第25話 概念X

「ハチのお兄ちゃん、ありがとう!」

 夕食後、時間内にどっちが機蟲を数多く狩れるか勝負をヨノに持ちかけられ一体差で負けた。いつもいつも僅差で勝てないのはなぜなんだ。 

 トウキョウと同じく、グンマも人間の方が数が多い。蟲人のことをよく知っているから、ここの人たちは蟲人を恐れない。仲がいい様子はまさにハヤクモの目指す人間と蟲人の共存なのだと見ていたら、人質でもあるし大切にしないとねぇ、とミズキが言っていた。台無しである。


 明日は早朝出発だから早く寝るんだぞ、とヨノと別れて一人部屋で夜支度をしているとピロリと電子音が鳴った。見ると電子手帳に連絡が入っていた。宛名はミズキ。連絡先は教えていなかったはずだ。誰かが教えたのか、いつの間に情報を抜き取られていたのか不明だが、なんとなく後者な気がした。

 指定された場所は研究室一階の資料保管庫だった。ノックして入ると、資料を読んでいたミズキが顔を上げた。

「来てくれて嬉しいよ。君に是非とも見てもらいたいものがあるんだ」

「……保護者抜きで?」

 ミズキは意味深な笑みを浮かべた。

「そんなに警戒しなくてもいいよ。別にとって食おうってわけじゃないし、君に手を出せばハヤクモさんが黙っているはずがない。護衛にヨノさんを寄越すぐらいだもの。それに僕はただの人間。君が本気を出せばイチコロだよ」

「弱みを出してきた相手には警戒を怠るな、絶対に何か裏があると友達から教わったことがあるけれど」

「さっき言っていた人間の友達のことかい? 僕とは気が合いそうだね。是非とも会ってみたいよ。さて、そんなわけだがどうするかい?」

「見せたいものがスズメバチ関連のことなら」

 ミズキはうなずいて立ち上がると、背を向け何やら壁に向かってタッチを繰り返す。すると壁に点滅する線が入り電子音を立てて開いた。隠し扉だ。

「こっちだ。まだここから先にあるのもは誰にも見せていないから内密にね」


 二階の実験室とは違うこぢんまりとした暗い部屋だった。手術室のように中心には銀ピカの台が置かれている。ミズキが灯りをつけると、上に載せられていたものを見て身構えた。マチダ、そしてヨコハマを襲来したあのスズメバチ型機蟲が剥き出しのままそこにあった。

「ツテを使ってマチダとヨコハマで掃討された個体をもらってきたんだ。大丈夫、確実に死んでいるよ。右がヨコハマ、左がマチダを襲った個体だ。違いは分かるかい?」

 ミズキが手招きしてきたため警戒しながら歩み寄る。彼のいう通り、ただの死体だ。上から横からと視線を変えて見るが、手や足がもげている場所が違うこと以外、違いは何も分からなかった。

「分からない。同じに見える」

「その通り。どちらも違いはほとんどない。まったく同じDNAを持っているからね」

「一卵性双生児ってこと?」

「ちょっと違うかな。スズメバチの生態はどれくらい知っているかい?」

「何冊か図鑑で調べた程度。トウキョウだとスズメバチについて詳しく書かれた資料がなくて」

「そうかい。後でおすすめのスズメバチの本を何冊かデータであげるよ。じゃあ、一からおさらいしよう。スズメバチの社会は女王バチと彼女から生まれた兵隊バチと雄バチで成り立っている」

 ミズキは壁にスクリーンを映し出した。ハヤクモといい何かを説明するときは必須なのか。分かりやすくていいけれど。

「まずは女王バチ。卵を産むことができるハチだ。秋、女王として生まれた彼女は成虫になると、巣を離れ違う巣のオスバチと交尾し冬眠の準備に入る。そして五ヶ月ほどの長い眠りから目覚めると巣を作り始める。この時、彼女はたった一匹で育房と呼ばれる正六角形の揺り籠を何個も作り、中に卵を生みつけ、卵からかえった幼虫たちの世話をする。やがて幼虫たちが成長して兵隊バチになると、兵隊バチたちがエサを取ってきたり、巣を増築したり、幼虫の世話をしてくれるようになるため、女王バチは卵を生むことに専念し始める。女王バチは兵隊バチを生み続け、帝国はどんどん大きくなっていく。ちなみに兵隊バチはすべてメスだ」

「オスはどこにいるの?」

「この時期にオスは基本的にはいないのさ。スズメバチは変わった蟲で、受精卵から生まれるのとメスになり、無精卵だとオスになる。女王バチは体に溜め込んでおいた精子をだす弁を開けて受精卵に、弁を閉めて無精卵に、と卵を生み分けることができる。初期、女王バチはこうして兵隊バチであるメスを生み続ける。そして巣が成熟するとやがて新しい女王となる幼虫たちが育て始められる。ミツバチの場合はローヤルゼリーを与えられて育てられるかだが、スズメバチの場合はたっぷり栄養をとって広々とした場所で育てられたかどうかで女王バチか兵隊バチに分かれる」

「同じ遺伝子を持つのに育て方で女王か兵隊かに分かれるってこと?」

「そう。女王バチの寿命は一年で兵隊バチの寿命は一ヶ月と命の長さまで変わるのは不思議だよね。新女王が育てられる頃、女王バチは無精卵、すなわちオスバチも生み始めるが、このあたりから女王バチの作り上げた帝国は終焉へと向かっていく。なぜなら新しい女王バチは育てば巣をでて新しい土地へと巣立っていくし、オスは巣作りも狩りもせずほとんど働かないからだ。働かず食べるだけのハチたちが増える一方で、兵隊バチは一ヶ月の寿命を迎え死んでいき数が減っていき、秋の終わりには女王バチも死に一つの国は終わりを迎える。けれど、この国を巣立っていった新たな女王バチが春先に越冬から目覚めまた国づくりを始めるのさ。これがスズメバチの一生だ。面白いだろう?」

「なんというか、壮絶」

 たった一匹で国を一から作り、幼虫を生み兵隊を育て、国を広げる。すべてはやがて生まれるだろう新しい女王バチを育てるために、だ。一年という短い間に国が生まれ滅びる様は凄まじいものがある。

「さて、じゃあこの機蟲たちへと話を戻そう。このマチダとヨコハマのどちらの個体も同じ遺伝情報を持っていた。つまりどこかに彼女ら兵隊バチを生んだ女王バチがいるし、おそらく今も帝国を作っている最中だろう。この女王バチを殺さない限り増え兵隊バチは続けるし、万一、新しい女王バチたちが生まれ巣立てば新たな帝国がどんどん増えていく。そして日の本の生態に根付いてしまえばウマノオバチ型機蟲に加えて人類にとって新たな脅威の誕生だ。この女王バチを探し出すことは早急の課題とも言える。でも僕はインドア派だからそっちはハヤクモさんに任せるとして、僕は僕でできることはないかと兵隊バチの方を調べていたら面白い事実が判明したんだよ」

 ミズキは屈んで足元にあった格納庫の鍵を開けると、布の被った物体を両手で持ち上げ勿体ぶりながら、机に置いた。

「蟲人が人間形態から機蟲形態へ変化するとき、脳から特殊な信号が発することが分かっていてね。で、死にかけのマチダのスズメバチ型機蟲のニューロンに、なんとなく思いつきで同じ信号を流してみた。それがこちら」

 ミズキは覆われていた布をとり外す。それを見た瞬間、背筋を悪寒が走り抜けた。ぱっと見は先ほどの二体と同じスズメバチ型機蟲と思われた。ただし、その右前脚の部分から

 ――人の腕が生えていた。

 機蟲形態から人間形態に変化できる存在。すなわち――

「そうだ。このスズメバチ型機蟲と思われていた個体はね、機蟲じゃない。みんな蟲人なんだよ」

 視界が揺れ、頬を汗が伝い落ちるのを感じた。鼓動がドクドク鳴り響いているのに体は凍りついたように寒い。なんで、どうしてという疑問で頭が混乱し制御できない恐怖でそれから視線を外すこともできない。パクパク喘ぐ口からようやく一言絞りだせた。

「機蟲と蟲人の違いってなに?」

「仮説だしなんの証拠もない僕の自論だけど、機蟲は昆虫から、蟲人は人から機蟲を経由して別次元の存在へと昇華したもの、と考えている」

「ハヤクモは人間と蟲人は同じだと言っていた」

「あくまでそれは蟲人が人間形態をしている時の話だ。でもね、機蟲形態の時は違う。遺伝情報は同じでもね、同じ材料とレシピでまったく違うものを作り上げたかのような存在だ。羽化を遂げた蟲人は、やはり元の人間とは違うと考えているよ。羽化をした時の話を聞くとね、まるで古い体を捨てて、新たな体を得たようだとみんな言っている。君はどうだったかい?」

 答えずにいてもミズキは気にせず続けた。

「そもそも機蟲ってなんだと思う? 二百年前に地球上でどうして一部の昆虫だけがこんなにも違った進化を遂げたのだろう? いや、果たしてそれは進化と呼べるだろうか。昆虫と機蟲もね、人間と蟲人同様、遺伝子という設計図は同じなんだ。この差異の原因はまだ人間が発見していない未知の存在が関わっていると考えていて、僕はそれを勝手にXと呼んでいる。Xがどこからやってきたのかは不明だがオーソドックスに地球外生命体由来だと思っている。ここから先は自論を超えた妄想の域だけど聞く?」

 うなずくと、ミズキは満足げな顔をした。多分、俺が反応しなくても続けていただろう。

「僕はこのXを、精神だけの、体を持たない情報生命体だと思っている。彼らは二百年前に地球に降りたち、昆虫の体に宿った。ヨコハマの例があるように、元の体から性能が著しく乖離すると精神に不調がきたすから、もともと彼らも昆虫っぽい生き物だったから適合したかもしれない。何にせよ、Xは昆虫という乗り物に乗ることに正解し、これまた未知のエネルギーを使い機蟲へと変貌させた。そして彼らは地球の覇者であった人間へと攻撃を仕掛け、まんまと地球のトップの座を奪い取った。けれどここで誤算があった」

「誤算?」

「機蟲の中でも特定の種だけが多いに繁栄してしまったことだよ。日の本ではウマノオバチ一強とも呼べる。すべての生物は繁殖し子孫を残すことを目的としているが、それは機蟲も同様だ。ウマノオバチ型以外機蟲にとってもこの状況は気に食わないのではないかと考えている」

「機蟲も一枚岩じゃないと?」

「人間と同じようなものさ。国どうし種族どうし藩どうし隣人どうし、いつだって争いあっている。機蟲だって機蟲どうして争っても何も変じゃない。そんな機蟲たちが現在の状況を打開しようとした結果、目に付いたのが人間の体だった。概念Xが昆虫に乗り移ったように、機蟲が人間へと乗り移ろうとした結果、二つの体と二つの意識を持つ蟲人が生まれたんじゃないかな。彼らにとって成功だったのか失敗だったのか不明だけどね、二十年前に蟲人が現れて以来、情勢が変わり始めたのは事実だ」

 机の上のスズメバチを見る。俺と同じスズメバチ型蟲人。俺とは違う存在だと否定したい。俺は人間だと言い張りたい。けれど羽化してから頻繁に現れる夢の中で見た風景が、俺を揺さぶり続けていた。

「さて、僕が君のサンプルをどうしても欲しい理由、分かってもらえたかい?」

 一緒に暴こうじゃないかとワクワクした視線をミズキは俺に向けていた。

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