Ⅵ 霧の中の巨人(3)

「……う…うくっ……ロシナンデス、無事か……?」


 わずかの後、キホルテスは大剣を杖代わりにしてよろよろと地面から起き上がる……巨人の拳がぶつかる刹那、ツヴァイヘンダーを盾代わりにしてなんとか直接の打撃からは逃れていたのだ。


「……! ロシナンデスっ!?」


 だが、愛馬の方は違った。地面に横たわったままのロシナンデスは細長い脚を奇妙な方向へと曲げ、口から赤い血の泡を吐くと身体を小刻みに痙攣させている……可哀想に、これではもう助かるまい……。


「ロシナンデス……おのれ! よくもロシナンデスを! 悪逆非道な巨人め! 断じて許さぬぞっ!」


 無惨な愛馬の姿を目にし、激しい怒りに駆られたキホルテスは、自身の怪我も顧みず、大剣を振り上げると再び巨人へと立ち向かってゆく……その気合は充分であるが、これまでの戦闘で肩の盾はぐしゃりとひしゃげ、甲冑の中もあちこち打身だらけだ。


「ロシナンデスの仇ぃぃぃーっ! せやあぁぁぁーっ!」


 愛馬を失い、今度は徒歩で突撃を敢行したキホルテスは、そのままの勢いで一気呵成に巨人へと斬りかかる。


「ナカナカシブトイハエダ……」


 対して巨人も不気味な声を発しながら、またも巨大な腕で殴りかかってくる……。


「…フン! ……せやっ…!」


 だが、今度は殴られるままにはさせない……迫りくる岩のような拳に対してキホルテスも大剣を振るい、眩い火花を散らしながら、その巨拳を斬り払って自らの身を捌く。


 やはり鉄のように堅牢で斬り裂くことはできないまでも、剣で弾いて逸らすことならばなんとかできる。


「同じ手にはかからぬ! …ハァッ…!」


 それも、一撃だけではない……先程同様、巨人は四本の腕で間髪入れず、次々に左右両側から殴りかかってくるが、キホルテスは続け様にそれを弾いて退け、最早、殴り飛ばされるようなことはない。


 初戦は遅れをとったものの、今は敵の手の内がわかっている……巨体にも対抗できる長大な剣を手にしたキホルテスならば、たとえ巨人相手でも充分闘えるのだ。


 ところが、一撃目、ニ撃目、三撃目までも難なく退け、次の左下腕による四撃目も斬り捌こうとしたその時。


「…せいっ! ……なっ!?」


 パキン…と、ツヴァイヘンダーが刃根元から折れたのだ。


 やはり、その腕の多さがキホルテスには災いした……肉厚で長大な両手剣といえども、巨岩の如き巨人の拳を連続して受け止めるのには耐えられなかったのである。


「がぁっ…!」


 次の瞬間、巨拳の直撃を食らったキホルテスは、またしても派手に吹き飛ばされる……しかも、今度は盾や剣による防御はなく、直に殴られたその身は先刻よりもさらに遠くへ、宙を舞って地面にぶつかると、その上を石ころのようにごろごろと転がってゆく。


「旦那さまぁーっ!?」


 ドォルジアーネを安全な場所まで逃した後、自分だけ踵を返して戻って来たサウロは、霧に霞みながらも吹き飛ぶ主人の影を目にし、慌ててキホルテスのもとへと全速力で駆け寄る。


「フザケタマネヲシオッテ……ムラビトタチヨ! ヨクモワガメイニサカラッタナ!」


 一方、そんなサウロに巨人は目もくれず、それまでよりも数倍大きく、不気味な低い声を脅すように張り上げる……。


「ミッカカンマッテヤル! ワレヲアザムイタバツトシテ、ミッカゴニサンバイノミツギモノト、フタタビムスメヲサシダセ! デナケレバ、コンドコソ、キサマラゼンイン、ミナゴロシニナルモノトシレ!」


 そして、村を包む霧の中にその恐ろしい言葉を響き渡らせると、次第に輪郭をぼやけさせて白いベールの向こう側に姿を眩ました。


「旦那さまっ! ご無事ですか旦那さま!?」


 対してサウロも巨人の行方を気にかける余裕はなく、倒れ伏したまま動かぬ主人の傍らで血相を変えて声をかける。


「……うぅ……サウロか……悔しいが、完敗だ……もう……指一本動かせぬ……」


 従者の呼びかけに、地面に横たわったままのキホルテスは、途切れ途切れに苦しげな言葉を兜の中より滲ませる。


「そんなことありません! 旦那さまの働きのおかげで巨人を追い払うことができました! だから、お気を確かに持ってください!」


 なおも声をかけ続けながらサウロがバイザーを上げてみると、彼は精気のない顔をして、ぼんやりと開けたまなこだけを熱く潤ませていた。


「……そうか……巨人は去ったか……だが、ロシナンデスをやられ……討ち漏らした上にこの様だ……せめて、剣さえ折れなんだらな……もっと……互角に渡り合えた……もの……を……」


 従者の報告を聞き、譫言のように返事を口にしたキホルテスは、そのまま寝入るようにして意識を失ってしまう。


「旦那さま! 傷は浅いです! どうかお気を確かに! ドン・キホルテスがこれしきのことで死ぬわけがありません! 旦那さまっ!」


 甲冑が邪魔で外からでは容態がわからないものの、この顔色と先程の吹き飛ばされたあの様子からして、まず軽傷ということはありえないだろう……それでも、サウロは目にいっぱいの涙を溜めながら、反応のない主人に対して呼びかけ続けた。


「いやあ、まさか、ほんとに巨人が出るとはねえ……びっくりだよ」


 と、その時。サウロの背後でそんな場違いな声が聞こえた。


「……!?」


「悪魔の類かな? それにしてはまったく見たこともないようなやつだけど……」


 驚いてサウロが振り向くと、そこには一人の少年が立って、巨人が消えた方を見上げながらぶつぶつと何かを呟いていた。


 いや、少年というのは見た感じのただの印象だ。歳はサウロと同じくらいだろうか? 金髪の長い髪を一本の三つ編みにし、魔女のような黒いトンガリ帽の下には綺麗な碧い眼が覗いている……また、その華奢で小柄な身にも黒いマントを羽織った全身黒尽くめであり、肩からはパンパンに膨らんだ革の鞄を下げていた。


「それに、その巨人に挑む甲冑姿の騎士までいるなんてね……まるで騎士道物語のお芝居でも見てるような気分だよ」


 その黒尽くめの少年もサウロ達の方を振り返ると、全身〝プレートアーマー〟に覆われたキホルテスをおもしろげに見つめながら、やはりのんびりとした口調でそんな言葉をさらに続ける。


「き、君は……?」


「ああ、僕はマルク。旅の医者さ。この村に巨人が出るってウワサを聞いて立ち寄ってみたんだけどね。そしたら、ちょうどこの場に鉢合わせしたというわけさ」


 頬を伝う涙も拭かぬまま、唖然とした顔でサウロが尋ねると、少年は微笑みを湛えながら世間話でもするかのようにそう答える。


「おっと。それよりも怪我人だったね。まずは甲冑を脱がさないと診察もできない。ちょっと手伝ってくれるかい?」


 だが、力なく横たわったままのキホルテスに再び視線を移すと、不意に真面目な顔になって彼のもとへと歩み寄る。


「……は、はい!」


 その言葉にサウロもようやく気を取り直すと、だんだんに薄れ始めた白い霧の中、謎の少年とともに主人の完全武装を解き始めた――。

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