第四話 神の家へと向かえ

「もはや語るまでもないけれど、古来より鏡は魔を封じるものとされてきた。だから、彼らはあつめたんだ。自分たちの先祖があがめ、どうしようもないほどに依存いぞんし、血と思想をむしばむ存在を――〝悪魔〟を、この屋敷に封じ込めるため、あつめたんだ」


 興奮などかき消えたように。

 センセーは淡々と事実を解釈していく。


「そうであれば納得がいく。万物万象、あらゆる恐怖の形を取り、人間を堕落させ、神をおとしめる存在――それが悪魔だ。様々な怪異の形を取りながら、どれにも整合性がなかった理由もわかる。悪魔に子どもを捧げる、これはポピュラーな信仰だ。人を呪い、願いを叶える。悪魔ならばたやすいだろう。差別され、うとまれる? 当然だ、いつの時代も人は闇を、悪魔を怖れ忌み嫌った。ここにあるのは、人間の暗黒そのものだ」


 彼はガリガリと頭を掻き。

 それから顔を撫でるように手で覆い。

 ゆっくりとかぶりを振る。


「……違う。そうじゃないのか? そもそも魔鏡に悪魔が描かれていたとしたら、彼らの、犬辺野家の仲間は無数にいて――」


 ぶつぶつとつぶやき思考を続けるセンセー。

 小春と海藤さんは、浮かび上がった悪魔の像を見詰め絶句していた。

 だから。


 〝声〟に気がついたのは、俺だけだった。


 微かな、空気を震わせることもないような笑い声が、俺の鼓膜を揺らす。

 くすくすと、子どもじみた声音が、小さく、小さく響く。

 ついで、影が揺らいだ。

 〝悪魔〟の足下に、気がつけば赤い少女が立っていた。


 犬辺野珠々。


 生まれてくることもなかったはずの少女は、こちらを一瞥いちべつして。

 子どもらしからぬ、いやらしい笑みを浮かべる。


 異常だった。

 俺以外の誰も、彼女の存在に気がつかないのだ。

 さらには、身体がいうことを利かない。またも金縛り状態におちいった俺は、パニックを起こしかける。

 その隙に少女は。

 するりと、床を滑るようにして近づき、俺の耳元へ顔を寄せた。


『〝まさん〟を食べて』


 食べない。

 どうしておまえのいうことを利かなくちゃいけないんだ。

 内心で絶叫すれば、少女は首をかしぎ。


『おにいさんが、生き残らせたから。その〝つみ〟を、つぐなわないといけないの』


 まるで俺が間違ったことを言っているかのように、当惑然とうわくぜんとした言葉を吐く。

 罪。

 俺の罪。

 頭の中で、幾つかの事象が結びついていく。

 点と点が線となり、図形を描き出す。


 十二年前、全国で子どもたちが一斉に不審死をとげた。

 同じ頃、小春が病に倒れた。

 そして、神隠しが起きたのは――


 まさか。

 ああ、そんな馬鹿な。

 だとしたら、俺は、俺は――


『生き残った子どもが、器になるの。おにいさんが、それを選んでしまったから。だから』


 彼女が、スッと俺の背後を指差す。

 そこにいるのは――いるはずなのは――小田原小春。

 神様に助けてくださいと祈った、大切な幼馴染みは。


『だから、おにいさんが〝まさん〟を食べないなら。あのおねえちゃんを、もらっていくね?』


 や――


「やめろぉおおおおおおおおおおおお!!」


 絶叫する俺に、センセーたちがびくりと肩をふるわせる。

 何事かと彼らがこちらを向くが、そんなことに構っている余裕はなかった。

 振り返る。

 そこに、彼女の。

 小春の姿はなくて――


『奇跡の始まった神の家で待っているから』


 ただ、犬辺野珠々の。

 残酷なまでに舌足らずな声が、響くばかりだった。



§§



「向かうべきは鴻上天主堂こうがみてんしゅどうだ」


 山肌を滑り降りようにして駆け下りながら、センセーが叫んだ。

 荒唐無稽こうとうむけいとしか言えない、先ほど起きた白昼夢のような出来事を、センセーたちはいちにもなく信じてくれた。

 もちろん周囲を探したし、小春の携帯にだってかけた。

 けれど、返信なんてちっともなくて。


「思えば、ぼくは迂闊うかつを極めていた。ここは犬辺野彼らのテリトリーだ。どんなを起こせても不思議ではなかったんだ……」


 センセーは激しく後悔していた。

 そんなことはないと告げる余裕が、残念ながら俺にはなかった。

 ともかく、奪われた小春を取り戻すため、いま俺たちは駐車場へと向かっていた。


「……ここに来るまで、奇跡の村の話をしたね。この地方には潜伏キリシタンがいたと。隠れキリシタンと、潜伏キリシタンは少し違うものだ」


 顔色を青ざめさせたまま、センセーが続ける。


 禁教令きんきょうれいが出ていた頃、それでもキリストの教えを守るため、仏教に改宗したフリをしたものたちがいた。

 彼らは後に、キリスト教へと戻り、正当な信者となった。

 これを、潜伏キリシタンという。


「一方で隠れキリシタンは、禁教令が消えたあとも教会へと戻らず、独自の信仰を貫いていった。君の地元に残る奇妙な風習はそれだ。〝丸やさん〟とは聖母マリア、おらしょとは〝賛美歌〟だ。つまり、話を統合すると、斑屋まだらや鞠阿まりあとは、福音書が語るマグダラのマリア――〝罪の女〟と呼ばれる、聖人のひとり。御子によって七つの悪霊を身体から追い出され、御子の死に香油を持って駆けつけ、復活を見届けた婦人ということになる」


 知らなかった。

 地元でもちゃんと意味を知っているひとなんていないし、爺さん婆さんたちはほとんどなにも教えてくれなかったからだ。

 あるいは、そう。

 生活の一部になっているから、いまさら気がつけないのかも知れない。

 そうか、鞠阿さんが、聖母マリア――


「聖母マリアとマグダラのマリアは別物だ。いや、いまはその斑屋某のことはいい。君と同じ不死の存在というわけでもないだろうし、おそらくは名前をかたっているだけの何者かだ。重要なのはね――潜伏キリシタンが教会に戻った、〝使徒発見〟と呼ばれる事件のほうだ。ある聖堂が建てられたとき、この国では滅んでしまったと思われていた信者が現れ、神父に信仰を告白した出来事。これにより、潜伏キリシタンたちは本来の教義へと戻っていった。〝東洋の奇跡〟と呼ばれる事例だ」


 この聖堂の名前こそ、鴻上天主堂。

 つまり。


「犬辺野珠々が口にしたという、奇跡の始まった神の家とは、鴻上天主堂で間違いない。神の家とは、即ち教会を指す言葉だからだ」


 だから、急がなくちゃいけない。

 狗神トンネルから鴻上天主堂までは、どんなに車を飛ばしても半日はかかる。

 その間、小春には危険が迫り続ける。


「…………っ」


 俺は奥歯を食いしばって、さらに足を速めた。


「事態が急を要するのは解りますが、わたしを置いていかないでくださいよ!?」


 海藤さんが悲鳴を上げても、ただ無心で走って。

 なんとか、ダムの駐車場へと辿り着く。

 全員が息を切らし、ハアハアと白い息を吐きながら、頷き合う。

 車に乗り込み、目一杯に速度を出してもらう。


「手荒い運転になりますがね、目をつぶってくださいねぇ!」


 いまさら誰も、文句など言わなかった。

 センセーが、ペットボトルの水で口を潤し、それから顎を頻りに撫でる。


「魔鏡……悪魔を祀る村……散らばる血脈……怪異の起源……〝ここ〟が、本当に起源オリジンなのだろうか? それとも――」


 なにか考え事をしているらしいが、もはやどうでもいい。

 小春。

 俺は携帯を引っ張り出し、彼女へ向けて再び電話をかける。

 出ない。

 メッセを送る。

 何件も、何件も。

 普段あいつが、俺を気にかけてくれたように。


 ああ、どうしてあいつばかりが、こんな危険な目に……いや、本当は解っているのだ。

 俺が、十二年前彼女を助けたことで、なにかが狂ってしまったのだと、あたまでは解っているのだ……。


「怖い話をしてくるぐらいなんだよ……そんなの、かわいげじゃないか……」

「小春ちゃんが君へ怪談を語っていたのは、ぼくの入れ知恵だ。うらむならぼくを怨みなさい」


 センセー?

 それは、どういう?


呪詛返じゅそがえし、というものがある。文字通り、呪いを跳ね返す方法だ。そのなかに、あらかじめ自分や守る対象を載っておくことで、他の呪詛を寄せ付けないというものがある。彼女が行ったのは、それなんだ」


 つまり。


「小春は、俺を守ってくれていた……?」


 ゆっくりと、親のように思っていた怪奇作家は、頷いた。


「あらかじめ、君に怪異への対策を教えるという意味もあった。……じつは、君が不死であることを、ぼくは彼女に、うっかり口を滑らせてしまってね。十年ぐらい前か。それからじゃないかな、切人くんへ、あの子が怪談を語るようになったのは。そうして、自分と君を守るために、魔除けのアクセサリーを身につけるようになったのも」

「――――」


 言葉もない。

 なにかを言えるわけがない。

 だって、そうだろう?


 守っているつもりで、俺はずっと彼女に守られていたのだ。


 それを、それを犬辺野珠々は。

 十辰は……!


「……切人くん。これは確認なのだけれど、以前十辰くんは、自分と珠々の関係を〝あまのじゃくと瓜子姫うりこひめ〟にたとえたんだね?」


 いまさらなにをと思ったが、センセーの目は真剣そのものだった。

 俺は小さく頷く。

 彼はふむと片眉をあげて。


「彼は、妹に自分を捧げるつもりなのかも知れない」


 そう、言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る