鵺のつがい ~その呪詛はどこから感染をはじめたのか~

雪車町地蔵

第一章 赤い少女はそこにいる 

第一話 幽霊屋敷(赤)

 十年以上も前、菱河ひしかわ切人きりひとは神隠しにった。

 参拝さんぱいするものがない廃神社で、〝俺〟は一度この世から消えて、また戻ってきた。


『おまえに死はない』


 そのとき耳にした、呪いとも祝福ともつかない言葉は、いまだ鼓膜こまくに張り付いて残響ざんきょうを続けている。

 どんなときも。


 ――そう、いまだって。


「どう考えても、やくいよな……」


 目の前に、大きな屋敷がっていた。

 周囲の近代的なビルディングとは、どこまでも相容あいいれないデザインをした、平屋建ての大邸宅だいていたく

 ネズミ返しのためか、床は奇妙なほど高く。

 外観はボロボロにうらぶれており、年季を感じさせる。


 まばらにかわらのはげた屋根。

 蛇でもいそうなほど、雑草が繁茂はんもした荒れ放題の庭。

 窓にはすべて板が打ち付けられており、中の様子はうかがえない。

 いつ倒壊しても不思議ではない、物々しい雰囲気の建物。

 永崎ながさき有数の心霊スポット。


 土岐洲町ときすまちの幽霊屋敷。


 それが、目の前に存在する建造物の正体だ。

 この屋敷は、地元の人間からも相当に嫌われているらしい。

 付近ふきんに点在する建物が、どれもこの屋敷から距離を取ったように建てられているのが、なによりの根拠こんきょだとか。


 土地の少ない永崎で、わざわざ隙間をあけるのは確かに不自然だろう。

 向かいには一時期ラブホテルもあったのだが、そこでも自殺騒動があって、気がつけば取り壊されてしまっていた。

 つまり、いわく付きというやつだ。


 そうして、そんなよくない経緯いきさつのある屋敷に。

 大学帰りの俺は、とある事情から踏み入ろうとしていた。


「ポチがね、はいっていっちゃったの……」


 屋敷の前を通りかかると、ひとりの男の子が泣いていたのだ。

 なんでも、生まれたときから一緒だった大切な犬が、突然うなり声を上げると、この屋敷の中へ飛び込んで行ってしまったという。


 見ず知らずの、いましがた出会ったばかりの子どもである。

 当然、探してやる義理などない。


 けれど泣きじゃくる彼の姿は、神隠しから戻ったばかりの自分を想起そうきさせた。

 ゆえに、つとめて優しい言葉を口にした。


「俺が、助けに行ってやるよ」


 幼子おさなごは目を丸くして。


「本当? お姉ちゃん、怖くないの?」


 と、たずねてきた。

 苦笑するしかない。

 たしかに両親は、神隠しから帰った俺を女として育てようとしたし、この顔は中性的なものだけれど。


「お姉ちゃんじゃない。俺は、菱河ひしかわ切人きりひと。正真正銘の男だ」


 だから怖くないのだと、見得みえを切った。

 本当は逃げ出してしまいたいぐらいブルっていたけど、少年を安心させたくて。


「――やめときゃよかったか」


 そうしていま、死ぬほど後悔しながら、入り口の扉に手を掛けているわけである。


「いや、いっぺん決めたことだ……いくしかないだろ」


 独白どくはくで自分を鼓舞こぶし、立て付けの悪い戸を開ける。

 瞬間、かび臭い空気が鼻をついて、盛大にむせた。

 腐臭とかではなくてよかったと安心するが、踏み入るなり足を乗せた床板は、ぎしり……と、なんとも頼りない音を立てるので、たちまち落ち着きをなくしてしまった。


 中は真っ暗。足下もろくに見えない。

 しかたなく、携帯のライトをく。


「おーい、ポチ。でてこーい」


 顔も知らない犬を探しながら、屋敷の中を進む。

 屋内は広い。広いが、ある程度目星めぼしをつければ、探せないこともないだろう。

 ともかく、片っ端から家捜やさがしするしかない。


 廊下には、厚くホコリが積もっていた。

 大学でも噂を聞く程度には有名な心霊スポットらしいが、人の侵入した形跡はない。

 当然だろう。いまは不法侵入とか、かなり厳しく罰せられる時代だ。

 他人事ではないが、どうか今回だけは目をつぶって欲しいと思いながら、ポチの痕跡こんせきを探す。


 一歩進むたびにホコリが舞い、ライトに照らされて、チラチラと光る。

 奇妙なことがひとつあった。


「……箱?」


 手のひらほどの大きさの小箱が、廊下のすみや、部屋の入り口など、あちこちに置かれていたのだ。

 なんだか嫌な感じがして、手をつけるのはやめておいた。

 どんな小さな犬でも、さすがに箱の中へ潜り込んでいるということはないだろうし。


 居間にさしかかると、完璧に床が抜けていた。

 外から見たときも感じたが、床下は大人がかがんで通れそうなぐらいの高さがある。

 ここに潜り込まれていたら、ちょっと探しようがない。

 頭を掻いて、とりあえず他の場所を見て回る。


 トイレ、台所、寝室。

 奥に行けばいくほど老朽化ろうきゅうかは酷くなり、あちこち床板が歯抜けになっていた。


「……ちょっと、懐かしいな」


 田舎にあるくだんの廃神社も、こんな感じだった。

 なにもかもが古びていて、腐っており、おんぼろで。

 それから――


「……いやいや」


 こんなことを考えている場合ではない。ポチを見つけて、一刻も早く脱出せねば。

 ぎしり、ぎしり……と音を立てる廊下を進み、立ち止まっては犬の名前を呼ぶ。


 ぴちゃん――と。

 遠くで、水の音がした。


 なにか、得体えたいの知れない不安を感じ、生唾を飲む。

 音がした方へと足を向ければ、そこは風呂場だった。

 古風な浴槽は、すっかりカビにまみれていて、元がなんだったか判別もつかない。

 そのくせ水気など、どこにもない。

 ……あの音は、なんだったのだろうか?


 首をかしげたとき、激しい犬の鳴き声が聞こえた。


「ポチ?」


 え声は、どんどんひどくなる。

 まるで、ナニカにおびえているように。


「…………」


 俺は、ポケットから〝御朱印帳ごしゅいんちょう〟を取り出した。

 神隠しから戻ってきた俺が、いつの間にか手にしていたものである。

 同時に、あの日から片時も手放したことがないお守りだ。


 恐る恐る、表紙に刻まれた十字をで、ページを開く。

 押されている御朱印は、一見して呪文のようで。

 しかしほとんどの頁は、火災にでもったごとく失われている。

 恐ろしい目に遭うたび、頁は短くなっていったからだ。


 最初は、百四十四枚あった。

 残りは――五枚。

 ここに入る前と変わらない。

 つまりは、まだなにも起きていないということだ。


「……ふぅ」


 深呼吸をして、ぎゅっと御朱印帳を握りしめる。

 それから、足早に声がした方へと向かう。


 幽霊屋敷の一番奥。

 奥座敷に位置する場所。

 開きっぱなしになったふすまの前で、柴犬が歯茎をいて吠え立てていた。


 室内には、あの小箱が無数にあって、仏壇ぶつだん……? のようなものを、半円形に取り囲んでいる。

 そこに行くまでの通路はとくに荒れていて、踏み抜かれたのか、床板が折れて天井を向き、剣山けんざんのように鋭い穂先ほさきをみせていた。


「おまえがポチか……?」


 きゃん、と答えるように一鳴きした犬は。

 器用に床の無事な部分を辿たどり、こちらの足下へとすり寄ってきた。

 抱き上げて、撫でる。


「よーしよし、よく無事だったな」


 帰ろう。あの少年も心配しているぞと、言いかけ。

 ぞくり。

 背筋が震えた。


 視界のすみを――〝赤〟が――よぎる。


 開かれた奥座敷。

 床が抜け、天井も大きく崩れた、野ざらしの夜。

 草が生え、風に揺れるその真ん中に。

 赤い――


 赤い少女が、立っていた。


 うつむきがちで、長い黒髪のせいか、影になって顔は見えない。

 背は低く、子どものようで。

 身につけている服はただ赤く、手足は枯れ木のように細い。

 ほんの寸前までは、確かに誰もいなかったはずなのに……いったいどこから現れたんだ?


 ぴちゃん。

 水の音。

 鉄錆てつさびにも似た臭いが、鼻をつく。

 それらを切っ掛けにして、記憶の底からよみがえるのは、過日かじつの出来事。


 この屋敷で――違う、地元の廃神社で。

 俺は、見たのだ。

 緋色の、血のようにあかい、金色の女が――


『〝まさん〟を食べて?』


 すぐ耳元で、ナニモノかがささやいた。

 赤い少女が、背後に立っていた。


「うわああああああ!?」


 俺はたまらず悲鳴上げ、ポチを抱えたまま、一目散いちもくさんに逃げ出した。

 視線は切っていない。ほんの一瞬物思いに囚われただけ。

 なら、いつの間に近寄られた?

 そんな疑問は、恐怖の前に無意味だった。

 振り返りもせず、俺はただ全力で走って。

 逃げて。


 けれど、足がもつれ。

 よろけて、転んで。

 そこには、運悪くとがった床板が天を向いており――


『おまえに死はない』


 脳裏で響く、いつかのあでやかな声音。

 ぐしゃりと、生々しい音が響き、犬が沈鬱な声で鳴いた。

 俺は。


 床板に喉を貫かれ――このとき確実に死んだのだ。


 広がる血の海。

 また遠くで、水のしたたる音が、した。

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