七.猫から信仰を受ける神

第16話 神にもいろんな種類がいるのだと知った①




 桂華が会社に出勤すると事務所の一角に人が集まっていた。なんだろうかと覗き込んでみるとダンボール箱に子猫が二匹、入っている。なんで猫がと首を傾げていれば桂華に気づいた千歌が声をかけてきた。



「桂華さん、猫好きですか!」

「嫌いじゃないけど……」

「この子、飼いませんか!」


 

 千歌が言うには会社の前に捨てられていたらしい。この小さな会社で尚且つ人目につきにくいことから捨てられたのだろうとのことだった。会社の前に猫を捨てる人間がいるという話は聞いたことがあったが、まさか勤め先で経験するとは桂華は思わなかった。


 黒と白のまだらの子猫と茶トラの子猫が寄り添って見上げている。とても愛らしくて、どうして捨てられるのだろうかと不思議に思う。心ない人間というのはいるものだから、平然と捨てることもできるのだろう。


 暫くの間、桂華は子猫を見ていたが首を左右に振った。



「私はちょっと無理だわ……」



 桂華は動物の世話に慣れていない。嫌いではないのだが少しばかり恐怖心があるのだ。あと、ニャルラトホテプがこのような生き物を可愛がるようには思えなかったので残念だけれど飼うことはできない。とは言わずに、「世話ができる自信がないから」と答えると千歌は残念そうに肩を落とした。



「わたしのところで一匹は飼えそうなんですけど、二匹は無理でぇ」

「さと姉さんは?」

「今、知り合いに確認中らしいです」



 どうにかしたいものなのだがと千歌は子猫を見ている。他の人もうちは無理だねと困っていた。放置するという判断をしないあたり、この会社の人間はまだ良心的だと思う。


 誰かいないのかと相談していると紗江莉がやってきた。



「一匹、貰い手見つかったわ」

「本当ですか!」



 これで全匹の貰い手は見つかったと皆が「よかったー」と胸を撫で下ろす。



「ただ、今日中には難しそうなのよ。誰か一日だけ預かってくれない? 千歌ちゃん無理?」


「一匹っていう約束なのに二匹連れてきたら色々と言ってくると思うので、ちょっと無理だと思います」



 他に誰かと聞いてみるも、皆、世話をした経験がないらしく顔を見合わせていた。「キャリーだけは持ってきてくれるって言ってるのよ」と紗江莉は言うものの、一日だけとはいえ生き物を預かるのは責任が重い。


 そんな皆の反応に紗江莉は桂華を見た。



「桂華ちゃーん」

「いや、私も世話したことなくて……」

「一日だけだから!」



 紗江莉は「明日の夕方にはちゃんと迎えに行くから」と手を合わせてお願いしてくる。滅多にそんな姿を見せないので、桂華は一日だけならばとそれを引き受けてしまった。


 

          ***


 

「猫か……」



 ニャルラトホテプは子猫を見て眉を下げた。訳を聞いて事情は理解したようだが彼の様子が少しばかりおかしい。猫が苦手なのだろうかと聞けば、「猫は面倒なんだ」と返ってきた。



「バーストの信者だからな」

「バースト?」

「猫の姿をした神だ」



 ニャルラトホテプは「ボクと違った神だよ」と話す。バーストは猫の頭を持った女性の姿をしている。普段は地上に降り立つことはなく、別の世界にいるのだという。


 猫たちに慕われ崇拝されている彼女は猫に酷い仕打ちをする者を許さず、あまりに酷いようだと自ら鉄槌を下しにいく場合もある。



「だから、猫に迂闊なことはできない」

「あんたより強いの?」


「どうだろうな、戦おうとは思わない。神同士の戦いなど見ている分には楽しめるが、当事者となると面倒でしかない」



 ニャルラトホテプは「ボクは戦いたくはないね」と言って子猫を見遣った。桂華に抱かれる子猫は大人しくしている。だんだんと彼の眉間に皺が寄っていることに気がついた。



「何、どうしたの」

「いや、別に」

「何、猫にすら嫉妬するの!」



 桂華は子猫をすっとニャルラトホテプから離すも、彼は腕を組んでじぃと眺めていた。



「そんなに不服か!」

「猫には優しいところが特に」

「化け物が優しくしてもらえると思うなよ?」



 桂華の冷静な突っ込みにニャルラトホテプは「ボクなら愛せるだろう?」と爽やかに微笑まれた。どこからその自信が出るのか教えてほしい。逆に感心する、その自信はと思いながら桂華は「とにかく何もしないように」ときつく言っておいた。



「何もしないさ。バーストに喧嘩は売りたくないからね」

「なら、良いけれど……」

「と、いうか。ボクが触ると迂闊に怪我をさせそうだから困る」



 それぐらい小さいと加減が分からないからと言われて、桂華はさっと距離を取った。


 ニャルラトホテプは可笑しそうにしながら「冗談だよ」と笑う。「あんたが言うと冗談に聞こえないんだよ!」と桂華が突っ込むも、彼は笑うだけだった。


 

          ***


 

 子猫の様子を見ながら一夜を明かして、桂華は紗江莉を待った。駅で待ち合わせをしているのだが、何故かニャルラトホテプまで着いてきた。


 駅で引き渡すだけなのだから問題もないだろうと桂華は思っていたのだが、「駅だからこそ、危険だろう」と言われてしまった。


 通り抜けるだけならばいいけれど、人を待つ場合はその駅に留まることになる。そうなると客引きやナンパに遭いやすい。桂華の住むマンション近くの駅というのは賑やかな場所だった。


 街の中心地でもあるからなのか、人の出入りが多くてそういった輩もよく出る。夕方というのもあって、その確率というのは高かった。


 納得のいく回答に桂華は眉を寄せながらも、ニャルラトホテプが着いてくることを許可した。



「着いてくるのはいいって言ったけど、腕組むのは許してない!」

「別に構わないだろう」



 ぐぬぉと腕を引き剥がす。ニャルラトホテプは何を嫌がることをと不思議そうにしていた。「恋人だと思われた方が楽だろうに」と彼は言う。


 もう逃げ場がないのだが抵抗だけはしたくて、桂華は少し距離を取ろうとしたが腰に手を回されて引き寄せられてしまった。逃げようにも手はがっちりと固定されている。


 ぐぬぬと唸ればニャルラトホテプは可笑しそうにしていた。楽しんでるぞ、こいつと桂華は見遣るも彼は愉快げな瞳を向けるだけだ。


 子猫はキャリーの中に入っている。これはキャリーだけでもと引き取る予定の里親さんがわざわざ会社に持ってきてくれたものだ。大人しくしている子猫を時折、確認しながらさと姉さんを待った。


 待ち合わせの時間から五分ほど経った頃に紗江莉たちはやってきた。すぐに桂華を見つけた彼女は「お待たせ」と駆けくる。



「桂華ちゃんありがとう!」

「いえ、気にせず」



 紗江莉はニャルラトホテプに気付いて「彼氏さんですよね?」と聞いていた。彼はもちろん「そうです」と答えるので、桂華に逃げ場はない。



「彼氏さんもすみません、急に」

「いえ、気にしないでください」



 人良さそうな笑みをみせるニャルラトホテプに、桂華はこのやろうと視線を送る。彼はそれに気付いているというのに無視していた。


 里親さんは紗江莉の友達の女性だった。元々猫を飼う予定だったらしく、探していたところに子猫の情報を聞いてこの子に決めたのだという。


 優しそうな人で子猫を入れたキャリーを渡すと、「ありがとうございます」と深くお辞儀をしていた。ちゃんと飼うのでと言っていたので大丈夫だろう。



「子猫ちゃん、まだお母さん探すみたいで夜泣きしますから」

「そうなんですね、気にかけます。お世話になりました」

「彼氏さん、えっと」

「東堂司です」

「東堂さんもありがとうございます」



 紗江莉と里親さんはニャルラトホテプに何度も頭を下げる。彼氏面しやがってこのやろうと桂華は心の中で毒づいていた。


 紗江莉に至っては「わざわざ一緒についてくれるって優しい彼氏さんじゃん!」と肩を小突く始末だ。本当にこの顔の良い男は人間を落とすのが上手い。


 それから少し会話をして二人は子猫を連れて行ってしまった。これで役目は終わったとほっと息をつく。


 たった数時間とはいえ、子猫の世話は大変だった。親を思い出したように夜中に鳴き、ご飯も食べさせたけれど不安げで少し目を離すとよちよち歩いてしまう。自分にはペットは飼えないなと思った。



「怪我させないかひやひやした……」

「それはあるな」



 ニャルラトホテプは「怪我をさせてバーストに目をつけられるのは避けたかった」と言う。流石にこれ以上、神とか化け物とは関わりたくないのでそれはなんとしても回避したかった。


 全力で世話をしたので疲れたのだ。ニャルラトホテプには触らせたくなかったので一人でやった。もう暫くは世話はいいやと桂華は思った。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る