第4想定 第10話

 修学旅行から帰ってきた。

 旅客機で東京から宮崎空港に移動し、そこから貸切バスで地元の日向市へ。

 周囲は真っ暗だ。

 俺たちが乗った貸切バスはゆっくりと家鴨ヶ丘高校の敷地内へと入って行く。停車位置のそばには子供たちの帰還を心待ちにしていたであろう保護者たちがたむろしている。

 バスから降りた俺に舞香が語り掛けてきた。

「ねぇ宗太郎、次の休みにね?」

「覚えているよ」

 俺の近所の史跡を案内するって話だろう?

 修学旅行に出発するときに舞香と約束したからな。

 それに腕をズタボロにされるのはもうこりごりだ。ただの修学旅行だったのに俺の腕には舞香の爪跡が残り、赤いまだら状になっている。今度のクリスマスに爪切りでもプレゼントしてやろうか。

「日向市のとっておきの場所を舞香に――」

 舞香と会話しながら周囲を見回すとその人影を見かけた。

「!」

 俺が見逃すわけがない。

「ねーちゃーん!」

 俺は姉ちゃんの元に走り出す。

 舞香なんかと会話している場合ではない。

 数日ぶりに再開した俺と姉ちゃんは抱き合った。同級生に見られようがカメラを向けられようが気にしない。それはまるで帰還兵と家族の再会だった。

 腕の傷が増えたのはまた別の話。


 修学旅行から帰ってきた翌日。

 学校に登校すると教室の中には数日前の余韻が残っていた。

 まぁ高校生活で1度だけのイベントだからな。限度もあるが教師たちも分かってくれるだろう。

 俺はかばんを机に置くと、一緒に持ってきた紙袋を持って教室を出て行く。

 目的地は1年生の教室が入ったフロア。

 そこに到着すると俺と同じ用事の同級生が数人たむろしていた。

 さてと……。

 お、ちょうどいいところに。

 彼女の名前を呼ぶ。

「ヒャッ!」

 俺が突然やってきたことに驚いたのだろうか。

 坂本さんは歓喜の悲鳴を上げていた。

「はい、お土産だ」

「え? あっ、えっ?」

 お土産を貰えると思っていなかったのだろう。

 坂本さんは面を食らって戸惑っている。

 俺はお土産が入った紙袋を彼女の手に押し付ける。

「あっ、どどっ、どっ!?」

 おいおい。

 驚きすぎだろ。

 そんなに俺のお土産が嬉しいのか。

 お可愛いやつめ。

「ちょっと、宗太郎!」

 俺と坂本さんの間に割って入ったのは栗野だった。

「嫉妬か?」

「死ね!」

 数日会う事がなかったが、栗野は前と同じく嫉妬でパルパルしている。

 それにしても相変わらずのツンデレ具合だ。

 いい加減に自分の気持ちに正直になれよ。

 俺の事が好きなんだろ?

「栗ちゃんにも買ってきたぞ」

「………………どうも」

 不貞腐れながらツンデレパルパル栗ちゃんは紙袋を受け取った。

 てっきり自分だけが貰えると思っていたのだろうか。

 しかし俺は平等な男だ。

 坂本さんは俺の事が好き。

 そして栗野も俺が好き。

 そんな2人を片方だけ大事にするなんてできない。舞香に刺されない程度に2人とも大事にするぜ。

「……なに?」

「いや、恋する乙女だなと思って」

「はぁ?」

「俺の事が好きなんだろ?」

「え!? 坂本さん、こんな奴のどこが!?」

「無理無理無理!」

「だよね?」

「よく分からないけど無理!」

 おいおい。

 そこまで必死にごまかさなくてもいいだろう。

 しかし坂本さんの本心はちゃんと理解しているぜ。

「それに栗ちゃんも俺が好きなんだろ?」

「死ね! というか殺す!」

 おういいだろう。

 俺を殺せるものなら殺してみるといい。

 そのかわり俺が生き残ったら自分の本心に正直になることだ。

「?」

 背後から人の気配がした。

 振り返ると舞香が近づいてきていた。

 彼女も紙袋を提げている。きっと俺と同じ目的でこのフロアに来たのだろう。

「栗ちゃんと坂本さん、宗太郎に変な事されてない?」

「宗太郎のやつ、「俺の事が好きなんだろ?」とか言っていましたよ」

「……へぇ~」

 冷ややかな視線を送ってくる舞香。

 部活内でギスギスしないように俺は舞香にその事を隠していたが、まさか栗ちゃんが自分から暴露するだなんて。

 部活内の空気が変になっても俺は知らないからな。

「「舞香に飽きてきたから乗り換えようと思っている」とも言ってましたよ」

「おい、ちょっと!」

「宗太郎、後でお話ししようね?」

「違う! 誤解だ!」

「言い訳は聞きたくない」

 ちょっと待って!

 栗ちゃん!

 俺を殺したいのか!?

 俺を社会的に抹殺したいのか!?

 俺が栗ちゃんに何をしたって言うんだ!

「栗ちゃん、教えてくれてありがとう。宗太郎はちゃんと教育しておくからね」

 舞香の爪が手のひらに食い込む。

 それにしても俺を教育するだなんて。

 舞香もずいぶんと俺を独占するようになってきたな。

 たしかにこれだけライバルが多ければ油断はできないだろう。

「宗太郎せんぱ~い!」

 俺の存在をかぎつけたのだろう。

 自称俺の婚約者とやらが遠くから駆けてきた。

「あと舞香先輩もお帰りなさい」

 はははっ。

 ひなたにとって舞香より俺のほうが大事なようだ。

 舞香を鼻で笑ってやった。

 爪が食い込んだ。

「ほら、ひなたにプレゼントだ」

「婚約指輪ですか?」

「俺の所持金じゃそんなものは買えない」

 ただでさえ俺の給料は最低賃金ギリギリだ。

 それに少ない給料で任務に使う装備品を買っている。

 今の俺には指輪なんて高級品は夢のまた夢だ。

「先輩の気持ちがこもっていれば針金の輪っかでも嬉しいです」

「手榴弾のピンでもいいか?」

「もちろん」

 それならば訓練のたびに何発も引き抜いている。しかし大量に生まれる使用済みのピンを持って帰ることはできない。そんな事をすれば始末書モノだ。

「私はちゃんとした指輪が欲しいな」

「なんだよ舞香。手榴弾のピンじゃ不満か?」

「お婆ちゃんになっても持っておきたいから……」

 贅沢なやつだな。

 米軍の放出品で済ませようとしていたのに。

「先輩、開けてもいいですか?」

「もちろんだ」

 ひなたはガサゴソと紙袋を漁る。

 出てきたのは数枚のハンドタオル。

 そのお土産の端っこには放送局の特徴的なシルエットが描かれている。

「吹奏楽部ならハンドタオルは必需品だろう?」

 我ながらにいいチョイスだ。

 楽器を吹いていると呼気に含まれる水分で口やマウスピースが濡れる。それを拭き取るために吹奏楽部員はハンドタオルを常に携行しているのだ。彼女たちにとってハンドタオルは何枚あっても困ることはない。

「経験者ならではのお土産ですね」

「俺も現役の頃は世話になったからな」

 今となっては同好会同然の野球部に所属している俺だが、こう見えても中学時代は吹奏楽部に所属していた。

 楽団のレベルが違うとはいえ、ひなたたちの事情はある程度分かる。

 ひなたはお土産のハンドタオルの手触りを確認するように撫でると、俺に向かって断言した。

「先輩、吹奏楽部に入りましょう!」

「残念ながら俺は野球部に所属している」

 転部したいだなんて言ったら顧問に何と言われることやら。

 それに部員数もギリギリだ。この状況で野球部を抜けるとなったら他の部員からも非難されることだろう。

「野球部の隼人、でしたっけ? アイツが先輩の転部を止めようとしたら私が責任を持って排除しますから」

「転部するつもりはないが、隼人を始末してくれるのであればありがたい」

 ちょうどアイツはどうにかしたいと思っていたところだ。

 ついでにアホの3年共も排除してくれ。

 ピストルなら貸してやる。

「それに吹奏楽部で先輩の入部に文句を言う人は私が責任を持ってボコボコにしますから」

「それだけは勘弁してくれ」

 ひなたはヤンデレ化した前科がある。

 彼女のいうボコボコにするというのは可愛らしいものではなく、死傷者が伴うものになるだろう。そしてもれなく俺が鎮圧作戦に放り込まれる。マッチポンプもいいところだ。

「先輩、困った事は私が片付けますから」

 必死な様子でひなたは俺を勧誘する。

「悪いな」

 しかしいくら頼まれようとも。

それがひなたの頼みであろうと俺の決意は決まっている。

「俺はもう吹かないと決めたんだ」

 ひなたに加勢するかのように舞香も入ってきた。

「宗太郎、私も……」

「すまない」

 この決意はたとえ舞香に頼まれたとしても揺らぐことはない。

 俺は決めている。

 現役時代の俺は稲田先輩から習ったことを後輩である高砂さんに伝えることはできなかった。自慢ではないが俺の古巣である吹奏楽部はそれなりの歴史があるところだった。過去には全国大会に初出場ながら金賞を獲得するという成績を収めている。そんな黄金時代は過ぎ去っていたとはいえ、俺はその歴史をぷつりと途絶えさせてしまった。

 二度と楽器を手にしない。

 それは歴代の先輩部員に対する贖罪だ。

 そしてなにより直属の先輩と後輩に対するけじめでもある。

「宗太郎、私ね……」

「悪い。俺はもう決めているんだ」

 珍しく舞香が縋ってきた。

 いつもの彼女らしくない。

 このままでは丸め込まれそうだった俺は無理やりに話を切り上げると、自身の教室に向かって足を進めた。

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