Ⅶ 通りすがりの魔術師(2)

「――マルク殿とやら、おかげで命拾いをいたし申した。心よりの礼を言わせてもらおう」


 翌朝、朽ちかけた農作業小屋の藁山のベッドで、上体を起こした包帯ぐるぐる巻きのキホルテスがマルクに礼を述べる……なんというか、いつもの全身を覆う〝プレートアーマー〟が白い包帯に置き換わったというような変な恰好だ。


「私からもお礼を言わせていただきます。本当にありがとうございました。このご恩、一生忘れません」


 続いて傍に座る従者サウロも、改めてこの旅の医者に深々とその坊ちゃん刈りの頭を下げてみせる。


 昨日、意識不明の重体でこの廃墟の小屋まで荷車で運ばれきたキホルテスは、マルクにより懸命な治療が施された後、そのまま朝まで藁の簡易ベッドの上で寝かされた。


 ところが、ひどい打撲と骨折を負った全身にマルクの作った特製薬草ペーストを塗られ、朦朧とした意識のまま丸薬も飲まされたキホルテスであったが、それから一晩ぐっすり眠ると、翌朝には起き上がれるくらいにすっかり良くなっていたのだ。


 多少の痛みはまだ残るものの、昨日のあの瀕死状態から考えてみれば、なんとも信じられないような早さの回復力である。


「それにしてもすごい効き目ですね! いったいどんな薬なんですか? これからも戦で怪我することとかあるでしょうし、よかったらぜひ私にも製法を教えてください!」


「うむ。騎士に怪我は付き物だからの。それがしからもお頼み申す」


 その異常なまでの効能に、サウロは目をキラキラと輝かせながら興味を示し、主人のキホルテスともども、その薬の作り方を若き旅の医師マルクに尋ねる。


「うーん……まあ、教えてあげてもいいんだけど……でも、これは簡単に真似できるようなものじゃないんだよねえ……」


 すると、マルクは腕を組んで少し考え込みながら、なんだかもったいぶった様子でそう答える。


「あ! 秘密とかならいいですよ? そうですよね。門外不出とか一子相伝とか、医術の秘伝をそう易々とは他人に明かせませんよね。すいません。つい感動のあまり失礼なことを……」 


 世の常識から、その態度をそんな商売上の事情によるものと判断し、慌てて謝罪をするサウロであったが。


「いや、そういう意味じゃないんだ……ま、君達は約束守りそうだから別にいいか……じゃあ教えるけど、これから言うことは絶対秘密にしておいてもらえるかい?」


 対するマルクは予想に反して、また意味深な言葉を返してくる。


「え? ……ええ、もちろんです。助けていただいた恩人を裏切るような真似はいたしません」


「うむ。騎士たる者、約束は必ず守るでござる」


 真意はよくわからなかったものの、命の恩人にそう言われては、当然、頷くしかないサウロと、何も考えずに大きく首を縦に振るキホルテス。


「ほんとに約束だよ? ……じつはね、あの薬自体は薬草と鉱石を混ぜ合わせて作ったものなんだけど、さらにそこへ魔導書の魔術を使って悪魔の力を宿してあるんだよ」


 そんな主従に念を押したこの旅の医者は、思いもよらない薬の秘密をおもむろに話し始めた。


「『ゲーティア』って魔導書にあるソロモン王の72柱の悪魔の内序列37番・不死侯フェネクスってやつの力なんだけどね。ま、通常、治療に使うような悪魔じゃないんだけど、フェネクス――つまり〝フェニックス〟と言ったら不死鳥だからね。回復力増強になるんじゃないかと思って。それにフェネクスは自然魔術(※科学)にも詳しいし、試してみたら、いやあ思いの外にうまくいったよ」


「えっと……それじゃあマルクさんは魔法修士か何かなんですか?」


 一旦話し始めると、水を得た魚の如く語りまくるやや興奮気味のマルクに、内容の半分もよく理解はできなかったものの、ともかくも魔導書を使ってるらしいというその事実からサウロはそう認識するに至る。


 このプロフェシア教圏において、一般に魔導書グリモリオの所持・使用は固く禁じられている……使えるとすれば、魔法修士か、あるいは教会や各国王権から許可を得た一部の者だけだ。なので、サウロはマルクもその類だと考えたのである。 


「ううん、違うよ。教会や国側かすれば、いわゆる禁書の無許可での所持・使用ってやつだね」


 ところが、マルクは首を縦ではなく横に振ると、さらっととんでもないことを大胆不敵にも口にしてくれる。


「無許可でのって……えええっ!?」


「なんと!?」


 それには、さすがにサウロとキホルテスも思わず驚愕の声をあげた。


 禁書であるとはいえ、都市部では闇の市場マーケットで密かに魔導書の写本が売買され、それをこっそり利用しているもぐり・・・の魔術師もチラホラいたりはするのであるが、田舎暮らしのキホルテス主従としては、そういった無法者に逢うのはこれが初めてである。


「そ、それってつまり、異端の……」


「シッ! だから秘密だって言ってるだろ? 異端審判士にでも知られたらそれこそ火炙りだからね」


 唖然とした顔で呟くサウロに、周りに人の気配はないながらもマルクは人差し指を立てて一応、嗜める。


「ま、敬虔なプロフェシア教徒からすれば許されざる異端的行為なのかもしれないけどね。でも、悪魔の言いなりに契約しなければ危険はないし、非道な目的のために使わない限り、僕はそれを悪いこととは思っていないよ」


 そして、話の流れから自身の〝魔導書〟観についてマルクは語り始める。


「僕の父親代わりだった人も、時にはそんな悪魔の力を用いて治療をする医者だった。もとはとある王国一の魔術師だったからね。貴族のご令嬢の不死の病を治したり、白死病の流行を止めたことだってあるんだよ?」


「あの、都市をまるごと一つ壊滅させるほどの白死病をですか!? それはすごい……」


「いや、これまで魔導書の魔術は戦で見かけるくらいのものだったが、やはり恐るべき力だのう……こうも早くそれがしの怪我が回復したのもわからなくはないの……」


 マルクの語る魔導書の強大な力に、彼が禁を破っているという衝撃の事実も忘れて二人は感心してしまう。


「ね、使い方を間違えない限り、魔導書はけして危険なものなんかじゃないんだ。むしろ人々を幸せにする便利なものなんだよ。だから、僕は魔導書の禁書政策には反対している……いや、できることなら、そんなものぶっ壊したいとさえ思っている。そのために…」


 驚嘆する二人の顔を見ると、さらに弁舌に熱がこもるマルクであったが。


「騎士殿! すまんが入ってもいいかね?」


 傾いた小屋の木戸がコン、コン、コン…と粗雑にノックされ、そんな老人の声が外から聞こえてきた。

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