単行列車と逝く

狛咲らき

単行列車 ヒッセイ81系

 日がのぼりはじめたころに、ぼくはでんしゃにのった。


 1つしかないそのでんしゃのまえには、2人のおとこの人とおんなの人がすわっていて、目があったぼくに「こっちにおいで」って手まねきしたから、ぼくはこの人たちのあいだにすわることにした。


『出発します』


 そんなこえがきこえると、とびらはしまってでんしゃがうごきだした。


 すると2人がぼくにむかって「ありがとう」っていった。


 そのあとも、2人はぼくにはなしかけてくれたけど、ぼくはちょっとねむくてなにいってるのかぜんぜんわからなかった。

 でもでんしゃがはしるうちに目がさめてきたから、あさ日を見ながらふたりとおはなしすることにした。


 でんしゃのまどからは、ぼくとよくにたおとこの子が、うきわでぷかぷかうかんだり、三りんしゃにのったりしているのが見えて、なんだかそれもたのしかった。





『次は——、次は——でございます』


 まだ早朝だけど、どれくらいたったのかな。


 ガチャンととびらが開き、新たなじょう客が10人くらい入ってきた。

 僕と同じくらいの小さな子どもたちだ。


『出発します』


 電車はまた進んだ。

 彼らは席にすわらず、立ったまま僕をじろじろとながめている。

 話してみるとサッカーで盛り上がったから、僕はサッカーボールを使って、座ったままリフティングしてみせた。

 彼らはすごいと口々に僕をほめてくれた。


 みんなといる時間はとってもたのしかった。





『次は——、次は——でございます』


 電車が再び止まり、10人の内7人が手を振って降りて、3人が向かいの席に座った。

 それと入れ替わりに8人の少年達と彼らを引率するスポーツマン風の大人が乗ってきた。

 彼らは俺のリフティングを見ると、一緒にサッカーをしようと誘ってくれたので、前の駅から一緒だった少年達と一緒にやることにした。


 外の景色を眺めてみると、ちょうど俺とよく似た少年が相手のゴールにシュートしていたところだった。

 そのシュートで試合が決まったらしく、少年は嬉しそうだった。





『次は——、次は——でございます』


 その瞬間、俺の右脚に激痛が走った。

 見るといつの間にか包帯巻きになっていて、左手には松葉杖が握られていた。


 停車した駅は白い壁で囲まれていて、その駅から白衣を着た男が乗ってきた。


 男は「治れば日常生活程度なら送れますが、もうサッカーはできません」とだけ言うと、出発を待たずに電車から降りた。

 俺をサッカーに誘った少年達も数人は一緒に降りて、電車の扉は固く閉ざされた。


 次の駅に停車するまでの間、隣に座る小じわの目立つ女性が大粒の涙を流して俺を抱き寄せていた。

 他の乗客は俺を励ます言葉を送ってくれたが、具体的には何を言っているのかよく聞き取れなかった。


 外では雨の中で懸命に、だけど楽しそうにサッカーの練習をする少年達の姿が見えた。





『次は——、次は——でございます』


 気付くと俺の右脚の包帯は無くなっていて、痛みも感じなくなっていた。


 扉が開くと俺ら3人以外はみんな降りてしまった。

 ひとりの少年は「また会おうな」と元気よく叫び、スポーツマン風の男は「頑張れよ」と笑った。


 新しく入った乗客は、今度は誰もいなかった。


 電車が走る。

 ガタン、ゴトンと揺れ、賑やかだった雰囲気は消え去って、何故か重苦しい雰囲気が流れている。


 車窓にはいつもの俺によく似た人が、教科書を破られ捨てられた少年にそのコピーを渡している場面が映った。





『次は——、次は——でございます』


 4人の少年がどかどかと入ってきた。

 少年達はここが俺らの席だとでも言わんばかりに俺の真正面の席にどすんと座り、歪んだ笑みを浮かべている。

 少しして、眼鏡を掛けた老け顔の男も入ってきたが、俺と彼らの様子をちらりと見ると車両の奥の方へ行き、まるで無関係といった風に座って本を読み始めた。


 俺は腹や背中、頬の痛みを耐えながら、少年達のドス黒い笑みを無視して両隣の2人とまた談笑し合った。


 しかしその会話はどこかぎこちない。

 嫌な空気を誤魔化すように、俺はふたりに笑みを作るが、2人の顔は強ばるばかり。

 じくじくと痛む全身に心配そうな2つの視線と、悪意の籠った4つの視線が突き刺さる。


 次の駅までの時間は今までのどの区間よりもずっと長かった。





『次は——、次は——でございます』


 ようやく扉が開いたので、俺は即座に立ち上がった。

 座っているだけで心が削れる空間になんてこれ以上居たくはない。終点まで乗り続ける予定だったが、もう辛抱ならない。


 そうして俺がびくびくしながら正面の4人を睨み返して、電車から出ていこうとした時、両隣の2人が俺の肩に手を乗せ引き留めた。


「あなたが降りる必要なんてない」


 そう言うとふたりは老け顔の男の方へと向かい、何事か話をし始めた。

 2人は見たことないくらいの剣幕を見せ、男は完全に委縮している。


 しばらくすると男は4人の少年達を連れてそそくさと降りた。

 少年達は舌打ちをし、俺に怒りの表情を向けたが、連れて行く男に抗ってこの電車に留まることはしなかった。


 扉が閉まり、電車が走り出す。


 外は桜が咲き始め、それを見ながら残った俺達3人は他に誰もいない車内で大声で泣き合った。





『次は——、次は——でございます』


 扉がまた開き、3人の青年が入ってきた。その内の1人は女性で、とても美人だった。

 3人は「ここ良いかい?」と俺の正面の席を指差したので、俺は首を縦に振った。


 3人との会話はとても心地良かった。

 穏やかな昼下がりの日常風景を眺めながら酒を片手に盛り上がり、時間があっという間に過ぎていく。

 特に俺含め青年の中で唯一の女性であるA子さんとの歓談には何か惹かれるものがあり、今までに話した乗客の中の誰とよりも心が満たされるのを感じた。





『次は——、次は——でございます』


 スーツを着た男が数人入ってきた。

 彼らは身嗜みを整えた俺に拍手を送りながら、「よろしくお願いします」と奥の方の席へ座った。

 少ししてから同じくスーツを着た男女が5人程入ってきて、正面のA子さん達の隣に座った。





『次は——、次は——でございます』


 停車すると、両隣の2人は立ち上がってA子と席を入れ替わるように移動した。

 俺の隣に座るA子はその純白のドレスも相まって一層美しく思えた。

 

 乗客全員が俺とA子に拍手を送っている。

 ちらりと正面に目をやると、タキシード姿の俺を見て皺だらけの2人はまたしても涙を流していた。


 それだけで俺の胸は一杯になった。





『次は——、次は——でございます』


 扉が開いたと同時に、小さな男の子が元気に俺達の元へ走ってきた。

 男の子は俺達の間にぽすんと座り、走る電車の窓を食い入るように眺めている。

 俺達もそれを見て笑って、楽しんで、喜び合った。





『次は——、次は——でございます』


 どこか奥ゆかしさを感じる妙齢な女性が俺とA子にお辞儀をして入ってきた。

 俺達の間に座る青年は彼女を見るなり立ち上がり、彼女と一緒に斜向かいの席へ移動した。


 俺はそんな彼に嬉しいような、寂しいような、複雑な感情を抱いた。





『次は——、次は——でございます』


 小さな男の子と女の子が手を繋いで乗り込み、青年と彼と一緒の女性の膝の上にそれぞれ座った。

 彼らの会話を聞いて暖かい気持ちになっていると、私の正面に座る2人の老人が背中を丸めながら電車から降りていった。


「ありがとう」


 私に向けてそう言った2人の顔はとても幸せそうだった。





『次は——、次は——でございます』


 次に扉が開いた時、スーツを着た人達は降りた。





『次は——、次は——でございます』


 今度は斜向かいに座っていた4人が私に手を振って乗り換えに降りた。





『次は——、次は——でございます』


 そしてA子と一緒に乗ってきた彼らも立ち上がり、「待ってるぜ」と言い残して降りていった。





『次は——、次は——でございます』


 ふたりだけになった車内で、とうとうA子も開いた扉に向けて立ち上がった。


「あなたに逢えて良かった」


 杖を曳きながら降りていった彼女は、扉が閉まり電車が進み始めた後も、いつまでも私に手を振り続けていた。





『次は——、次は——でございます』






『次は——、次は——でございます』





『次は——』











 車掌と2人きりの電車の中で、私は何の変哲もない車窓を只管に眺めるばかりであった。

 明るい太陽も山の向こうに沈みかけていて、遠くの空は夕闇に覆われようとしている。


『次は終点、次は終点でございます』


 アナウンスが車内に響く。

 各駅停車の単行列車の旅もいよいよ終わりを迎えるらしい。


 私は目を閉じて、今までの旅の軌跡を想起してみた。

 思えば序盤は不愉快なこともあったものだが——。


「意外と悪くない旅だった」


 ゆっくりと電車が停止していく。

 揺れる車内に心地良さを感じて眠気を募らせた時、ガチャリと静かに扉が開いた。

 駅のホームは白い光に包まれてよく見えない。しかしどこか安心感や懐かしさを抱かせる光で、その奥からは私を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。


『本日はご利用ありがとうございました。お忘れ物のなさいませんよう、お気を付けてお降り下さい』


 その声に私は車掌を一瞥すると、彼は帽子を深く被り、その鍔に手を当てていた。


 私は外へ一歩踏み出した。杖が無ければ転んでしまいそうな程に弱々しい一歩だったが、途端に全身が軽くなり、空をも飛べそうな心持ちになった。


 彼らもこうだったのだろうか。


「……いかなくては」


 車掌に軽く一礼して、私は光包まれる終着駅へと降りて、いく。

 歩を進める毎に声は大きくなって、見知った人々の影が見える。

 私の顔からは自然と笑みが零れていた。



 彼らと一緒に駅から出た時、遠くの方で電車の扉が閉まる音が聞こえた。

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単行列車と逝く 狛咲らき @Komasaki_Laki

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