第4想定 第11話

 修学旅行から帰ってきて最初の出勤の日。

 俺は姉ちゃんと一緒に、いつも通りSSTの基地に出勤する。

 県警航空隊の基地の正門から入ると、中ではカウンター越しにヘリパイの小川さんがくだらないジョークを飛ばしていた。もちろんそれを聞かされる犠牲者はいつもの警察官だ。

「宗太郎じゃねぇか!」

 だるっ。

「修学旅行に行ってたんだろ? 若いっていいねぇ!」

 さりげなく通り過ぎようとしたのに小川さんに捕まってしまった。

 うざったらしく絡んでくる小川さんの隣で、いつもの警察官がほっとした表情をしている。おいおい。小川さんのくだらないジョークの犠牲になるのはアンタの仕事って決まってるじゃないか。

「女子風呂覗いたか?」

「警察の前でなんてこと聞くんですか!」

 顔見知りの警察官に職場で事情聴取されるなんて冗談じゃない。

 しかしあたりを見回すと警察官たちは別の意味で目がギラついていた。そして気のせいか俺たちの会話に耳を傾けているように見える。

 まったく宮崎県警にマトモなやつはいないのか。

「むしろ俺のほうが覗かれましたよ」

「お前の周りの女ってマトモなのがいねぇな」

 事あるごとにヤンデレ化しそうになる舞香。

 その舞香の目の前で俺の大胸筋を撫でまわす高田。

 職場にはキンタマを蹴る奴に握る奴。そして顔面パンチしてくる教育係。

 マトモなのは姉ちゃんぐらいだ。

「とりあえず県警の皆さんにお土産です」

 俺はいつも小川さんの犠牲になっている警察官に紙袋を差し出した。

 しかしそれを取り上げたのは小川さんだった。

 県警職員ではない彼はラッピングをビリビリに破って中身を取り出している。

 まぁいいや。

 お土産を囮に俺は再び小川さんに絡まれないうちに隣接するSST基地へと逃げ込んだ。

 普段なら更衣室に直行だが今日はお土産の紙袋を下げている。さきにこの荷物を片付けたい。それに姪乃浜に文句を言う必要があるからな。

 だって修学旅行中にヤンデレ鎮圧作戦に放り込まれたんだぞ。

 ただの非番だったら緊急時に呼び出されることもあるが、今回に限ってはその対応もできないと事前に申請を出していたはずだ。

 申請も出したし決裁も回したというのに修学旅行中に呼び出すだなんて。

 文句のひとつぐらい付けてもバチは当たらないはずだ。

「姪乃浜ァ!」

 俺は勢いよくドアを開けて指令室にカチ込んだ。

 しかし中に姪乃浜はいない。

 副隊長を筆頭に支援隊員が雑談しているだけだ。

 直立不動の姿勢で申告する。

「上岡宗太郎三等愛情保安士! ただいま帰還しました!」

「よし、入れ」

「失礼します!」

 まったく、この副隊長が相手の時は本当に緊張するよな。

 階級で言えばこの部隊のナンバー2だが、実質的にはボスといっても過言ではない。

「副隊長、姪乃浜のヤツはどこですか?」

「アイツならまだ出勤していない」

 ふと壁に貼られたシフト表を確認してみると、昨日の姪乃浜は非番になっていた。あの野郎、事前に申請を出していた部下を出しておきながら自分は堂々と休んでいるのかよ。

 ちくしょう。

 出勤してきたら地獄を見せてやる。

 それまでは休暇中に溜まった書類を少しでも片付けておこう。始業時間まで時間があるが課業外でも時間を見つけて仕事を片付けないと間に合わない。課業終了後の自由時間で片付けるという方法もあるが、訓練で疲れ切った体で書類を片付けるなんて御免だ。

 自分の名前のラベルが貼られた書類箱をラックから引っ張り出して指令室内の巨大なテーブルに広げる。

「宗太郎、何かあったのか?」

「そうなんですよ。せっかくの修学旅行だったのに姪乃浜が作戦に呼び出したんですよ」

 副隊長に愚痴りながら書類箱に放り込まれた俺宛ての書類に目を通す。

 そういえば今日の午前中は訓練内容についての会議だったな。そして俺の初めてのプレゼンテーションの日でもある。あとで原稿を確認しておこう。

「事前に申請したのか?」

「もちろん決裁を取って回りましたよ」

 その証拠に申請書がここにある。

 それぞれの役職者を回ってハンコを集めて回った書類だ。

 ………………。

 ……なんで申請書がここにあるの?

「うわっ! 姪乃浜の決裁貰ってねぇじゃん!」

 全ての決裁が終わったのであればこの申請書は手元にあるはずがない。

 そして印鑑が並ぶ最後の欄。『隊長』と表記された最後の欄には何も押印されていなかった。

「ほら言っただろ」

 振り向くと姪乃浜が出勤してきていた。

「……これって出発前の日付で決裁できないか?」

「いまさら決裁を貰ってどうする」

「ほら、特別手当とか」

「うちにそんな余裕はない」

「じゃあ姪乃浜が無理やり出動させたって事に」

「俺の首を飛ばしたいのか?」

 代わりにその顔を吹っ飛ばしてやろうか?

 ちくしょう。

 せっかくの修学旅行だったのに、通常勤務扱いかよ。

 俺は諦めながら他の書類に目を通す。

 短い修学旅行の間でかなり書類が溜まっている。

 しかたない。

 朝礼前に少しでも片付けておくか。

「今日の会議で宗太郎の発表があるから準備しておけよ」

 姪乃浜は俺の背中に向かってそう忠告してきた。

 俺は指令室を出ると待機室に入室。

「お、宗太郎じゃねぇか」

「なんだよ郁美」

 待機室には第2戦闘班のメンバーだけでなく、第1戦闘班の連中も集まっていた。

 そういえば今日は訓練内容の会議と合同訓練があるからな。本来は非番である第1戦闘班の連中も出勤しているのだ。

 テーブルの片隅では姉ちゃんがイヤホンで何かを聞きながら書類仕事を始めていた。俺が県警航空隊の基地に寄ってお土産を渡している間に仕事を始めたのだろう。まぁ姉ちゃんは幹部隊員だからな。こういう空き時間を利用しないと書類仕事が片付かないのだろう。

「姉ちゃん、何を聞いているんだ?」

「ヤンデレCD」

「誰のシーン?」

「野々原渚」

「たしかMADでよく使われる妹だよな?」

「そうだよ」

「野々原って名前だったんだな」

 これまでずっと野々村って思っていたぞ。

 人間の記憶って結構曖昧なんだな。

 俺は文房具を収納している引き出しを開けて必要な筆記具を漁る。

 後ろから郁美がからかってきた。

「女子風呂覗いたか?」

「お前ふざけんなよ!」

 俺を社会的に抹殺したいのか?

 小川さんといい郁美といい、どいつもこいつも狂ってやがる。

「修学旅行に出発してから帰ってくるまで散々だ。アンタが俺に胸を押し当てるから彼女に怒られたし、クラスメイトから変な目で見られたじゃねぇか」

 俺は郁美の肩に手を置いて苦情を伝えた。

 すると郁美は椅子を蹴り飛ばすかのように立ち上がった。

 やべぇ!

 こっちは郁美じゃなくて美雪だ!

 俺は彼女によって床に張り倒された。

「私が誰に何を押し当てたって?」

「違う! 誤解だ!」

 美雪は俺の両足を抱え、股間に足を当てている。

 いわゆる電気アンマという拷問だ。

 俺は情けない姿勢のまま命乞いをするしかなかった。

「話せば分かアアアアァァァァァァァ!!!!!!!」

 美雪が足を激しく振動させる。

 これに耐えることができる男はいないだろう。

「ウーハッウッハーン! イェーヒッフア゛ーーー!!!」

 ただ俺は絶叫し、全身を痙攣させながらその拷問が終わるのを待つしかなかった。

 脱出する方法はない。

「素数でも数えてろよ」

 郁美がニヤつきながらそう言った。

 くそぅ。

 この苦痛から逃れることができるのであれば何だってやってやる。

 そして郁美を後でとっちめてやる。

「3・359885666243177553172011302918927179688905133731……ブッヒィフエエエーーーン!!!」

「素数って何か分かる?」

 愛梨が呆れたようにつぶやいた。

 ちくしょう。

「愛梨には分からないでしょうねえ!」

 この苦しみは!

 この苦しみは男にしか分からねぇんだよ!

 男共は誰も止めてくれない。

 それどころか触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに目を逸らしている。

 こいつら一生恨んでやるからな!


 会議の時間になった。

 議題は訓練内容の改善についてだ。

 重要な会議ということもあって裏番である第1戦闘班も参加している。

「次は宗太郎からの提案だ」

 待機室に詰め込まれた隊員たちが一斉に資料をめくる。その間に俺は立ち上がり、プレゼンのためにホワイトボードの前に移動した。

「俺からの提案は金的防御訓練です」

 過去の任務で金的を防御したことで戦闘を継続できたことなどの実績を説明する。

 すると浦上さんから質問が飛んできた。

「金的防御って要するに骨掛けのことだろ?」

「骨掛けってなんですか?」

「睾丸を体内に格納するんだよ」

「キンタマを体内に入れるって……そんなことできるんですか?」

「できるぞ。というかSST隊員の男なら全員できる」

 それは衝撃の事実だ。

 キンタマを体内に格納するだなんて。

 骨掛けという技術を初めて聞いたからどのようにするのか分からないけども、きっとキンタマを無理やり体内に押し込むのだろう。

 想像しただけでタマヒュンものだ。

 それで部隊の男共は全員できるだと?

 こいつら人間じゃねぇ。

「浦上さんたち人間辞めたんですか?」

「というか宗太郎、骨掛けをやってなかったのか?」

「そんな恐ろしいことできませんよ」

「骨掛けしないで金的を受けて平気だったって、宗太郎こそ人間を辞めてるだろ」

 気のせいか浦上さんの声が震えている。

「そこまで言うならやってみせますよ」

 俺は郁美に頼んで実演をすることになった。

 両足を肩幅に開き、両腕を頭の後ろで組む。

 不正をしていないことを確認するために郁美が俺の股間を掴んだ。

「あぁ、確かに骨掛けはしてないな」

「……そもそもその状況が人間としてあり得ないんだよ」

 姪乃浜がぼやいた。

 おいおい、郁美に股間を掴まれることのどこがおかしいんだ?

 まぁ隊長なんて放っておけばいい。

 郁美の準備が終わったようだ。

「それじゃあ行くぜ」

「遠慮はいらん」

 郁美は軸足に力を込めると全力で俺の股間を蹴り上げた。

「!」

 彼女のつま先が俺の股間にダイレクトヒット。

 キレのいい前蹴りだ。

「と、このようにボディアーマーを装備していない状況でも戦闘不能に陥ることなく任務を継続することができます」

「………………お前、本当は人間じゃないだろ」

「というかなんで金的は平気なのに電気アンマはダメなんだよ」

 ふと周囲を見ると第1戦闘班の男共が青ざめて股間を抑えている。三間坂さんなんて今にも嘔吐しそうな表情だ。

「私もやってみる」

 立候補したのは美幸だ。

 彼女は『玉蹴り女』という異名を持つ。この部隊の中で日常から股間を蹴り上げている金的のプロだ。まぁ蹴られてるのはいつも俺だけどな。

「おう頼んだぜ」

 俺は再び準備する。

「!」

 しかし準備が整う前に美幸の蹴りが炸裂した。

 まったく、こいつはどれだけ俺のキンタマを蹴りたいんだよ。

「と、金的防御訓練をすることで不意の金的にも怯むことなく無防備な姿を晒すことなく生存率が上がると考えられます」

「………………」

 浦上さんは青ざめた顔で何も言わなくなった。

 三間坂さんに至っては泡を吹いている。

「……それでは改善点のある奴は挙手」

 戸惑いがちに姪乃浜が促す。

 男性隊員たちが一斉に挙手をした。

 指名される前に浦上さんが吠える。

「そんなの骨掛けをすればいい話だろ」

「咄嗟の攻撃ではそんな暇はないと思いますよ」

「それならアーマーを付ければいいじゃないか」

「市街地での作戦ならいいですけど、山地での任務だったらそんなもの持っていけませんよ」

 小火器に軽火器。

 それらの弾丸や砲弾。

 通信機や誘導装置。

 その他もろもろの装備で50キロ近くなる。

 移動速度の確保や体力の温存のためにも余計な物は持っていけない。携行する弾薬だっていつも必要最低限だし、食料に至っては3日で缶詰1個だ。

 そのような状況では使うかどうかも分からないボディアーマーなんて持っていけない。

 苦虫を噛み潰したような表情で姪乃浜が意見を述べる。

「……とりあえず俺からの意見だが、隊長としては賛成。だけど男としては大反対」

「班長はどう思うんだよ!」

 浦上さんが姉ちゃんに質問した。

「とりあえず任務が続行できるなら訓練するべきじゃないですか?」

「オイ!」

「だってボクも男相手に戦う時は狙いますし」

「班長が狙うって事は男にとって弱点なんだよ!」

「じゃあその弱点を鍛えなきゃ」

「それって男にとっては死亡宣告と同じだからな!」

「それに宗太郎の提案だし」

「このブラコン班長!」

 へへっ。

 姉ちゃんなら賛成してくれると思っていたよ。

「あー……俺を恨むなよ。とりあえず宗太郎の提案に反対のやつ」

 3人が挙手をした。

 それは男子隊員たち。

 いや、俺以外の男子隊員の全員が挙手をした。

「……よし、それじゃあ賛成のやつ」

 9人が挙手。

 それは女子隊員全員と俺だった。

「3対9。圧勝だな」

「ちょっと! これって数の暴力だって!」

「……試しにやってみるか……とりあえず恨むなら宗太郎を恨めよ」

 おい隊長。

 部下に責任を押し付けるなよ。

 アンタは上官なんだからお前が恨みを買えよ。

 姪乃浜は会議をさらに進行させる。

「訓練内容についての会議は以上。次は連絡事項が2つだ」

 三間坂さんが恨みがましい様子で俺を見ている。

 おいおい。

 俺に恨みをぶつけるなんてお門違いだ。

 恨むなら姪乃浜を恨めよ。

 そのための隊長なんだからな。

「2012年1月から実施される初級幹部特別集合教育課程レンジャー訓練について全国から16名が参加する。うちの部隊からは宗太郎と三間坂が参加することになった」

「イヤーーーーーーー!!!」

 三間坂さんが絶叫する。

 俺を身代わりにしようとするからだ。

 死なばもろとも。

 一緒に逝こうぜ。

「ちなみに選抜のために実施された素養試験だが、受験者53名の中から宗太郎が全国1位で突破した」

 嘘だろ!?

 まさかこんな所で全国1位になるなんて。

 大喜びで姉ちゃんが俺の頭を撫でまくる。

「宗太郎! すごいすごい!」

「えへへへへ」

 姉ちゃんに褒められるなんて素養試験を頑張った甲斐があるというものだ。

「姉ちゃんに褒められるためだったら次の素養試験でも1位を取るぜ」

「……言っておくが素養試験を再受験するって事は今回の集合訓練で脱落したって事だからな」

 姪乃浜は呆れたように何かを言っていたけどもそんな事はどうでもいい。

 俺は姉ちゃんに褒められさえすればいいんだ。

「それともうひとつ。再来週に控えてある大分県での支援任務について、うちの部隊から宗太郎を単独で派遣する。大分愛情保安部から詳細が届いているから宗太郎は後で指令室に来い」

 その後も姪乃浜は何かを言っていたようだが興味はなかった。

 直後に会議は終了。

 俺は姉ちゃんから引きはがされるように指令室へと連行された。

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