代行する?年

 ことり、ことり――……。白く清潔なリノリウムの床を革靴が鳴らす。


「ふふっ」


 あわせて楽しそうな笑い声が上品に響いた。声の持ち主は、白く華奢な花をまとめた花束を片手に持ち、そしてもう片方の手には赤く錆びついている鋭利な刃物を持っていた。ツンとした医薬品のにおいが充満するそこに似つかわしくないそのナイフは、もちろん声の主たる青年にも少々不相応であり、ナイフに施された美しい装飾がキラキラと月明かりに反射するのもどこか場違いのように感じる。

 そんな青年は、幼さを残した顔立ちに無邪気に輝くトパーズ色の瞳、ふわりと綻び小さく弧を描く血色のいい唇をした、一見するとどこにでもいる好青年であった。しかし、すらりと伸びた上背にそぐわないほど純粋無垢な雰囲気を振りまく彼は、青年と呼ぶよりも少年と呼称した方がふさわしいような気もする。

 ことり、ことり。軽やかに床を踏む青年は、いつの間にか小さな声で歌を口ずさんでいた。高く細く響くその歌はどうやら讃美歌のようだが、よくよく聞いてみると讃美歌というにはいささか物騒な言葉が含まれていた。


 神様 神様 我らの偉大な神様

 導いてください仔羊を 裁いてください私達を

 赦さないでください罪科を 殺してください僕たちを

 嗚呼 神様 神様 我らの偉大な神様

 どうか僕らを どうか命を 切り取ってください


 歌い終えるころ、彼は大きな両開きの扉の前に立っていた。重く重厚そうな扉が彼の前で悠然と佇んでいる。そこでぴたりと足をそろえて立ち止まったかと思うと、彼はクルリと後ろに振り返った。ふわりと彼の体を覆い隠している真っ白なローブが翻る。それから一等美しい笑顔を浮かべると、ナイフを腰の鞘に差し、代わりに懐から小さな箱を取り出した。


「さぁ行こうか」


 笑顔をそのままに箱から細長い棒を一つつまむと、それを箱の側面でしゅっと勢いよく擦る。次の瞬間、棒の先端に温かくて柔らかな橙色の火が灯った。


「神様が迎えに来たよ」


 うっとりと炎を眺めてからそれを目の前へと放り投げる。放物線を描きながら宙を飛んだ火は、やがてそっと地面に横たわると辺りへ広がっていった。


 神様 神様 僕らの神様

 連れて行ってあげてください哀れな子を

 花園への路を 迷わぬよう

 嗚呼 神様 神様 僕の神様

 赦さないで罪人を 殺さないでまだ今は


 ごうごうと燃え盛る白亜の建造物の前、青年は両手を組み地面に膝をついて歌を捧げた。そのすぐ前には、まるで墓前に供えられる花のようにあの白い花束が横たえられている。勢いよく燃え上がる炎の風圧でローブがバサバサと鬱陶しくたなびくが、彼は気に留める様子もなく歌と祈りを紡ぎ続けた。穏やかに燃え広がる火に照らされて白いローブはほんのりと赤く色付き、青年の美しく整った横顔も相まって一種の宗教画のように見える。とはいえ、立ち込める異臭と、あまりに無垢な彼とのコントラストは絶妙に嚙み合っておらず、一目見ただけでその異常性に眩暈がしそうだが。

 それからどれほど時間が経っただろうか。暗い夜空に浮かんでいた月は随分と西側へ傾き、そして津波のように建物へと覆いかぶさっていた炎は随分と勢いを殺していた。後に残ったのは黒く焼け焦げ形を失った白亜の城と、その前にひっそりと取り残された小さな花束だけだった。白いローブに身を包んでいたあの青年は、いつの間にか姿を消していた。

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