6・さよなら

「魔術師キーリア。ここは」

「知らないよ」

 エリザを何か、強烈な衝撃波で吹き飛ばしたキーリア。


 彼女がどう飛ばされたのか、ネイサにもイザベラにもわからなかった。ただその衝撃波は牢や通路の半分ほども粉々に粉砕し、後には、まるで爆弾でも落とされたかのような光景が残った。


「エリザ」

 ただ呆然と呟くネイサ。

「さあ、少しついて来い、場所を変えて、じっくり話をしよう」

 言いながら何か魔術で、手に触れたネイサとイザベラの牢の鉄を、まるで高熱にさらした氷のように溶かしてしまうキーリア。

「師匠」

「いい、イザベラ、力の差は歴然だ。暴れるだけ無駄だよ」

 そしてネイサも、彼に言われ、一瞬体を震わせたイザベラも、おとなしくキーリアについていった。


-ー


 それから警備隊の施設の屋上まで来たネイサたち3人。

 そこに待っていたのは政府の高官らしき2人の男。それに魔術師らしきローブの男女1人ずつ。2人とも金髪で、男性が中性的な事もあり、よく似ている兄妹のようにも見える。

 政府の高官らしき2人は意識を奪われ、ほとんど操り人形とかしている事に、ネイサはすぐ気づく。

「お前たちは、いやお前たちが本当のルメリア政府なのか?」

「そういう訳ではないよ。ただいろいろこちらの事情も複雑でね」

 そして2人の男女魔術師の横まで移動するキーリア。

「とりあえず紳士らしく紹介しておこう。男の方がアーキア。女の方がラミィだ。俺の事は?」

「知ってる」

「そうか。それでお前たちは?」

「俺はネイサ。こいつがイザベラ」


 名前を聞かれたのは少し妙にも思えた。誰にせよ、おそらくネイサたちを見つけた誰かは、ネイサたちの事を知っているはず。考えられるどの人物であろうとも。


「それじゃさっそくだが本題に入ろう」

「”命の書”は渡さない」

 聞かれる前にそれだけは言うネイサ。

「もちろん、お前は殺されたってそれを渡さないだろう。だがダメ元でも俺はお前が想定しているだろう最悪を、いくらも試してみよう」

「きゃっ」と突然、その場に膝をつくイザベラ。

「イザベラ」

「大丈夫です。私だって、こんな奴らに負けない」

 燃えるように熱く感じる頭を押さえながら、必死でイザベラは強がった。

「そうだ。こいつをどうしようと無駄だ。こいつだって覚悟は出来てる」

 いざという時の覚悟くらいできている。

「なるほど、そうみたいだな」

 そしてイザベラの苦しみは消えた。

「お前」


 考えられる次の手は、想定していなかった訳ではない。しかし可能性は限りなく低いと思っていた。その最悪を、さすがに実行は出来ないと思っていた。


「うわあああっ」

 その誰かの悲鳴がまさに合図だった。

 いつの間にか、ドロンの街の上空、至る所に滞空していた飛行船から次々と落とされる巨大な岩石人形。その1つ1つがゴーレムだった。その1つ1つが、建ち並ぶ家々の数倍ずつくらい大きかった。


 ゴーレムを扱える魔術師は、政府が独占しているような状態。それは真実というより、世間一般の常識。だから政府が、ゴーレムで民間人に危害を及ぼす事なんてある訳がない。いくら政府が強力でも、国民の大半を敵に回せば、もうそれは支配どころか、国として成り立たなくなってしまうだろうから。それに内戦は国の弱体化を招く。当たり前だが、ルメリアだけが世界の全てという訳ではない。

 ネイサはそう思っていた。


「やめろ」

 なんて甘かった。暴れだす数百にも及ぶだろう巨大なゴーレムたち。人々などまるで虫けらのように次々と殺されていく。いざこんな状況になって初めて、ネイサは初めてある考えに至った。

 これはありえた事態。想定しておくべきだった状況。


「やめろ」

 今度、叫んだのはネイサでなく、ルードだった。いつの間にかその場にいた彼は、怒りに満ちた表情でキーリアを殴ろうとする。

「ぐっ」

 しかしキーリアを囲っているらしい見えない何かにその拳は阻まれ、次の瞬間には彼の腕は千切れ、その鮮血も見えない何かは阻んだ。

「ぐおっ、があっ」

 さらにキーリアの手から放たれた炎で全身を焼かれるも、凄まじい叫びとともに発した気合いの衝撃で、それは吹き飛ばすルード。

「大した力自慢だが、相手が悪い」

 そして膝をついたルードに、キーリアは再び何かを放とうと手のひらを向ける。しかしそのとどめの一撃が放たれる事はなかった。


「わかった」

 叫ぶネイサ。

「わかったからもうやめてくれ」

 しかしまだ希望は確かに残されてる。確かにまだ……

「ふっ」

 得意気な笑みでキーリアが指を軽く鳴らすと、ゴーレムたちの動きは止まった。


「ルード、大丈夫、な訳ないよな」

 とりあえず彼に駆け寄るネイサ。

「ネイ、サ」

「何も言うな、ルード。なんとか、俺の出来る限り」

 “錬金術”により、ルードの両腕の千切れた個所を覆うようにして、疑似的な人体の組織構造を持つ金属を生成し、とりあえずは彼の命をなんとか繋ぎ止めようとするネイサ。

「イザベラ、お前は大丈夫か?」

 一通り処置を終えると、すでに立ち上がっていたイザベラの方に声をかける。

「大丈夫です」

 すぐにイザベラは答える。

「もう十分だろう」とキーリア。

「ああ」

 怒りに体を震わせながら、しかしネイサに今、選択肢はなかった。

「”命の書”は、俺の工場にある」


ーー


 そしてその工場前。

「ここで待ってろ。あれを保管してる部屋へは、原理的に俺とイザベラ2人だけでないと入れない」

「いいだろう」

 内心賭けだったが、キーリアは、ネイサとイザベラが2人きりになるのをあっさり了承した。


ーー


「いいの? 彼らを彼らだけにして。逃げんじゃない?」

ネイサたちが工場に入ってすぐ、口を開くラミィ。

「仮に逃げれたとしても、この街を徹底的に破壊してやるだけだ」

 平然といい放つキーリアに、ラミィは少し身震いしながらも、その口元には笑みを浮かべていた。一方で彼女の隣のアーキアは、全く無表情のまま、尚も無言だった。


ーー


 ネイサとイザベラ2人でないと、というのは半分嘘だった。

 キーリアたちの望みの物を保管してある部屋は、ネイサとイザベラのいずれかがいればいい。単純にそこに通じる唯一の扉が、ネイサかイザベラが触れていないと開く事が出来ないというだけである。そして部屋に入ると、ネイサはすぐに、テーブルに無造作に置かれてるように見えるそれを手に取った。


 ”命の書”。一見は幾何学的な模様の表紙の、ボロボロの古書にしか見えない。


「本当にそれを?」

「渡す訳ない。この街を犠牲にしても」

「そんな事、いくらあいつらでも」

 まだイザベラは敵の考えが理解出来ていないようだった。数十分前のネイサと同じく、甘い推測に囚われている。

「いいか、奴らは民間人なんて気にする必要はない。単純な力の劣る俺たちが敵のゴーレムに対抗するには、やはりこちらもゴーレムしかない。政府のゴーレムと、政府でない者のゴーレムが敵同士、そうなると結果どうなろうと、被害は全て俺たちのせいにされる」

「なら私たちが抵抗しなかったら奴らは、いったい。暴れてるのは政府のゴーレムだけ。言い逃れなんて出来ないんじゃ」

「その場合は、言い逃れしなきゃいけない相手を全員殺せば、それでいい」

「なんて事を」

 それはまさしく最悪の可能性だった。たった1冊の魔術書が、この世界に真の悪魔を生み出してしまった。

「じゃ、どうします? 私たち」

「抵抗は多分時間稼ぎにしかならない」

 戦力の差は、より正確には潜在的な戦力の差は圧倒的だろう。


 何百人の魔術師。何万の兵士。何十万にも達する強力な戦闘兵器。ルメリア政府という存在はあまりにも強大だった。


「でも抵抗はする。ただし俺1人でだ」

「それって」

「ああ、イザベラ、お前に”命の書”は託す。後は俺が時間を稼ぐから、お前は隠し通路から逃げろ。遠くへ、ずっと遠くへだ」

 それは残された最後の選択。

「いえ、駄目ですよ。私はまだ未熟だし。どちらかが逃げるなら、それはネ、師匠の方が」

「わかるだろう。俺じゃお前に比べて、トロくて逃げられない」

「私だって」

「お前がヴァンパイアの血をひいてて、人間よりずっと体力のある事を奴らはきっと知らない。そんな事多分想定してない。お前なら逃げられる」

「ネイサなんてよわっちいくせに、時間なんて絶対稼げないんだから」

「イザベラ」


 まるで一瞬のようでも永遠のようでもあった瞬間だった。

 シャイで奥手なネイサは、人と触れあうという事が苦手で、イザベラはよくその事で彼をからかったりもしてきた。

 その彼に、その時イザベラは抱き締められていた。その体はとても暖かい、少なくとも半分しか人間でないイザベラにとっては。


「ありがとう」

 それだけ言うと、彼女を解放し、”命の書”を手渡すネイサ。

 イザベラはもう無言でそれを受け取り、そしてすぐにそれを飲み込んでしまう。

 ヴァンパイアやその血をひく者は、体内を入れ物代わりにする事が出来る。決してなくせない大切な物を守る術。

「お、おげ、ん、きで」

 涙は必死にこらえていても、声の震えは抑えられなかったイザベラ。

「ああ、お前もな」

そしてネイサは1人、キーリアたちの元へと戻っていった。

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