのない顔をしている。仕込んでおいた編みぐるみが一つで、今日はもう毛糸の持ち合わせがないのかもしれない。


 いつも適当なようで、意外と人の期待にこたえるのが好きないまりだ。わたしの妹を喜ばせようと張り切ってここへ来て、逆に失望させそうな気配がしてきて万事休す、といったところかもしれない。


 かと思いきや、いまりは無言のまま、こたつの下に入れていた手を再び外に出した。そこにはさっきよりもひと回り大きなキツネの編みぐるみ。色はオレンジ。


「わっ、お母さんギツネさん!」

「って早!? 今の何秒!?」

「ぐぁぁぁぁんっ! このおねだり上手め! 待っててハニィィィィ!!」


 絶叫するや否やこたつの中に飛び込むいまり。

 慌てて布団をめくると、中から青い毛糸のキツネが飛び出してきた。覗き込もうとしても次から次へ、緑のキツネに紫のキツネに。


「ちょ、ちょっと! 中どうなってんのこれ、ねえ!?」

「おおバンバンぶるまいじゃぁぁッ! 母一人子一人と言わず磯野さんちをお送りしてやんぜぇぇぇ!」

「やめなさい! 磯野家どころかマカリスター家になってるから! てかどこにそんなに毛糸持ってたのよ!?  ちょっと、いまり!?」


 もりもり出てくる編みぐるみをかき分けていまりを探すも押し返される。


 妹も目が点になっていたが、隣りでずっと静かに座っていた蝶子に思わずといった様子で話しかけてもいた。


「お姉ちゃん、本当にあれを手品だと思ってるんでしょうか?」

「さあ、どうでしょう? 手品でしたら、ワタクシにもできるんですよ、スエたんさん?」

「へ?」

「ほーら。なんと、さっきまで熱々で、湯気の立っていたココアが……」

「ひゃっ。つめた? わ、すごい……」

「詩雅楽さん! 遊んでないでいまりを引っぱり出して――はぼっ!」


 赤いキツネが口に飛び込んでくる。毛糸味だったのは言うまでもない。

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