第二話 狗鳴トンネルを越えて

「狗鳴トンネルは、新旧二つが存在する。そのうち、多くの怪談、都市伝説を生み出してきたのがこの――〝旧狗鳴トンネル〟だ」


 感慨深そうに、センセーが告げる。

 全員で協力して、重たいブロックをひとつ、ふたつと横に退けた俺たちは、その隙間から中へと侵入した。

 見渡す限りの暗黒。

 息づかいさえも反響し、わずかに身じろぎすると、足下がずるりと滑る。


「きりたん不用心」

「わりぃ」


 小春に助け起こされながら、用意してきたLEDライトをく。

 薄汚れた石造りのトンネル。天井からしたたり落ちているらしい水滴が、いくつも水たまりを作っていた。

 不気味で、閉塞感がすさまじく、この世の終わりのような光景だ。


「予想よりも保存状態が悪いね。天井が剥落はくらくしている。あちこちに落ちている岩盤はそれだ。気をつけて進もう」


 浄一センセーの警告に、全員が頷き、歩き出す。

 足音。

 水の落ちる音。

 なにかが割れる音。

 あるいは……ラップ音。


「資料としては一線級ですからねぇ……雑誌には使えないかも知れませんが」


 言いながら、海藤さんが写真を何枚も撮影する。

 しかし、すぐに彼は「うげ」っと悲鳴のようなものをあげた。

 横からカメラをのぞき込むと、オーブと呼ばれる球体や、光の線に似たなにかが写りこんでしまっている。

 まるで素人が作った心霊写真。

 これでは、資料としての価値もないだろう。


「話の途中だったね」


 センセーが、思い出したように口を開いた。


「この先、本国憲法は適用されず。あの文言は、完全な嘘ではないとぼくは言った。そこにはきちんとした理由がある。海藤くん。奇跡の村というのを知っているかな?」

「は? ええ……ここから三時間ほど車を走らせたところにある、隠れキリシタンの村でしたか」

「正確には潜伏せんぷくキリシタンの村だね。この違いは……まあ、いまはいいだろう。重要なのは、古くからこの地方に信仰が息づいていたこと。そして、他国から宗教を伝えたものがいたという事実だ」


 それは、宣教師がいた、みたいな話なのか?


「少し違う。もとよりこの地方には渡来人が多かったんだ。大陸から渡ってくるものたちが多くいた。そして、これから向かう狗鳴村こそ、そんな渡来人たちが隠れ住んでいた集落だとされているんだ。これは、一次資料も現存するまがうことなき事実だ」


 つまり、外国人が住んでいた村?


「うん。村はダムに沈んだとするのが一般的だが、実際はそのさらに奥地で何者かが暮らしていた。日本の外からやってきた人々が、この国とは異なるルールでいとなみを送っていた……自国から追放され、辺境に来るしかなかったものたちがいたんだ」


 ゆえに、この先、本国憲法は適応されずなのだと、彼は告げる。


「ルールが違う。生活の様式が違う。信じるものも違う。差別のそしりを受けても構わない。なぜならば、そのすべてが歴然れきぜんたる事実だからだ」


 つまり、このトンネルの先にあるものは。

 俺たちの常識が通用しない場所、ということか。


「そうだ。彼らはふもとの者たちとは別け隔てられ、忌み嫌われ、里に下りることも許されず、だからこそひそかに暮らしてきた。異端の神を祭りながらだ。これは、まさに憑き物筋そのもの形と言える。すべての憑き物筋の起源が、噂の出所がここに繋がっていると断言しても、過言ではないだろう」


 彼は、鼻息も荒く告げる。

 この先にあるのは、異教の総本山なのだと。


「……そんな場所に、なんで犬辺野家は鏡を送ってたんでしょうな」


 思いついたように海藤さんがこぼしたのは、確かな謎だった。

 トンネルは封鎖されていた。

 このとおり、出入りが出来ないわけじゃないだろうけど、凄く大変だ。

 おそらく、この先にある村落というのも、とっくに滅んでいて。

 どうしてそんなところに、多大な苦労を払って鏡を送りつける必要があったのか――


「きりたん」


 小春が、俺の袖を掴んだ。

 ライトの無機質な灯りが、前方を照らしている。

 十メートルほど前方。

 無数のブロックが積み上げられ。


 出口が、塞がれていた。



§§



 ブロックをなんとか退けて、外へと這い出した俺たちは、そのまま森の奥へと進んだ。

 すっかり日は暮れて夜のとばりが降りていたけれど、山は不気味なほどに静かだった。

 歩くこと数十分。

 唐突に、それは見えた。


 十字架。

 壊れた十字架だった。

 けれど、違う。

 なにかが違う。

 違和感は、明確な答えを持って海藤さんの口から放たれた。


「逆さの、十字架ですかい?」


 そう、そのオブジェは、逆さまの十字だった。

 周囲を照らす。

 当然人気はない。

 動物の息づかいも、虫の声も聞こえない。

 目をこらす。


 うち捨てられた廃屋が、あった。


「……ここが、狗鳴村らしいね」


 センセーが、声を震わせながら告げた。

 恐怖ではなく。

 そこには隠せない興奮があった。


 廃屋は、家屋だったものらしい。

 しかし屋根が崩落ほうらくしていて、ほとんど原形をとどめていない。

 辺りを捜索すると、同じように朽ち果てた家が幾つか見つかった。

 そうこうしているうちに、


「おじちゃん! きりたん! 海藤さん! こっち!」


 小春が、大声を上げた。

 急いで駆けつけると、彼女は無言で、森の奥を指差す。

 そこに、大きな屋敷が――ぽつんと、立っていた。

 あまりに、見覚えのある邸宅ていたく


土岐洲町ときすまちの幽霊屋敷……」


 すべての発端になった屋敷と同じ造りの建物が、ぽっかりと暗黒の口を開けていた――

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