第六話 あと二回

「〝まさん〟を食べて」


 途絶した記憶が再開したとき、俺は鉄骨でめちゃくちゃに押し潰されていた。

 うめき声を上げることも出来ないほど身体は破損はそんしており、これまでのどんなときよりも惨めな姿になっている。

 服はボロボロ、血まみれで、肉片はかろうじて繋がっているだけ。

 ほんとう、何故生きてるか解らない。

 解らないが――再生したばかりの眼球は、目前の赤い少女を、確かに映していた。


 珠々じゅじゅ

 彼女は俺へと、手を差し伸べている。

 苦難そこから救い出してやろうかといわんばかりの、慈愛の笑みを浮かべてだ。


「〝まさん〟は知恵の実。おにいちゃんは生命の実を食べているから。だから〝まさん〟を食べたら、神様になれる。そうしたら、赤ちゃんが作れるから。だから――たべて」


 差し出されるのは、真っ赤な肉塊。

 ドクドクと脈打つ、毒々どくどく拍動はくどうする血まみれの果実。


 それは酷く美味しそうで。

 もしも一口でもかじれば、この世の春を拝むことが出来ると確信できて。


 俺は。

 菱河切人は。

 しかし、ゆっくりと首を振った。


『どうして?』


 純粋に不思議だという様子で、少女が首をかしげる。

 俺は血を吐きながら口元を歪めてみせた。


 スッと、少女の姿は薄くなり、消える。


『あと二回だ』


 どこからともなく、鞠阿まりあさんの囁きが聞こえた……気がした。

 直後、嫌になるほど聞いた声が、耳をつんざくく。


「きりたーん! どこにいるのー?」


 まずい。

 小春が近くまで来ているのだ。


 このままだと、俺の無様な姿を見られる。

 見られるだけならともかく、不死だとばれて、余計な心配をかける。


 ――俺は、二度と小春の笑顔を曇らせたくない。

 その理由が、いまはある。


 考えろ。

 どうすればこの窮地きゅうちからのがれられる?

 思考は数秒。

 結論は、一瞬で出た。


「――――ッ」


 音とも呼べない絶叫をあげながら、俺は、力任せに自分の首を引きちぎりにかかる。

 両手は潰れているから、延髄えんずいを、半ば貫通している鉄骨に引っかけて、首から下を重しとして引っ張るのだ。

 満身の力を込め、激痛と神経の断裂で明滅する視界をありったけの精神力で黙らしながら、首を千切ろうとする。


「きりたーん!」


 幼馴染みの声を遠く聞きながら、思う。

 果たして、これは自殺に当たるのだろうか?

 俺の村では、自殺はなによりも罪が重いとされていたが……いや、それでもやるのだ。

 歯を食いしばる。


 大動脈が。

 延髄が。

 切れてはならないモノが、ブチリと断裂し。


 首と胴体が、泣き別れをした。


 コロコロと転がる視界の中で、俺は意識を再び失って――



『……あと一回だ』


 呆れたような鞠阿さんのつぶやきと同時に、俺は復活する。

 首から下は、元に戻っていた。

 鉄骨の中には、ボロボロになった服だけが残っており、俺は慌ててそれを引っ張り出し、身につける。


「おーい、きりたんやーい……あ、いた!」


 めざとくこちらを見つけたらしい小春が、駆け寄ってくる。

 駆け寄ってきて、「うぇ!?」と、とても頓狂とんきょうな声を上げた。

 当然だろう。いまの俺は、パンクロッカーでもしないような格好なのだから。


「え? なんで? この数分でなにがあったわけ? あー、大人の事情的な……?」

「この淫乱まな板女が」

「淫乱って言うな! まな板って言うな! てか、どう考えてもおかしいのはきりたんのほうじゃん!?」


 それはそうだ。

 苦笑しながら立ち上がり。

 俺は、一息に彼女を抱きしめた。


「――ひゃい!?」


 先ほどとは違う、処理落ちしたような声を上げる幼馴染み。

 彼女の戸惑いはよくわかった。

 それでも、俺は彼女を強く抱きしめた。

 なぜなら。

 なぜならば……


 菱河切人は、すべてを思い出したからである。


 全部。

 神隠しにったとき失っていた記憶すべてを。



 俺は――取り戻したのだ。

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