第二話 怪奇作家に体験談を語ること

「――いやぁ。踏んだり蹴ったりでしたよ、今日は」


 汚れた服を着替えた俺は、ノートPCの画面に向かってため息を吐きかけていた。


 あれから。

 なんとか幽霊屋敷をだっし、ポチとの再会を無邪気に喜ぶ少年を家まで送り届けた俺は、這々ほうほうていで自宅へと帰り着いていた。


 景井荘かげいそう

 大学からは遠いものの家賃は安く、比例するように壁が薄いアパートメントだ。

 たまたまお隣さんが転居てんきょしたてのときに、たまたま角部屋へ入居できたから、いまのところ騒音関係で怒られたことはない。

 

 帰宅直後、ポケットの携帯が振動。

 会う約束をすっぽかした幼馴染みから、鬼のような数のショートメッセージが届いていた。

 神隠しに遭遇してからというもの、あいつは俺と連絡が付かなくなることを、とみにつけ嫌う傾向があった。


 大学の友人から押し売りされた、魔除けの足拭きカーペットなるものの上で外履きスニーカー内履きスリッパへと履き替えつつ、メッセのひとつひとつを眺め。

 ふと、自分が御朱印帳ごしゅいんちょうを握りしめたままだったことに気がつく。

 表紙を開くと、ページがひとつ、減っていた。

 その事実に、いまさらになってブルリと背筋が震え、ひとりでいるのが急に恐ろしくなって――


『それで、ぼくに連絡してきたというわけか。英断だね』


 画面の向こうで、ホームベースのような顔つきをした男性が、口元だけの笑みを浮かべた。

 和服を着こなした、短髪の壮年男性。

 俺はこのひとのことを、センセーと呼んでいる。


『センセーというほど、ぼくは大作家ではないのだけれどね。年に数冊出すのが関の山の、しがない物書きさ』


 センセーは謙遜けんそんしてみせるが、これまで随分とお世話になってきたので、ないがしろにする気は微塵みじんも起きない。

 大学における煩雑はんざつな手続きや、バイトのノウハウ、日常生活での困りごとまで。

 センセーは、そのことごとくに大人としてのアドバイスを与え、俺を導いてくれた。

 だから彼のことを、俺はひそかに尊敬をしていた。

 もっとも――


『そんなことより、早く続きを聞かせてくれたまえ! それで? 赤い少女はどうなったんだい? 御朱印帳は? 犬は? 水の音の正体とは? あー、怪奇的かいきてきだなぁ……!』


 ――この通り、オカルトがからまなければ、という前提の話になるのだが。


 怪奇作家、水留みずとめ浄一じょういち

 その界隈では名の知れた、〝行動的〟な小説家。

 友人知人、果ては読者まで、節操せっそうなく怪談話を聞き出し、蒐集しゅうしゅうしてはまとめあげ、鋭い視点からえぐった作品へと昇華させていくプロのアーティスト。

 本人はしがないなどとうそぶいていたが、とんでもない。通販サイトでは常にランキングへ名を連ねる、正真正銘の売れっ子作家である。


 さて、そんな大人物とどうして俺が面識を持っているのかといえば、すべては悪友の仕業しわざなのだが……いや、それはいい。

 いま重要なのは、俺が怪談の当事者になってしまったという事実の方だった。


「逃げたに決まってるでしょ。あんなやくい場所、一秒だって留まりたくなかったですもん。……怖いし」

『なんて勿体もったいない!』

「おい」


 だいの大人が言うセリフじゃないぞ?


『失敬。しかし、いいかい切人きりひとくん。真に怪奇的なものは、この世に少ない。だからこそ体験した者は、自ら後世に情報を残す必要がある。君が大学一年生の時に送ってくれた塀の上で腕組みをする女――〝八尺様はっしゃくさまの亜種〟――いや、山姫やまひめ伝説の一端とするのが正しいか、あの体験談はとても興味深かった。そうして……今回のものも、ね』


 低く落ち着いた声が、べらべらとよく回る舌でつむがれる。

 物書きというのは、皆こんなにべんが立つのだろうかと疑問に思うが、この人が特殊なだけかも知れない。


『特殊というのなら、君の方が特殊だろう。御朱印帳は残り何枚だい?』

「……四枚です」

『つまり、。それが特殊じゃないとは、言わせないぜ?』


 そう。彼、水留浄一は。

 俺が〝不死〟であることを知っている、数少ない人物だった。



§§



 〝まるやさん〟と、あの廃神社は呼ばれていた。

 悪いことをしたら〝丸やさん〟が来るというのが、大人たち定番のおどし文句で。そのじつ、彼らこそが怖がっていた。


 神社には、地元の誰も近づかなかった。

 けれど俺にとって、そこは大切な祈りの場所だったのだ。

 あるいは――秘密基地というべきだろうか。


 ちて片足を失った鳥居とりいを門番に見立て、賽銭箱さいせんばこは敵の攻撃を跳ね返す無敵の防壁。

 落ちて壊れた鈴は、敵の来訪を告げるサイレン。

 御神体たる殺生石せっしょうせきは、いざというときの爆弾で。

 なかば崩れた社の中で、拾ったいい感じの枝と、こっそり持ち込んだお菓子を非常食代わりにして、いつだって籠城戦ろうじょうせんを繰り広げていた。


 毎日、毎日。

 雨の日も、風の日も。

 俺はあの神社へと通い詰めた。


 鳥居の上には看板が付いており、かすれた文字で〝斑■神社〟と書かれていたのを覚えている。

 幼年期において、神社のいる間だけが、俺にとっての安らぎだった。


 わけのわからない理由で暴力をふるってくる両親とも、顔を合わせれば卑屈ひくつな笑みを浮かべる村の連中とも合う必要がない、誰も寄りつかない境内けいだいは。

 あたかも、俺を歓迎してくれているようだったから。


 しかし――なにかが狂った。

 どこかでおかしくなった。


『■■の死は失われた。ゆえに、おまえに死はない』


 酷く必死な気持ちで、やしろへと飛び込んだ俺を待っていたのは、そんな言葉で。

 かすかに〝金色こんじき〟を見た次の瞬間には――俺は自宅で、両親から抱きしめられていた。


 彼らはボロボロと涙を流しながら、俺に向かってわめらし、相反あいはんするように抱擁ほうようを続け、最後には謝ってきた。

 なにが起きたのか解らなくて、きょとんとしていると。

 自分がなにかを握っていることに気がついた。


 それが、〝御朱印帳〟だった。


 面表紙に、十字が刻まれたぼん

 ページ一杯、巻末まで朱色の呪文じみた押印おういんがなされたそれは、ときおりドクンと脈打ってみせる。


 あとになって聞けば、何ヶ月もの間、俺は行方不明になっていたらしい。

 ほうぼうを尽くして親類縁者しんるいえんじゃたちは探してくれたらしいが見つからず、諦めかけていたその日、ひょっこり帰ってきたのだとか。


 その間のことを、俺はなにも覚えていない。

 ただひとつ、理解していることがあったとすれば、自分に起きた変化のこと。

 あの日から俺は。

 菱河切人という人間は――


 〝不死〟に、なったのであるから。

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