The 9thバトル ~幼女とクラスメイト①~

「おい、人多いんだからはぐれるだろ。勝手に先に行くなよ」


 都内花園神社。

 幼い少女の背中を追い、肩に手をかけるサラリーマン。


 松井逸馬。

 独身の一人暮らし。ちょっとした自慢は罰ゲームで撮り貯めた愛姫の写真フォルダ。

 泣く子もドン引きする社会不適合者である。


「私まだお店全部見てないもん。なんでも好きなの買っていいんでしょ?」


 そんな逸馬の手を払いながら澄まし顔で答える少女。


 生麻愛姫。

 母親と二人暮らし。さりげない自慢は左右に180°開脚出来ること。

 意外とよく涙ぐむ優良児童である。


「ねぇロリコン、暑いからかき氷食べたい」

「お前昼間から甘いものばっかりで胸焼けとかしねぇの?」

「むねやけってなに?」

「……あぁ、俺も小学校ぐらいの頃はしたことなかったか」


 夏祭りだけあってかき氷屋は何店舗か出ており、そのうちの一つで二人は足を止めた。

 夏の熱気と人ゴミの暑さから店は盛況で、少し長めの列に入る。

 浴衣と甚兵衛のカップル、高校生ぐらいの連れ合い、その中にあって親子ほどではないおっさんと少女の組み合わせは少し浮いていた。


「この時間だとお前ぐらいの歳のやつはあんまりいないな。俺がガキの頃は祭りの日は夜遅くまで遊んでもいい決まりだったけど、場所柄もあんのかな」

「へー、夜遅くまで子供が残ってるとさらわれるんじゃなかったの?」

「あぁ、俺の友達も一人行方不明になってニュースになったっけな。あいつその後どうなったんだろ」

「え……」


 愛姫が得意げに逸馬が言っていたことの矛盾を指摘したが、何気なく自然に返されてしまったので本当なのか嘘なのか少し困惑した。

 からかわれるのも癪なので、愛姫が話しを元に戻そうとする。


「私の学校の子も行くって言ってたけど、門限があるから帰ったんだと思う」

「お前は門限とか大丈夫なのか?」

「お母さん、今日も仕事だから」

「……そっか。友達いたら一緒に遊べたのに残念だな。もっと早く来れば良かったか?」

「ううん。いなくていい」

「は? なんでだよ?」


 愛姫がハッと我に返ったように顔を上げる。

 そのまま少し目を泳がせると、「あんたみたいなのと一緒にいるところ見られたくないから」ときっちり悪態を付いた。

 

「あっそう。まぁ俺も知り合いに見られたら言い訳が面倒だしお互い様か」

「あんたの知り合いって人がいたら、今まで私にしたこと全部バラしてやるわ」

「おい、マジでやめろ。冗談抜きで社会的に死ぬ」

 

 そうこうしてる内に屋台の列も進んでいき二人の番になった。

 大型の瓶に色とりどりのシロップが入っており、店の若い青年が何にするか聞いてくる。

 

「いちご味ください」

「俺はレモンで」


 注文すると、店の若者が昔ながらのかき氷器のレバーを手にする。

 シャリシャリと小気味良い音を立てながら巨大な氷がクルクルと回り、愛姫がそれを物珍しそうに見ていた。


「はいよ、いちごとレモンね」


 受け取った白い氷の山に鮮やかな黄色と赤が映える。

 愛姫が一口食べると、火照った身体に冷たさが染み込むようで口元を綻ばせていた。

 そのまま氷を口にしながら参道を二人並んで歩く。

 

「そういえばお前、前もイチゴ味食ってたよな」

「だって好きなんだもん」

「ふーん。でも知ってるか? かき氷のシロップって全部同じ味なんだぜ?」

「……嘘でしょ? またそうやって騙そうとして」


 今までにも散々嘘を付かれてきたため、愛姫は逸馬の言葉を鵜呑みにしないよう警戒していた。

 その様子を見ていつも通りニヤニヤとした表情を浮かべると、逸馬が立ち止まって提案する。


「そんじゃ試してみようぜ? ちょっとお前のかき氷貸せよ」

「なにするの?」

「嘘だっていうなら、食い比べてもどっちか分かるはずだろ? 今から俺がお前にどっちか食わせるから、何味か当ててみ?」

「別にいいわよ。でも、イチゴの方なのにレモンとか嘘つくのはなしだからね」

「お前こそ、うっすら目開けるとかやめろよ」

「あんたじゃあるまいし、そんなズルしないもん」


 逸馬が器用に片手で容器を二つ持つと、愛姫から受け取ったかき氷のストロースプーンを使い、レモン味の氷をひと匙すくった。


「おら、口開けろ」

「ん」


 そっと目を閉じ、やや顔を上げた愛姫が口を開ける。

 その様子は餌を待つ雛のように愛らしく、逸馬は写真を取りたい衝動に駆られたが生憎と両手は塞がっていた。

 仕方なしにそのまま口の中へかき氷を放り込む。


「ほら、どっちか答えてみろよ」

「イチゴでしょ? 簡単じゃない」

「残念、レモンの方でしたー」

「えぇ!? 嘘でしょ!?」


 逸馬が心底嬉しそうにドヤ顔で答える。

 愛姫が信じられないといった顔で、スプーンをひったくって逸馬の持っているかき氷をすくった。

 そして、口に入れる前に目を閉じて、交互に味を確かめる。


「お、おんなじ気がする……」

「当たり前だろ、同じシロップなんだから」

「でも、いつも食べてるときは違う味だったもん」

「色と匂いは違うけど、同じ物に着色料と香料入れてるだけなんだよ。それで、こんだけ屋台が並んでて匂いがごった返してりゃ、目を閉じちまえば違いなんて分からんだろ。お前が色とちょっとした匂いの差で味が違うって思い込んでただけだ」

「そ、そんな……。今までずっとイチゴ味だと思ってたのに……」

「ふっ、世の中がそんなに誠実で単純なものだと思うなよ。一つ勉強になったなクソガキ」

「なんかすごいがっかり……」


 悪態も付かず素直に愛姫がしょんぼりとする。

 単純に夢が壊れたといった様子だった。

 それを見た逸馬は、可笑しく思いながらもほんの少しだけ罪悪感も感じた。


「まぁ、マスターのところのかき氷とか、ちゃんと果汁が入ってるのもあるみたいだけどな」

「そうなの? 確かにあそこのすっごく美味しかったけど」

「夏の間に勝負に勝ったらまた連れてってやるよ。今日食ったのと比べてみろ」

「本当に? それだとあそこのじょーれんさんってやつになっちゃうね」

「そんな毎回勝てると思ってんじゃねぇぞお前」


 二人自身は気付いていなかったが、その悪態の突き合いは角が取れた柔らかいものとなっていた。

 内容はともかく、その雰囲気は決していがみ合っているようなものではなく、若干楽しんでいるようですらあった。

 それは祭りの陽気な空気がそうさせたのか、或いはお互いに些細な心境の変化があったのかも知れない。


 かき氷を食べ終えると、二人は色んなものを摘みながら祭りを回った。

 焼きそば、じゃがバター、綿あめにりんご飴。逸馬のビールも三本目に入っていた。

 童心に返っているせいか、逸馬も変質者特有の毒は成りを潜め、愛姫もいつも以上に年相応な反応を見せていた。

 矢倉からは太鼓の音が響き、囲むようにして盆踊りに興じる人の輪が風情を感じさせる。


 しかし、色々と見て回り、屋台巡りも二週目に入ったところで愛姫の足が止まった。


「ん? どうした?」

「……ちょっと、あっちの方見たいから戻りたいんだけど」

「はぁ? 今来たばっかりだろ」

「いいから、戻りたいの!」


 そう言いながら流れに逆らい、来た道を逆走しようとする。

 しかしその小さな身体では分けいる力もなく、人波に呑まれもみくちゃにされながら押し戻されて流されてしまった。

 少し開けた店の前のスペースに押し出されると、愛姫の表情に焦りのようなものが浮かんだ。

 屋台の出し物に興じている少年たちが、愛姫の姿に気付く。


「あれ? 隣のクラスの生麻じゃん。お前も祭り来てたんだ」


 愛姫は訊ねられても何も答えず、俯いたままだった。

 二クラスしかない愛姫の学校では、四年生ともなれば学年全員の名前をお互いが知っている。

 ただ、その彼に気さくに返事を返すことなどは出来なかった。


「なにやってんだよお前」


 逸馬が人の波を掻き分けて追い付いてくると、呆れたような様子でぼやいた。

 ただ、愛姫以外に子供がいることに気付き目を丸くする。

 一人は目つきが悪く、明らかに生意気そうな子供。

 そしてもう一人は、眠そうな目をしながらも、ハッとするほど顔立ちの整った色白な子供。愛姫と同じぐらいの髪の長さで、背格好も似ていたが、雰囲気は大人しそうで儚げな空気を纏っている。

 すぐさま逸馬は愛姫の耳に顔を近づけて囁いた。


「おい、あれ友達か? 紹介してくれ」


 言葉の字面だけ見るとそうおかしくもないのだが、相手が小学生という点が大問題だった。

 紹介してくれという真剣さが、より一層危なさを引き立てる。

 しかし、いつもであれば飛んでくる罵声や小さな鉄拳が、今回は飛んで来なかった。


「どうしたんだよ? 友達なんだろ?」

「おっさん、俺たち別のクラスだから友達ってわけじゃねーぞ。つか、おっさんって生麻の親父か? だけど生麻って確かお袋しかいなかったよな」

「お、おっさんだと?」


 逸馬が世間的に小学生から見て、おっさんであることは疑いの余地はない。

 しかし、面と向かってそう呼ばれたのは初めてであり、少なからずショックを受ける。

 同時に、小学生にして両親を親父お袋呼びしていることに対して、生意気さに拍車がかかったように見えた。


「あ、生麻のお袋の新しい男か。確か水商売ってやつで、よく色んな男と一緒にいるって隣のクラスのやつが言ってたもんな」

「秋人、多分それは良くないよ」


 生意気を通り越して不躾な内容だった。

 まるで、正解だろうとでも言うように得意げで、それは悪意のない子供特有の知ったかぶりのようなものであったが、けれど、愛姫にとっては心ない一言だった。

 隣にいる子もそれを理解しているのか、小さく嗜める。

 愛姫は何も言い返すことも出来ず、固まって立ち尽くすだけだ。

 しかし、小学生のその何とも言えない空気の中に三十路の男が割って入った。

 

「俺はこいつの母親の客じゃねぇよ。もし指名するなら、そっちの子みたいなの頼みたいわ」


 後ろ頭を掻きながら、ビールを片手に吐き捨てるよう呟く。

 視線の先には、秋人と呼ばれた少年を嗜めた子を捉えていた。

 逸馬なりに愛姫に気を使っておどけたのかも知れないが、そのセリフはどう考えても助け舟などではなく変質者のそれだった。

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