第1想定 第7話

 警察学校から帰ってきた俺たちは昼休憩を済ませ、屋内戦闘の訓練のためヘリに乗っていた。

 この訓練でのチームメイトは愛梨だ。

 美雪と郁美と浦上さんは基地で事務仕事。

 そして姉ちゃんは午前中に引き続き、警察学校でヤンデレ鎮圧作戦についての授業をしている――みんな嬉しくて震えてるだろうな。

「宗太郎、今どんな気持ちだ?」

 機長の小川さんの声がインカムから響く。

「VIPの気持ちです。新人なのに訓練施設までヘリで送迎してもらえるなんて思ってもいませんでしたよ」

「はぁ? なに言ってんの?」

 あんたバカぁ? とでも言いそうな表情で愛梨が俺に蔑みの目を向ける。

 いや、心のなかでは言ってるだろうな。

 俺がどのくらい愛梨と一緒にいると思ってるんだ。今日の朝からだぞ。短いな。

 そんな短時間の付き合いで考えが読めるようになるって、こいつどれだけキャラが濃いんだよ。

「普通にヘリが着陸するとでも思ってるんじゃないでしょうね?」

「え? 違うの?」

 ヘリから降りる時って普通に着陸してからでしょ。これがレスキュー隊とか特殊部隊とかだったら、ロープを垂らして降下するんだろうけどさ。

 そういえば俺たち特殊部隊だった。

 ……嘘でしょ?

「えっと、愛梨ちゃん?」

「気持ち悪い」

 不安のあまり、つい「ちゃん」付けで呼んでしまった。

「まさか訓練場に着いたらリペリング――」

「するわよ」

「無茶だ!」

 普通ヘリからのリペリング訓練って、専用の建物で十分に訓練してからするものだろ?

 なんでいきなりヘリからリペリングなんだよ。

 無茶振り?

 荒療治?

 どっちにしても無理だ!

「どうしたのよ、まさか「できません」だなんて言わないわよね?」

「できません」

「あら、やる気満々ね」

「え?」

 なにこいつ。頭だけじゃなくて耳もおかしくなっちゃったの?

 俺はできないと言ったのに、それのどこにやる気を感じるんだ。

「私たちに「できません」なんて言葉は必要ないわ。出動したら最善の方法で任務を遂行するだけ。それがどんなに難しいことでもね」

 ……正論すぎて反論のしようがない。

 くそぅ、やるしかねぇのか。俺、高いところは苦手なのに。

 愛梨は俺の様子に気付かずに続けた。

「これから訓練するのは潜入作戦で使う降下法よ」

「潜入作戦?」

 姉ちゃんが好きそうだな。

「ええ、状況にもよるんだけど私たちの任務は隠密行動をすることがあるの。例えばヤンデレに刺激を与えたくないとか強襲したいとかね。そんな時はヘリで上空に近づいてリペリング降下で潜入することがあるわけ。屋上とかに降りれば誰にも気づかれないわ」

「エンジン音で気づかれるんじゃないのか?」

 地上からは豆粒程度にしか見えないほど高いところを飛行するヘリコプターだって、そのエンジン音で簡単に気付いてしまう。

 潜入するとすれば水中から上陸するか高高度からのHALO降下だろうな。あとは橋の上からバンジージャンプしたり、何らかのコネを使って反政府軍に紛れ込むとか。

 全部メタルギアじゃねぇか。

 ともかくヘリコプターで潜入するなんて無理だ。エンジン音で気づかれてしまう。

「そういえばヤンデレワールドの詳しい説明はまだだったわね。いい? ヤンデレワールドは現実世界とは完全に隔離されたものなの」

「全くの別空間ってことか?」

「そのとおり。だからヤンデレワールドの中からは外の様子は分からないわ。たとえ上空でヘリがホバリングしててもね」

 ということは――

「私たちが現場に潜入するときはヘリがヤンデレワールドの上空にホバリング。この段階ではヘリの姿はもちろん、エンジン音すら聞こえないわね」

「そしてロープを垂らしてリペリングか」

「そうよ。当然、降下中の隊員は姿を見られるかもしれないけど、ヘリよりは投影面積も少ないし、音もほとんど立たないから発見される可能性は低いわね」

 それなら大丈夫だろうな。

「降下距離は約五十メートル。普通のヤンデレワールドだったら、このくらいの高度を保てば大丈夫よ。もしこれより高かったら強襲するしかないわね」

「高っ!」

 たしかはしご車のバスケットが届くのが五十メートルだったよな。中学時代、職場体験で日向市消防本部に行った時のことを思い出してその高度をイメージする。

 うん、ダメだ。

 どうしよう。絶対にできないぞ。

「いつまでビビってんのよ! シャキっとしなさい」

「無理!」

 だって五十メートルだぞ!? ビビらないわけないじゃないか!

「ビビっててもいいから行く!」

「無理!」

 俺たちは「降りる」「無理」の応酬を繰り広げていたが、数分したところで決着がついた。

 音をあげたのは愛梨だ。

 よし勝った。

「……じゃあ小学生の時、滑り棒はやったわよね」

「それならやったことあるけど?」

 滑り棒とは小学校の運動場の片隅に設置されていた遊具のこと。金属の棒を素手でよじ登っていって、一番高いところについたらそこから滑り降りるという遊び方をするあれのことだ。

 昔はバカみたいに登って降りてを繰り返していたけど、あれのどこが楽しかったんだろうな。

「小川さん、ファストロープ降下に変更しても大丈夫?」

「高度は?」

「十メートル」

「了解だ」

 愛梨と小川さんのあいだで何かがトントン拍子で決まっていく。

 なんか『ファストロープ降下』って不吉な単語が聞こえたんだけど?

「宗太郎、男に二言はないわよね?」

「え?」

「あんたがファストロープがいいって言ったんだから、ちゃんとやりなさいよ」

「言ってねぇよ!?」

 俺は滑り棒の経験を聞かれたから答えただけだ。

 ファストロープ降下をするだなんて一言も言ってない。

「大丈夫よ、滑り棒みたいなものだから」

「そんなわけあるか!」

 あれって簡単なように見せているだけで本当はすごく難しいんだぞ?

 しかもリペリングよりも難易度が高い。危険度も高い。

「最初のうちはシステムが勝手にやってくれるから大丈夫よ」

 便利だな、俺TUEEEEEEシステム。


「若宮、自由に飛べ。ユーハブコントロール」

「アイハブコントロール」

 ヘリの操縦桿が若宮さんに移った。

 彼女は今年の三月に着任したばかりの新米操縦士。

 といってもその操縦は丁寧で、ヘリはかなり安定している。

「訓練計画の確認をするぞ」

 操縦桿を譲った小川さんが若宮さんの監督をしながら図太い声でそう宣言した。

「学校にてヤンデレが教員に拘束されたと想定。SSTはヘリで校内を急襲、ヤンデレを奪還する」

「ヤンデレの奪還って――」

「黙って聞く!」

 小川さんの説明に質問をしようとしたら愛梨に怒られた。

 話が終わってから聞くとしよう。

「ある程度接近したら俺が操縦桿を貰う。そして投下地点の二、三メートル上空で急制動。SSTを投入する」

 二、三メートルか。

 飛び降りれない高さではないな。

「投入後は上昇して若宮に操縦桿を返す。現場上空を数回旋回し基地へ帰投。航空要員の訓練はこれで終了だ」

 ここで若宮さんの訓練計画の説明が終わった。

 そして愛梨が小川さんから説明を引継ぎ、ヘリから降りたあとの俺たちの行動について話し始めた。

 小川さんの説明の段階でちょっと気になる部分があったけど、それは説明が終わってから質問しよう。

「ヘリから降りたら屋上のドアを破壊して校内に進入する。中には学校の先生役の保安官がいるわ。彼らは敵対行動をとっている。排除しながら進むの。射撃でも格闘でもいいわ」

 太腿のホルスターに収められたピストルに触れる。

 実銃ではない、エアガンのUSP。

 移動する目標人間に向かって射撃ができ、被弾しても「痛い」で済む。玩具とはいえ実戦を想定した訓練にエアガンはもってこいなのだ。

 しかもこれは薬莢が飛び出るカート式。

 動作不良の排除マルファンクションクリアランスの訓練もできるというスグレモノ。

「最優先目標はヤンデレを迅速に救出すること。そのための犠牲はいとわない。目的の部屋に達してヤンデレを救出したら訓練は終了よ。なにか質問は?」

 俺は最初の段階から気になっていた、根本的な質問をする。

 さっき愛梨に止められたアレだ。

「どうしてヤンデレを奪還するんだ?」

「……はぁ」

 こいつ呆れやがった。

「なんで気になったときに質問しなかったのよ!」

「愛梨が止めたんだろ!」

「知らないわよ!」

「理不尽!」

 忘れたのか?

 俺が聞こうとしたときに「黙って聞く!」って怒鳴ったのを。

 しかし愛梨は先輩らしく、任務の意味を教えてくれる。

「ヤンデレ化するのは中学生から大学生がほとんど。ちなみにSST隊員の定年は三十ぐらいだけど、高校生と大学生が多いわね。彼らと同じ年代のほうが相談しやすいから」

 たしかにそうだよな。

 俺が恋愛相談をするとしたら、ババァ――年上の先生よりも同級生にする。

「彼らが一日の大半を学校で過ごすわね。もしそこでヤンデレ化したら先生たちはどうする?」

「取り押さえるだろうな」

「そうよ。連中にはヤンデレって概念がないからね」

 ヤンデレってけっこうマニアックなジャンルだもんな。

「連中は生徒指導という名目で介入してくるけど、ヤンデレ事案を複雑化させるだけ。だからヤンデレの対処は専門的な訓練を受けた愛情保安官がしなければならないの」

「つまり俺たちがそこに行って身柄を引き渡してもらうのか」

「……はぁ」

 なんだよその呆れたようなため息は。

 俺は何もおかしいことは言ってないだろ?

「連中に「愛情保安庁です。ヤンデレの身柄を引き渡しなさい」と言って、素直に引き渡してくれると思う?」

 愛情保安庁は厚生労働省隷下の秘密組織だ。

 所属を名乗ったとしても、せいぜい痛いやつと思われるだけ。

「無理だな」

「だから突入して取り返すのよ。「愛情保安庁だ! 両手をあげろ!」ってね」

 海上保安庁と聞き間違えるアホがいそうだ。

「まぁたいていの場合は抵抗するけど」

「え?」

「取り押さえにくるのよ。「おまえらは誰だ」って」

「そいつらアホだろ!」

 もっと致命的なアホがいた。

 なんで銃を突きつけられているのに反抗するんだ。

 銃の怖さを知らないのか?

 当たったらどうなるか知らないのか?

 銃を向けられたら原則として抵抗したらいけないって習わなかったのか?

「公務執行妨害どころじゃないわね」

 特殊部隊への敵対行動が意味するのは死。

 先生たちはこんな簡単なことも知らないのか?

 運がよければ関節を外されたり気絶させられたりで済むけど、それでも痛いぞ。

「ところで……ファストロープ降下はしないのか?」

「あれは嘘よ」

 嘘?

「訓練もろくに受けてないやつに、いきなりヘリから降下させるわけないじゃない。その代わり今回はこれを体験してもらうわ」

 ポーチから二種類の装備品を取り出した。

 爆薬セムテックス閃光音響手榴弾スタングレネード

 両方とも室内に突入するときに使われる装備だ。


「アイハブコントロール!」

「ユーハブコントロール!」

 若宮さんから操縦桿を受け取った小川さんが訓練開始を宣言する。

「訓練開始!」

「銃弾を装填する!」

 小川さんによる訓練開始の宣言の後、俺たちは銃弾の装填を始めた。

 こんなときはサイドアームから装填するほうがよい。メインアームから装填するとサイドアームの装填を忘れる可能性があるからだ。

 俺はタクティカルベストからUSP用のマガジンを抜き取り、サイドアームに装填する。コッキングした後にプルチェックを行い、サムセイフティをかけてホルスターに戻す。

 続いてメインアームだ。

 細長くて可愛らしくもあるマガジン。あらかじめボルトを開放していたMP‐5Jにそれを装着する。そしてコッキングハンドルを引っぱたいてボルトを閉鎖、装填完了だ。

「進入を開始する。現着20秒前」

「宗太郎、出遅れてもいいから何かに掴まっておきなさい」

 揚力を落として高度を下げていくむくどり。

 降下地点の屋上が眼前に迫ってくる。

 このままヘリの腹から突っ込んでしまうのではないかと股間が縮み上がる。

 突起物に掴まって体を支える手に汗がにじむ。

「10秒前、9、8……」

 小川さんによるカウントダウンが始まった。

 いよいよだ。

「6、5、4……」

 うおっ!

 ヘリがノーズアップとなり急制動がかかる。テールローターが床に接触してしまうのではないかと心配してしまうようなきつい傾斜だ。

「3、2、1、現着!」

「Go! Go! Go!」

 機体が水平に戻り、小川さんが到着を宣言する。

 それを聞いた俺と愛梨はほぼ同時にヘリから飛び降りた。

 体育館のステージから飛び降りる感覚で飛んだけど、二メートルって意外と高いのな。

 着地するとすぐに屋上の構造物に走り、ベニヤ板でできたドアの左側に張り付く。右側に張り付いた愛梨は俺とアイコンタクトをとり、爆薬を設置した。

 そして爆破。

 ベニヤ板は破片をまき散らしながら粉砕される。

 俺はサブマシンガンを構え、逆手アイスピックグリップで持った訓練用のゴムナイフで爆風を切り裂きながら屋内へ突入する。あらかじめナイフを抜いていたのは、銃を指向できない距離に敵がいることを警戒していたからだ。

 犯人逮捕が前提の警察系特殊部隊ではまず使われることのないテクニックだろう。だけどこの訓練は「ヤンデレを迅速に救出」することが目標で、「犠牲はいとわない」とお達しがでている。もし目の前に人がいたらそれは必要な犠牲なのだ。どちらかといえば軍隊系特殊部隊のように行動するべきだろう。

 俺に続いて突入してきた愛梨はそのまま階段を下っていく。彼女に続いて降りていくと三階の索敵が始まった。

 ポイントマンを交代しながら進み、一つ一つの部屋を確認していく。

 二人の教師(役の愛情保安官)を発見した。

 ポイントマンを務めていた俺は部屋に進みながら、光学サイトで彼女の顔面を捉えてトリガーを絞る。

 パスッ、パスっ!

 続いて入ってきた愛梨がもう一人の標的に射撃する。

 俺が移動しながら射撃したのはこのためだ。

 閉所戦闘CQBにおいては瞬間的に隊員を突入させて最大火力を発揮させる必要がある。もし入口で立ち止まっていれば愛梨が突入できないどころか、俺一人で二人を相手にしなければならなくなってしまうからな。それに待ち伏せ攻撃範囲フェイタルファンネルをすぐに突破するという意味もある。

 どうやらこの部屋にいたのは二人だけのようだ。

 俺たちは顔面を抑えて悶絶している二人の教師(役の愛情保安官)を尻目に、次の部屋の捜索に向かった。


 ある部屋の前に到達した。その部屋のドアはベニヤ板でできており、『想定:この中からヤンデレと思われる人物の声が聞こえてくる』と書かれた紙が貼ってあった。

 俺たちはドアを挟むようにして立っている。愛梨がドアノブ側で俺が反対側。どうやらこのドアは内開き――つまり俺が真っ先に体を晒すことになる状況だ。

 ハンドサインが送られる。「私がドアを開ける。閃光弾を投げる。お前は撃て」という意味だ。

 ずっと昔に公開された特殊警備隊SSTの訓練動画が脳裏をよぎる。

 一人の隊員がドアを開け、もう一人の隊員が室内の標的に射撃。その隙にもう一人の隊員が訓練用のスタングレネードを放り込む。そしてその炸裂に合わせて射撃していた隊員が目を覆い、閃光が収まったころに突入していくというアレだ。

 初めての動作だが、あの動画は何回も見ている。多少はそれっぽい動きになるだろう。

 アイコンタクトで合図を送る。

 愛梨はそれを受け取り、ドアを開放した。

 露わになるヤンデレ(役の愛情保安官)。

 俺は彼女に向けて発砲する。

 それと同時に投げ込まれる閃光弾。

 俺はタイミング良く目を覆う――はずだったがワンテンポ遅れてしまった。強烈な閃光が俺の眼球を射抜く。

「目があぁ! 目があぁぁぁぁぁぁぁ!」

『なにやってんのよ!』

 ヘッドセットから愛梨の怒鳴り声が聞こえてきた。

 初めてだからタイミングが分かんなかったんだよ。そんなことも分からないのか。

 某大佐のごとく絶叫する俺を愛梨は突き飛ばす。その後、パスパスッと銃声が聞こえてきた。戦闘不能に陥った俺をカバーしてくれたのだろう。

『ほら、もう一度するわよ。リペリング訓練が詰まってるんだから』

 閃光弾を直視してしまったんだぞ。

 視力が回復するまで待ってくれてもいいんじゃないか?

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