わらわなかった君のために

葉霜雁景

 放課後になると、幼馴染の男友達と一緒に、近所のカフェで寄り道をする。

 柔らかな音色のジャズが流れる、近所のレトロカフェ。どこもかしこも年季入りで、ふんわりとコーヒーの香りが漂ってくる空間は、ほどよく静かで居心地がいい。店の奥にあるボックス席に至っては、寝そべってしまいたいくらいだ。高校生になる前よりも昔、小学生の頃から家族ぐるみで通っているし、もはや実家と呼んでも過言ではない。

 だが、今日。癒しとくつろぎのボックス席にて、私は頭を下げていた。


楯石たていし結人ゆいとさま。伏してお願いがあります」


 テーブルに額がつかないギリギリのところで止めてはいるけど、気持ちは地面にひれ伏しているくらい深いつもり。飴色いっぱいの視界では、相手の挙動が全く見えないけど、旋毛つむじに視線を注がれているのは何となく感じられた。


「うん。とりあえず、頭上げようか。気持ちは分かったから」

「ありがとうございます、恩に着ます」

「恩に着るのはまだ早いでしょ」


 からん、と氷の音が転がるのと一緒に、姿勢を元に戻す。再び視界に現れた結人は、音の通り水を飲んでいた。すぐさま背筋を曲げる私と違い、彼の背筋はピシッとして、何気ない動作にも品がある。

 結人は身のこなしに負けないくらい、容姿にも気を遣っているため、とても綺麗な男の子だ。ブレザーをほとんど気崩していないのにも関わらず、実写化された少女漫画の男子生徒みたいに見える。青春系というよりは、耽美系だけど。

 相変わらず綺麗な顔してやがる、などと思う私の胸中など知らず。指先まで手入れを欠かさない、誇るべき我が男友達は、柔らかく微笑した。


「で、どうしたの。柄にないくらい改まって」

「察してはいるでしょ」

「え。漫画の新刊買えないから、代わりに買っといてほしい、とか?」

「パシリを頼むとでも!?」


 いくらなんでもそれはない。立ち上がってしまいそうになったが、「冗談」と返されて抑えた。


「服のことでしょ。それにしては、いつもより大袈裟だった気がするけど」


 何気ない様子で図星を突かれて、思わずうめいた。お互いのことは大体わかる間柄だから、最初から気付かれないなんて思ってはいない。だけど、いざ言われると胸にくる。


「えーっと、その。笑わない?」

「何で。咲奈さなは悩んでるんだろ。笑うわけない」

「イケメンか? イケメンだったわ」

「茶化すならもう聞かない」

「すみませんでした。あー……」


 やっぱり、言いづらい。いや、言葉は既に装填されているのに、出てこない。しかし結人は急かすことなく、じっと待ってくれていた。ジャズの合間に、澄んだ氷の微音さえ聞こえてきそうな沈黙を、破ることなく守ってくれる。

 数十分と経ってはいないだろうが、数時間を消費しているような気分がし始めた頃。巣穴に逃げ込んでいた決意が、のろのろと顔を出し始めた。羞恥とかいう要らないおまけもついてきたけど、まとめて捕まえて腹を決める。


「好きな人が、できたので。……可愛い格好で、告白、したいん、です」

「おめでと。メニューから好きなの選んでよ、奢る」

「だからイケメンか?」


 あまりにも颯爽としたお祝いに、間の抜けた声が出た。対して結人は「イケメンだよ」と余裕で言ってのける。こいつめ。


「まあ、言いづらそうだったから、そっち方面かなーって。咲奈、恋愛は興味なさそうだったから、何というか今、胸がいっぱいなんだよね。おばさんにお赤飯炊くよう頼んどこうか?」

「要らなすぎる。それならホットサンドを奢ってくれたまえ。あとカフェラテも」


 了解、と緩く答えて、本当に奢ってくれた。ついでとばかりに、自分用でカツサンドとアイスコーヒーも頼んでいたけど。

 注文を終えると、結人はテーブルに両腕をついて身を乗り出す。さっきまでの姿勢が台無しの前傾だが、真剣な時の彼はこうなりがちだ。今は、親身になってくれていると分かりやすくて、ありがたい。


「可愛い格好で告白、ってことは、どこか行くの?」

「うん。他の友達と一緒に出かけようって話になって、じゃあ、そこで告白したらってことになって。ちなみに遊園地に行きます。まだ先だけど」

「じゃ、足元はスニーカーで決定だな。歩き回るだろうし。ボトムスも、スカートよりはズボンの方がいいかな、キュロットとか」

「おおー!」


 行先を言っただけで、ぽんぽんと決めていく様子に、思わず歓声を上げてしまった。

 結人は、自分の身だしなみはもちろん、相手のコーディネートも得意だ。将来は服飾関係の仕事、デザイナーになろうと志しているくらいだから、当然と言えば当然だけど。

 料理が来てからも、話は途切れず流れ積もっていく。結人は服だけじゃなくメイクまで、オススメ動画を紹介して教えてくれた。時折、自分の女子力の無さが見えてきて苦しくもなるが、そんなものは無視だ、無視。神様仏様、結人様がいれば、今は怖いものなど何もない。


「とまあ、こんな感じか。今度、咲奈の家で合わせよう。いつ空いてる?」


 勝手知ったる間柄な上、家族同士の付き合いもあるので、急な訪問も無問題モーマンタイ。こちらはいつでも歓迎するし、楯石家も毎度、歓迎してくれる。


「いつでも大丈夫だよ。何なら明後日にでも来る? 土曜日だし」

「だね。メモしとこ。咲奈もメモしときなよ」

「えー、明後日のことだよ? さすがに忘れないって」

「スケジュール管理は、身近なことからコツコツやった方が身に付くよ。ほら、スケジュール帳出して」


 言われるままに、バッグから洒落たカバーのスケジュール帳を出して渡す。このカバーに一目ぼれして衝動買いしたが、使うことなく放りっぱなしだった代物だ。常に持ち歩いてはいるが、理由は単純の極み、スケジュール管理ができる女気分を味わえるから。

 とはいえ、放ったままでは手帳も悲しいだろうと、結人に教えを乞うて努力はした。結果は、どこのページも結人の字で埋め尽くされているのを見れば、お察しだけど。


「全く。おれと離れたらどうするわけ? 県外の大学とか専門学校目指すなら、一人暮らしになっちゃうし、おれはそうする気でいるよ」

「さすがに自立する。なめるな」

「どうだか。料理失敗して電話かけてくるまでは見えてるんだけど」

「それは中学までの話ですー! 今は失敗しませんー!」


 味に関しては、結人の方がずっと上だし、しばらく彼の料理が食べられなくなる日が来ると思うと、かなり落ち込むのだが。


 ***


 楯石結人と出会ったのは、小学生の時。三年生の頃だ。初めて同じクラスになって、真っ先に席が隣になった。


「楯石くん、ごめん! 教科書見せてくれない?」


 当時から管理というものが苦手だった私が、教科書を忘れて、見せてもらった。話したきっかけはこうだったはず。とりあえず私が何かを忘れて、結人に借りたのは確定している。

 今も変わらない微笑で応じた結人とは、不思議と気が合って話も弾み、しかも家が近所だったから、すぐに仲良くなれた。他の男子からはからかわれたり、女子からはヒソヒソ噂話をされたりしたこともあったが、そのあたりは別にどうでもいい。気まずくなって話さなくなるなんてこともなく、私たちは仲良しであり続けた。


 学年が上がり、五年生になった頃。本人には言わなかったけれど、結人を好きだという女の子から、色々と言われたことがあった。彼のことが好きなのか、付き合っているのか――誰かと付き合いたいと考えたことすら無かったから、絶対違うと答えていたけど、陰口を聞くようになったのはその頃からだ。

 女子と陰口なんて、切っても切り離せないことをとやかく言うつもりは無い。でも、「笑顔が不細工」という陰口だけは、ちょっと堪えた。


 私の名前の由来、というか、「咲く」という字が使われている由来は、笑顔が素敵な子に育ってほしいと願われたから。小さいころから言われ続けていたこともあって、自分の笑顔に自信がある子どもだったのだ、私は。

 だから、「笑顔」が不細工と言われたのは、正直きつかった。

 一度気になってしまうと、みんなが私の笑顔を不細工だと思っているように感じられて、それもきつかった。気にしすぎるあまり、私は人前で笑うことを、いつの間にか控えるようになっていたらしい。


「咲奈、あんまり笑ってないよね?」


 結人に言われるまで、全く気付いていなかったのだけれど。

 隠すようなことでもないかと思って、「笑顔が綺麗じゃないかもしれないから」と正直に話した。結人は、本音で何でも話せる相手だったし、彼から見た私もそうだったはず、と思いたい。

 何故、そう思うに至ったのか。結人は詳細を訊かず、今と変わらない微笑で言った。


「おれは咲奈の笑顔、好きだよ。めちゃくちゃ明るくて」


 ほんの少し、照れた様子で。

 よくよく考えたら、小学五年生で言える台詞じゃない気がするけど、まあ、そこは結人だ。照れていたとはいえ、あの頃からイケメンだったに違いない。実際、身だしなみに気を遣っているのはそれ以前からなのだし。

 ともかく、私は単純だから、結人の言葉一つで立ち直った。思いっきり笑うようにした。自分で勝手に立ち直っていたかもしれないけど、すぐに解決できたのは、結人のおかげだ。

 一時期、笑わなかった私を助けてくれた、大切な友達。それが楯石結人なのだ。

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