第21話 新たな日々

 トウキョウで暮らすようになってから、二ヶ月が過ぎようとしていた。訓練の成果もありなんとか人間形態と機蟲形態の使い分けができるようになったが、過程で何度か死にかけた。特に最初の二週間は本当によく生きていたと思う。

 ことの始まりは、トウキョウにきて三日目のことだ。


「いつもなら蟲人の訓練はハヤクモが行うのだが、今回はお前に任せたと直々に頼まれてな! 教えるのは初めてだから張り切るなぁ!」

 仁王立ちのヨノは快活に笑って言った。

 初めて、という言葉に不安がよぎったもののハヤクモから一対一で教わるよりはいい、と思ったのが運のつき。ヨノ(機蟲形態のカブトムシの姿)に連れて行かれたのは、折れて二十階建てになったツインタワーの屋上だった。


「人間から機蟲への形態変化のきっかけは死への恐怖がトリガーとなることが多い。ここに三日分の食料と水がある。ここから地上に降りるのが目標だ。じゃあ頑張れよ!」

 そう言ってヨノは飛び去ってしまい、風がひゅるひゅると鳴る中、放置された。説明なんてあってないようなものだった。そもそもあれを説明と言っていいのか。

 降りるのが訓練。屋上を一周するがもちろん、階段なんて朽ちて使えない。屋上の端まで行って下をのぞくと、地上ははるか彼方にあった。高い。落ちたら即死だ。

 このまま飛び降りて紐なしのバンジージャンプをしろと言うのか。いや、絶対死ぬ。それに、もしそうならば三日分の食料なんて置いていかないだろう。

 そもそもなぜ三日分なのか。三日が期限なのか、それとも随時足してくれるのか。何もわからない。

 おそらく色々説明をはしょっている。意図的にではなく、なんとなく、こんな感じだったなと自分が教わった時の記憶を大雑把にたどってやっている。本来ならあった説明がごっそり抜け落ちているのだ。頭を使ってまず何をどうしたらいいのか補足しなければならなかった。

 食事は人間用だった。機蟲形態ではその機蟲に合わせた食べ物が必要となる。俺とヨノなら甘い水。ハヤクモなら肉。つまりこれは人間の姿を保ったままの訓練だろう。初めてヨノに会った時、彼は人間形態のまま背中に羽を生やしてビルから飛び降りていた。恐らく蟲人ならばああいうことができる。

 羽を生やそう。己の手足は二本あると念じて人間に戻れたように、逆のことができるはずだ。頭で想い描けばいいのだと考えたが、機蟲形態の自分の姿なんて見たことがなく、イメージがまるで湧かない。

 電子手帳で昆虫図鑑を開き、スズメバチの姿をマジマジと見る。オレンジ色の透き通った美しい羽だ。

 これが背中に生えている姿を思い浮かべ、集中しては休んでを交互に繰り返し、一日かけてよくやくそれっぽいものが背中に生えた。けれどまったく動かせない。

 飛ぶなんて到底無理で、その場でぴょんと飛んでも滞空時間は増えない。傘を広げてジャンプした方がよっぽどいい。

 何がいけないのか、どうしたら下に降りられるだろうかと、うんうん悩みながら寝て迎えた翌日。

 朝が来たなとうつらうつらしていたら、突如、寒気を感じ条件反射で横に転がった。同時にすぐ隣でガリガリと何かが粉砕される音が不気味に鳴り響いた。

 恐る恐る寝ていた場所を見ると、カブトムシのツノが突っ込んでいた。ヨノだ。機蟲形態のヨノに寝込みを襲われた。老朽化しているとはいえ、コンクリートが見事にえぐれている。生身で食らっていたらひとたまりもないだろう。

「お、人間形態の反応は悪くないな。いいぞ!」

 絶句して固まっている俺を、ヨノは立ち上がって満足げに見下ろした。

「で、昨日はどこまでいった?」

 人を殺しかけておいて、笑顔で聞く。どういう思考回路をしているんだ。いや、多分何も考えていない。俺が避けられなかった場合なんて想定していない。この人は脊髄反射でやりたいようにやる、周りが一番苦労するタイプだ。

「……なんとか、羽が生えたところまで」

 ズイズイと顔が迫ってきたため、正直に話すとヨノはパァと顔を輝かせた。

「すごく早いな! 俺の時は三日かかったぞ。よし、後は実践あるのみだな!」

 嫌な予感がしたが遅かった。

 首根っこをつかまれると、そのままえいや!と放り投げられた。二十階のビルの上から、ぽーいと。

 あまりの衝撃展開に頭が真っ白になり、状況を理解した時には地面までの距離が半分ほどに迫っていた。

 死にもの狂いで羽を生やして、ぐんぐん加速する落下スピードにパニックにならぬよう動けぇええ!!と念じならが飛ぶ姿を必死にイメージする。

 地面に激突するまであとわずか、というギリギリのタイミングで羽は動き、ふわりと体が浮いて、ポテと地面に落ちた。助かった。死ぬかと思った。

「おーギリギリだったなぁ! ハラハラしたぞ! よくやった!」

 後から降りてきたヨノがクッソ下手くそなウインクをしてきた。ゴミでもつまったのかと文句の一つでも言いたかったが、呼吸するのも苦しく喘ぐことしかできなかった。


 そうした無茶振りの、説明のほぼない、やり方が大雑把な訓練が二週間続いた。ハヤクモには一度食われそうになったが、殺されそうになった回数は間違いなくヨノがトップだ。本人が無自覚なのがタチが悪い。しかもどういうわけか指導のやり方に絶対の自信を持っており、受ける側の状態を配慮せず容赦がない。見かねたハヤクモに三途の川から五回ほど助けられたが、放置されていたら確実に川を渡っていた。間違いない。

 おかげでハヤクモが指導した蟲人の誰よりも形態変化を身につけることができたそうだ。訓練最終日、俺も優秀な弟子を持って鼻高々だ。でも俺の指導もよかったと言われた日には、ハヤクモともども乾いた笑いしかでなかった。


「なんでヨノだったんだよ」

 ヨノがルンルンとスキップして去ったのち、ハヤクモに抗議すれば、気まずそうに頬をかいた。

「相変わらず俺の中のカマキリが、お前を弱いうちに殺せとわめくもんでな。怪我をさせないで指導できる自信がなかった。どうしたものかと考えていたらタイミングよくヨノが、俺が新人の訓練をやってみたい!任せてみろ!と自信満々に手をあげたもんだから、ものは試しにと任せたんだが……」

 ハヤクモは俺のボロボロの――機蟲形態はもっとひどい有様の体を見た。

「はっきり言って、こんなところで死なれては困ると、気が気でなかった」

「なら止めろよ!! 見てよ、この怪我!! 何度死ぬかと思ったか!!!」

 まぁ結果的に死なずになんとかなったからいいじゃないか、とのたまうハヤクモをジト目で見るしかできなかった。


 形態変化ができるようになったら、他の蟲人たちに機蟲狩りへと誘われるようになった。

 なんでも機蟲の死体をコレクションとして集めている金持ちが地下都市に多くおり、高く売れるそうだ。裏オークションに流せばいい稼ぎになり、あの大量の旧文明の本もそうした金で集めたという。

 スズメバチの毒針は相手を即座に死に至らしめ、形をあまり損なうことなく倒すことができるため売値がよく、かなり重宝された。

 地下都市では人々の生活を脅かす存在が、ここでは飯の種だ。

 蟲人は人間ほど食える部分はない上に、戦ってお互い負傷するのは確実。そんな蟲人の集まった町に住まう人間は彼らの保存食に見えるのか、積極的に襲ってくる機蟲はまずいない。ある意味、日の本で一番安全な場所かもしれない。


 ハヤクモは俺の訓練を見届けたのち、あちこち飛び回っていた。神出鬼没でまたいなくなったと思っていたら、ひょっこり帰ってくる。いつも珍しい土産を手にしており、帰って来ればいつもちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 ヨノを含めてトウキョウに住まう人はみな、ハヤクモのことを信頼しきっていた。あの本性は俺にだけ曝け出したもの、なのだろう。あの日以来、彼は表向きの顔を崩すことはなかったが、俺の中の機蟲は相変わらずあいつを警戒しろとささやいていたし、あっちもあっちで俺を殺せと言っているのだろう。


 この二ヶ月で機蟲が他の藩を襲撃したという話はない。マチダはいまだにダンマリを決め込んでいる一方、ヨコハマは深刻な事態に陥っていた。

 襲撃以降自殺者が急増し、今もなお増え続け、社会基盤を脅かすほどになっているそうだ。

 どうしてかとハヤクモに問えば「記憶がいつまでも鮮明に残っているからな」と答えた。

 どれだけ辛い思いをしても、時間がたてば悲しい記憶も感情も苦痛も薄れてゆくから、人はどうにか生きていける。

 けれど、ヨコハマの新人類たちは、高度に発達した記憶装置があり、そういうもの、と受け取れないからいつまでも頭をさいなむ。

 では嫌な記憶だけ消去すればいいのではと思ったが、記憶というものは複雑に絡み合って構成されており、特定の記憶を除去することは非常に難しく危険を伴うそうだ。そのため治療目的以外での記憶改竄は禁止されている。けれどそうも言っていられない状況なため、襲撃前の状態に戻す手法もとられたそうだが、破壊された街の状況を見て記憶がすぐに回帰してしまう。ハヤクモの言っていた脆弱性が露呈した結果かもしれない。


 俺の手配書は襲撃から三日ほどで日の本に流布されるようになったそうだ。どんなものなのかと見せてもらって笑ってしまった。ゴーグルをしたままの写真で人相も何も分かったものではない。ゴーグルを常に装着していたのが幸いだったのだろう。懸賞金は人生五回分豪遊しても有り余るほどで、金目当てにそこいらの子供に似たようなゴーグルをかけて突き出す案件も発生しているとハヤクモは言っていた。預かり知らぬところで、誰かに迷惑をかけていると思うと申し訳ない気持ちになるが、どうしようもない。記念にどうだとハヤクモに一枚もらったものの、扱いに困っている。


 トウキョウで暮らすにつれ、色々と分かってきたこともあった。蟲人といえど、誰もが戦闘に特化しているわけではないのだ。

 トウキョウでは蟲人の多くは機蟲を狩る日々だが、人間は廃墟ビルの中で水耕栽培をしたり、魚を養殖して生計を立てている。マツムシ型蟲人のマツさんもそこに混じって働いていた。

「僕にはみんなみたいに武器がないからねぇ。こっちの方が性に合っているし」

 廃墟ビルの一室に並ぶいくつものプランターを眺めながら、のんびりとマツさんは言った。最初に会った時は人間だと思っていただけに、後から蟲人だと聞いて驚いたものだ。

 ――機蟲のほとんどは人への危険性はないのです

 機蟲博物館のナビケーターのキムシの言葉を思い出す。

 蟲人もまた同じなのだ。誰もが俺やハヤクモのように身の内に攻撃性を秘めている訳ではない。けれど、蟲人を恐れている人たちにとっては同じように見えるだろう。

 マツさんは時折、妻と子供の写った写真をぼんやり眺めていることがあったが、トウキョウで彼女らを見かけたことはない。

 ――蟲人とバレれば、家族もろとも殺されることがある。

 トウキョウはハヤクモの作った受け皿だと、ヨノは言っていた。ここに住まう人たちと交流するたびに、その言葉の重みを今さらながら実感するのだ。


 実践を経て色んな機蟲を単独で狩るのにも慣れ初めたが、ヨノには一度も勝てない。

 また負けた、なんて言おうものなら、羽化したてのひよっこが俺に勝とうなんて百年早いと言われる。俺は蟲人の中でも二番目に強いんだぞと言われても本当なのか疑わしい。

どれだけ蟲人としての実力がついているのか分からないが、俺の中のスズメバチがハヤクモを殺せと言わず警戒しろと言っているのは、立ち向かったら確実に殺されるからなのだと最近ようやく気づいた。ハヤクモが蟲人として戦っている姿を見たのは一度だけだったが、おそらく誰よりも強いだろう。


『落ち着いたら連絡してよ』

 たまにヒカルの言伝を再生する。ここで一人で生活できるようになって、落ち着いたといえば落ち着いた。けれど、今のこの弱いままでは、またヒカルを傷つけることになる。もっと強くならなければならない。

 焦りすぎもだめだ。今できることは力と知識をつけることだ。

 機蟲狩りに勤しんで、マツさんからもらった初心者用のプランターで育てている野菜たちの世話をして、夜のとばりが降りる頃に本棚の部屋にこもり、眠気がくれば寝る。

 そんな新しい環境での日々に愛着が湧いてきた頃。

 ハヤクモに頼みがあると呼び出されたのは、ある晴れた日のことだった。

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