ワイ・アイム・ミー

三題噺トレーニング

ジ・アングリー・インチ

「中身は女です。よろしくお願いします」

一月だった。

サブカル男とサブカル女が集まる俺たちのサークルに男の身体で女の服を着た彼女は現れて、すこししゃがれた裏声で挨拶をした。

あんまり気にしないでください、とか言って。気にはするだろうが。

しかし現代社会は意外と、まぁそういうやつもいるだろ、ってなテンションで受け入れるものなのだ。

彼女はその日のうちに女子グループに溶け込んで、部屋中の人間のSNSと繋がった。

彼女はSNSではヘドウィグと名乗っていた。

俺はどうにも、彼女を彼女と受け入れがたかった。


興味半分で話しかけてみた。聞きたいこともあった。

ヘドウィグという名前はミュージカルの主人公から取ったのだとか。

男性から女性への性転換手術が失敗して、不完全な男性器が残った女性。

しかし彼女は絶望せず、シンガーとして自分の人生を切り開いていく。

「あんたも女の身体になりたいのか?」

「なりたいよ。でもなれないんだよ」

「俺もそう思うよ。玉を取ったところで男の身体は男の身体だろ」

「そう、でも近づくことをやめたくはないよ」

そう言うと彼女はおもむろに、外していた手袋をはめて、その両手を作って頬杖をついて上目遣い俺を見た。

正直、ただの美女だった。耳の奥がキンとなるのを感じる。照れているのだ、俺は。

「手袋で手の甲を隠して、顔のラインも隠したらもう、パッと見じゃ分かんないでしょ?」

「いや、その」

「冬っていい季節なんだよ。じゃまた」

立ち去るヘドウィグの後ろ姿もやはり、女性よりも女性だった。俺は彼女が去ったあとも考えることが多過ぎて呆けてていることしか出来なかった。


それから俺たちは必要以上に交わることもなく、ただのサークル仲間の関係だった。

しかしちょうど卒業を控えた夏の終わり、突然ヘドウィグに呼び出された。

なんでも資金が貯まったから、これからどこだか東南アジアの島に飛んで、手術をするのだという。

そういえば彼女がいつも夜の街でアルバイトをしているのは知っていた。水商売ってのはそんなに稼げるのか。

「なんで俺にそんなこと」

「一番あたしに興味を持ってくれてたのが新田くんだったから」

「別に興味なんてないよ」

「興味っていうか、分かってくれたっていうのかな。あの、手袋をつけたとき、一番驚いた顔してくれた」

「それは本当に驚いたからだよ」

「だからそれが、嬉しかったからさ」

本当のことも言ってくれるし。彼女が俯いてつぶやく。

彼女はとても恐ろしいのだとそれで分かった。

性器を取ったところで何が変わるというのか。

胸に脂肪をとりつけて何が変わるというのか。

でも、変わろうとせずにはいられない。

「上手くいかなかったらさ、ミュージカルにすればいいよ。監督するよ俺」

「そうか、そうだねぇ。頼むかも」

彼女は少し涙を浮かべながら笑った。

そしてそれからヘドウィグから連絡がくることは無かった。



また冬がきた。

こういうのをミイラ取りが云々言うんだろうか。

俺は女物のXLサイズのコートを両手に考え込んでしまう。

しかし現代社会は意外と受け入れるのだ。

何の問題もなくコートにスカート、手袋にメイク道具まで手に入れた俺は、それらを自室に広げて途方に暮れる。何をしてるんだか。


俺は確かめたかったのだ。

見た目が変わって、もしかしたら俺はこの後めちゃくちゃに女装にハマり、考え方も変わるかもしれない。

だが色んなものが変わっても俺は俺なのだ。それを確かめたい。

きっと、彼女も彼女なのだ。それなのに。


「アホくさ」

氷点下の空の下、手の骨を隠すための手袋が暖かかった。

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