第16話 別れ道

 体に小刻みな振動が伝わる。首が痛い。頭が重い。体の節々が痛かった。

「ん……」

 どうにか顔をあげようとしたが重くて持ち上がらない。意識がゆっくり浮上し体に感覚が戻っていくと、風が頬を横切っているのに気づいた。なんとか顔を動かそうともぞもぞしていると、背にぴたりとくっつくものが動いた。

「ようやく起きたか?」

 背後から声が聞こえた。冷えて強張った体に、背から伝わる温もりが心地よい。そこでようやく誰かに抱き抱えながら、乗り物に乗せられているのだと分かった。体をすっぽり布が覆っており手足がうまく動かせない。なんとか抜け出そうともがいていたら、ぺちりと頭を叩かれた。

「大人しくしないと振り落とされるぞ。羽化したての体だ。あまり負担をかけたくない。いいコにしてるんだ」

 たしなめる男の声がした。それでも抵抗をやめないと、背中の誰かはため息をついた。乗り物は徐々にスピードを落とし停止し、俺を抑えていた手が離れる。支えるものがなくなった体は乗り物からずり落ちた。

「ふがっ……!」

 地面に顔面をしたたかに打ちつける。痛む鼻を抑えながら体を包む布から四つん這いで抜けだす。顔を上げた先で、体格のいい男がバイクに体を預けこちらを見下ろしていた。ハヤクモだった。

「お前は……!」

 立ちあがろうして、後ろにひっくり返った。体がまだ言うことをきかない。どうして俺がこいつと一緒にバイクに乗っていたのか。状況が分からず頭が混乱する。ヒカルはどこだとあたりを見回して――彼の絶望に満ちた顔が脳裏にフラッシュバックした。無意識に封じ込めていた記憶が蘇る。機蟲に変化した己の体。ドローンの群。ヒカルの肉と血の味。

「あ……」

 思い出した。俺はヒカルを食った。すぐさま口の中に手を突っ込んで胃にあるものをすべて吐き出そうとゲェゲェ吐くが、でるのは胃液だけだった。胃酸が喉を刺激しゲホゲホとむせる。人を喰らう化け物として生きていくくらいなら、このまま呼吸困難になって死ねればどんなにいいだろう。

『あいつ、起きたらすぐに「死ぬー」とか言い出すと思うからさ。そんなことをしても俺への償いになるわけないだろう、バーカ!って伝えて欲しいんだ』

 ヒカルの声が聞こえた。

 顔をあげると、ハヤクモの手元のノートパソコンからだった。

『なんでそうなってんのか分からないし、俺もめっちゃびっくりしたけれどさ。生きろよ。そんで会ったときに肩かじってごめんなって一言俺に言ってくれればいいからさ。落ち着いたら連絡してよ。んじゃ』

 ここにはいないと告げるように、ぷつりと声は消えた。

「別れ際にもらった、ヒカルからの言伝だ」

「……生きて、る?」

「ああ」

 絶望のどん底に希望の光が見えた。殺してしまったかもしれない恐怖が消え、安堵感が全身に広がり、涙がホロリと流れる。堰を切ったように涙はとどまることなく流れ続けた。

 泣いてます心が少し楽になると、ゆっくりと頭が冷静になっていく。どうしてハヤクモがヒカルの言伝を持っているのか、俺と一緒にいるのか。今まで感じていた違和感や疑問を一つ一つ、つなぎ合わせていくと、ふいに答えが浮かびあがった。

「あんたも機蟲なの?」

 ハヤクモはわざとらしく驚いた顔を作った。そして眉間に掌をあてて離すと、そこにはキョロりと目が生えていた。ヨコハマの機蟲博物館で三つ目の赤ん坊を見た時から、これが人型の機蟲の特徴ではないかと薄々思っていた。ただ信じたくなかった。

 続いて右手をふると緑色に変色し鎌へと変形した。あの時のカマキリと同じ形だった。

「少し違う。機蟲形態も人間形態もとれる蟲人だ。スパイ活動をしていると言ったが、それとは別にお前のような自覚のない蟲人を保護する目的で諸国を旅している」

「なんのために?」

「仲間を増やしたいのさ。蟲人は見つかり次第、殺されるか研究材料にされるからな。一人でも多く集めたい」

「そもそもその――蟲人? ってなに?」

「人間だよ。DNAを調べても人間と蟲人との差異は見つからず、旧文明の科学でさえ両者をはっきり識別することはできなかった。ただ普通の人間とは異なり蟲人は、二つの形態をもっているだけさ。どうしたら蟲人になるのか原因は不明。だが訓練さえすれば自在にどちらの形態もとることはできるし、三つ目を隠して人間として生きていける。だがお前は無理だろう」

 ハヤクモは俺の前にしゃがみ込むと、ノートパソコンを広げた。

 半壊したヨコハマの街並みの映像だ。色々なアングルの画像が流れると、『現地の映像です』と音声が入り、緊迫した様子の女性のアナウンサーが映し出された。

『ヨコハマの市内で27日昼、機蟲たちが襲来しました。その姿形から今まで確認されていないスズメバチ型の機蟲と思われます。現地では多くの死傷者が出ています』

 集団で飛び交うスズメバチ型の機蟲がうつる。流石に人を襲うシーンは流れないのだろうと見ていたら、次の場面に切り替わった瞬間、血の気がひいた。瓦解したビルの向こう側に、誰かがぼんやり立っている。拡大すると直立する人型のスズメバチ型蟲人――俺だった。

 映像はデスクに戻り、専門家と男性アナウンサーが深刻な顔をしていた。

『驚くべきことに人型の機蟲です。機蟲が進化して人並みの知性を得た、ということなのでしょうか?』

『分かりません。ですが、この襲撃の中心にいるのがこの人型の機蟲と見ていいでしょう』

「違う……! 俺じゃない!」

 ハヤクモは首を振った。

「この映像を見て、お前の言葉を信じる人間がどれくらいいると思うか? 表には出ていないが、お前が形態を変化させている最中の映像も監視カメラで撮られている。そのうちお前の人間形態の手配書が全国へ出回るだろう」

「……っ」

「蟲人と判明した今、お前のこれから行く道は二つ。ここに留まってヨコハマの追っ手に捕まって機蟲として死ぬか、俺と一緒にトウキョウへ行って蟲人として生きる術を身につけるか、だ」

 手を差し出すハヤクモに、かつての赤毛の少年と重なる。

 彼に生きろと言われた。こんな訳のわからない姿になるのを間近で見て、しかも肉を齧られたくせに、でも、そう言ってくれたのだ。

 彼は今どこで何をしているのだろう。でも、どこで何をしてもうまくやっていくだろう、という確かな確信があった。ずっと隣で見ていたから分かる。したたかでどんな逆境をものともせず立ち向かっていく姿を。

 彼に負けじと生きていこう。ヒカルに会って、怪我をさせてごめんと謝るその日まで。

 立ち上がり、その手をとった。

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