5.ろっくなだんらん


「ほるぁ!」


 と吠えて、二十四パターンもあるイルミネーションを一つ一つ見てくれ見ろよ見なきゃてめーの靴下へ洗ってない靴下味の百味ビーンズみっしり詰めたんぞオルァァと脅してくる全身ツリーのいまりがあまりに鬱陶しいので、妹の機嫌が直るまで辛抱しんぼうしてからコンセントより一番遠いところに「あんたのレイブンクローはここ」と言って座らせた。頭巾も没収した。


「グリフィンドォーッ! グリッフィンドォォォォーッッ!」

「組分け帽子にも間違いはあります」

「ダンボール先生!!」


 猛然と抗議していたいまりが、合いの手を入れた蝶子ちょうこにひしとすがりつく。蝶子の物言いは決まって棒読みだったが、逐一無駄に的確に油を注ぐのでいまりを調子づかせていた。お節介のつもりか、進んで悪乗りしているのかはあいかわらずよくわからない。


「先生ッ、ヨウデモートが復活しました! もうおしまいだぁ!」

「落ち着いて。透明ダンボールに隠れるのです」

詩雅楽しがらきさん、遊んでないでお皿運んで」

「わかりました」

「あーん、ヨウちゃんやっぱり自分ちでもオカンみたいだヨウ~」

「ほっといて」

「お姉ちゃん、なにか手伝う?」

「いいよ。すえちゃんは座ってて」

「おねぃさまぁ~ン、アタクシもなにか――」

「あんたは植わってて」


 二人が持参してくれた料理をキッチンでお皿に移してから、居間のこたつに並べていく。生春巻きとサラダ、グラタンにキッシュにペペロンチーノ、そしてエビフライ、フライドチキン、豚肉のバターソテー、コロッケの詰め合わせと……やたら脂っこい品がつづく。


「スエたんっ、エビフライ好きぃ?」

「は、はい!」

「むふ~ん、知ってるよぉ~ん。おねぃさま直々のリクエストだもんね~ぇ?」


 ひととおり食事の準備が整い、妹の隣りに腰をおろしたタイミングで、いやに含みのある笑みが反対隣りから送られてきた。わたしはきまりが悪くなって目を伏せる。


「別に……わたしも好きだし。ていうかエビフライ名指ししてないし」


 揚げものや油ものは妹の好物だ。しかしそれも訊かれたから答えたに過ぎない。催促リクエストした覚えはない。


「エビフライは定番ですね」


 向かいから蝶子が言う。何の定番なのだろう。蝶子も好きなのか、エビフライ。


「ううんっ、いいと思うよ? 色気より食い気! ヘルシィより油ギッシュ! 育ち盛りだもの!」

「なぜ勝ち誇ったようにこっちを見る?」

「スエたん知ってるぅ? おねぇさまは中学に入る頃までおうどんにトンガラシぶわっさぁぁぁってぶっかけないと気が済まなかったんですのよ? それが中学入って間もなく『薄味こそ至高ッ、薄味こそ正義ジャスティス!』とかピヨピヨ唱えだしちゃっても~見境なくってさぁ~。いさぎよい代表として言ったげてよ。見習いたまえ! これが真の中学生というものだぁ! って~」

「あ、わたし……」

「ばっ……!」


 いまりを止めなくてはいけないことに気がついたときには遅かった。

 いまりはわたしの目を見てもまだ半笑いで首を傾げただけだったが、妹がうつむいているのに気がついてようやく自分がしくじったことを察したらしい。半笑いのまま眉をハの字にして、引きつった顔をこちらへ向けてくる。わたしは溜め息を押しこらえながら小さく首を振る。


 妹は、例の特殊な体の都合で、中学はおろか小学校にも通ったことがない。

 理由の部分はにごして、そのことは外の人間にも話すようにしている。いまりや蝶子にも同じようにしておいた。


 ただ、それは妹の前で学校のことを話題にしてほしくないからではない。むしろそれでは、思い切って二人のクラスメイトを招き入れた意味がなくなってしまう。

 外の世界に強く憧れを持ってもらった方が、妹が普通の人間として生きていくための動機づけにもつながるとわたしは考えている。同情して不自然に遠慮することは、妹のためにならない。


 約束は一つだけ。妹を〝学生〟呼ばわりしないこと。

 年齢がどうあれ、妹は小学生でも中学生でもない。小学生とは小学校に通う人間を指し、中学生とは中学校に通う人間を指す。

 妹はどこにも通っていない。妹を「中学生」と呼ぶことは、彼女の特殊さを遠回しに摘発するのと同じことだった。


 わたしはいまりに視線で指示を出した。話題を変えろ、うやむやにしろ、と。

 しかし、流れに任せて勢いで押し切るタイプのいまりは、一度流れが途切れてしまうと、どうしていいかわからなくなってしまうところがあった。無理になんとかしようとして、より悪い方へ流れてしまうときさえある。目配せしておいてこう言うのも何だが、期待はできない。


 かといって、わたし自身にはいったいなにができるだろう。すでに思考の半分はそちらへ切り替えているが、原稿はずっと白紙のままだ。闇雲なアイディアの種ばかり浮かんで、浮かんでは消えていく。


 その種がなにに育つのか、知れないまま足踏みをしつづける。

 昔からそうだ、わたしは。


「寒いですか?」


 沈黙を破ったのは、蝶子だった。


 なにが、とも、誰が、とも、質問の意味がわからないまま、いまりといっしょになって彼女の方を見た。蝶子はいまりを見ていた。


「安理多さんは、寒いですか?」

「い? い、いんやぁ? あたしはほら、おこたであったか~、だよ?」

「そうですか」あっさり頷いて、今度はわたしを見る。「瀬登さんはどうですか?」

「寒く、ない。ていうか、室温二十二度にしてるはずだけど……」


 そもそも蝶子自身が寒くないなら、この家に寒さを訴える者が他にいるなどと考えつくだろうか。鎖骨も胸元もおへそも太ももも空気にさらしているそのコーディネートで。


「暖房、強めた方がいい? あー、わたしの服貸した方が早いか」

「ヨウちゃんのじゃあ、いろいろ足りなくてキツキツなんじゃない?」

「少なくともあんたのよりはマシですから」

「ワタクシは寒くありません。ただ、瀬登さんの妹さんは、ずっとマフラーを外さずにいます」

「!?」


 背中に氷を入れられた気分だった。今までとまったく別の理由で呼吸が止まりそうになる。

 空気を読んで話題を変えてくれたものとばかり思っていた。しかし、蝶子が持ち込んだ新たな話題は、前以上に触れてほしくないところへと直進するものに限りなく近い。


 考えてみればもっともな指摘ではあった。常識からすれば、家の中で防寒具を外さないことは初歩的なマナー違反であって、蝶子はそれを指摘したに過ぎないのだろう。あるいは、本当に単に妹が寒がっている可能性を案じてくれたのかもしれない。


 だが、医療用コルセットより見栄えがいいことだけに満足し切っていたわたしにとって、蝶子の指摘はまったくもって青天の霹靂へきれきだった。しかもこの内心の恐慌は、さっきまでと違っていまりと共有することができない。するわけにいかない。できるわけがなかった。


「――や、やーチョコたん、それは違うッスよ~」


 なにも知らないいまりは地獄に仏とばかりに蝶子の話に乗っかる。慌ててそれを制するわけにもいかず、わたしはせめて悪い流れでないことを必死に祈る。


「ファッション! こりゃそういうファッションなの。鼻先まで埋まるもこもこマフラーで、保護欲をかき立てる小動物感二万倍! 清純の証スノーラビットカラーで愛されヴィヴィッ無限大! たった一つで女子力超ド級のフワモテ神器ですよアナタこれは!」

「そういえば、ワタクシも手袋をしたままでした。サンタですから」

「どう!? この完成され切ったゆるふわコーデ! あえて三つ編みにしないダブルおさげのはみ出し具合! グッとくるやろ? ペロペロしたいやろ!?」

「はい、とても似合っています。まいりました」


 絶妙にかみ合っているんだかいないんだかわからないやり取りの果てに、蝶子は負けを認めてこうべを垂れた。

 彼女がなにに負けたのかは知るよしもない。ある方がきっとおかしいとは思いたい。

 いつの間にかうつむくのをやめていた妹も、完全に呆気にとられていた。

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