月刊誌 『妖異探訪』に投稿されたH.K氏の体験談

第閑話 塀の上で腕組みをする、背の高い女

 多くの人にとって、その地名は温泉街を意味するが――

 俺にとっての地元というのは、観光資源すらひとつもない、この世の果てじみたクソ田舎だった。


 名物をしいてあげるのなら、温泉地にはつきものの殺生石せっしょうせき――火山性ガスのであるあれだ――が、道ばたにあって、じいちゃんたちからおがまれている、ということだろう。


 両親は変わり者で、幼い俺に女の格好をさせたり、すかした名前をつけてみたりとやりたい放題だった。

 昔は、いうことを利かないと殴りかかってくるような二人だったが、いつからかやたらと過保護になり、村を出て進学すると告げたときは、素直に応援してくれた。

 村を出ることも、都市部へいくことも、こころよく思わないはずだと思い込んでいたので、手放しに歓迎されたときは正直面食らった。


 実際に進学が決まると、いそがしいだろうから帰省はしなくてもいいと父は言い、母に至ってはそのまま就職してくれれば安心だと、今日に至っても繰り返している。

 まるで、手のひらを返したように。

 村から俺を、追い出したいようだった。


 そう、村の大人たちは、よくわからないが俺をもてはやした。

 遠巻きに、ニヤニヤといつも笑っていた。

 おかげで高校までは、同級生たちから随分ずいぶんと当てこすりをされたものだ。


 ……おっと、話がれた。

 両親の話である。

 入学金を一括で出してもらった上に、毎月仕送りまで受けておいて、まったく家に寄りつかないなんてのは、さすがに親不孝だと考えた。

 だから一回生の夏休み、俺は実家へと帰省きせいしたのだ。


 帰り着くと、何故か怒られた。

 それでも彼らとて人の親。

 久しぶりに子どもの顔を見るのは嬉しかったらしく、昼食は奮発ふんぱつして天ぷらやらいなり寿司にしてくれた。


 だらだらと数日を過ごし、幼いころ秘密基地にしていた廃神社を探したりもしたが、結局見つからなかった。

 老朽化ろうきゅうかしていたし、取り壊されたのかも知れない。


 それで、あの日。

 寄り合いで両親が揃って出かけたものだから――〝丸やさん〟が来るとか来ないとか言っていた。〝丸やさん〟は荒神こうじんさまだ――俺は縁側えんがわでひなたぼっこに勤しんでいた。


 ふと、顔を上げると、塀の上に女性の頭が出ていた。


 我が家はぐるりと、周囲をへいが覆っているのだが、裏口の当たりに女性が立っているらしい。

 それにしても長身だ。


 大きな鍔広つばひろの帽子をかぶっているので顔は見えない。

 髪の色が、金糸を束ねたような亜麻色あまいろで、日光を受けてキラキラと輝いていたことをよく覚えている。

 身長の高い女性が好みなので、ちらっとでも顔が見えないかと注視していると、やにわに女の腕が伸びた。

 顔を隠したまま、女が顎の下で腕を組んだのだ。


 そこで、おやっと首をかしげることになった。

 いくらなんでも、女の身長が高すぎるのではないかと不思議に感じたのだ。


 我が家の塀は二メートル近い。

 ここに腕を乗せるとなると、女の身長は二メートルを超えるということにならないだろうか?

 脚立きゃたつにでも乗っているのか。だとしたら、なんのために……


 そこで、俺は嫌な考えを思いついてしまった。

 もしかすると、女は家の中を覗こうとしているのではないか?

 顔が見えないのも、わざと隠しているのかも知れない。


 だとしたら、わざわざ塀を乗り越えているのにも理由が付く。

 もとから小さくて、閉塞的へいさてきな村だ。みなが顔見知りだといってもいい。そのなかで、女の背格好にはまったく見覚えがない。

 すわドロボウかと思い立った俺は、


「おい」


 妙な正義感に駆られ、声を掛けていた。

 オバケは怖いが、人間は怖くない。


 人様ひとさまの家になんのようだ。

 どこの家の誰だ?

 不審者なら、通報するぞ。


「降りてこい」


 啖呵たんかを切るように、そうまくし立てたと思う。

 すると、女が揺れた。

 動揺して、脚立から降りようとしているのかと思ったが、違う。

 笑っているのだった。

 そうして――


「本当に、そっちへ行ってもいいのか?」


 やけにはすっぱな、挑発的な声を投げ返してきた。

 面食らいつつも、早く降りるよう語気を強めると、女は。


「――――」


 ずるりと、腕の力で這い上がるようにして塀を乗り越え、べちゃりと、こちら側へ落ちてきた。

 その女には。


 下半身が、存在しなかった。



 ……オチはない。

 恥ずかしい話だが、俺はそこで気を失ってしまったからだ。

 両親に起こされるまで俺は寝込んでいたし、ふたりに事実を打ち明けもしなかった。

 だって、そんなのは幻覚だと笑われるのが解っていたからだ。


 俺――菱河ひしかわ切人きりひとには、このような病気としか思えない体験談が、いくつもある――

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