セグウェイに轢かれた後に聞こえ始めた音楽について

モグラ研二

セグウェイに轢かれた後に聞こえ始めた音楽について

ビルに囲まれた吹き抜けのようになっている広場。


そこに設置されたステンレス製のベンチに私と藤崎タピオカンデは、並んで座っていた。


藤崎タピオカンデは有名な令和フルーツダンサーズに、今度参加する予定。

熱っぽくその話をしていた。


……スポットライトの当たる舞台に、乳首や股間に葡萄やバナナや林檎だけをぶら下げた、裸の状態の太り気味な40歳以上の男性たちが登場。


みんなだいたい毛深い。むわっとした、雄のにおいをさせている。


フルーティーになっちゃったよお!と、雄臭く毛深い男性たちは叫び、乳首や股間にぶら下がっている果物を激しく揺らすように、腕をくねらせ、腰を振り、脚を交差させ、独特な踊りを披露する。


(その時に流されている音楽は地元管弦楽団による演奏。楽曲はヨハンシュトラウス二世の『南国の薔薇』である。)


男性たちは、やがて真顔で舞台から降りて客席を練り歩く。腰をくねらせながら……。


多くの観客が、嬉しそうに笑顔を浮かべながら、男性たちの乳首や股間にぶら下がっている果物をもぎ取る。


馨しい雄のにおいが染み付いた果物を、人々は嬉しそうに嗅いで丸齧りする。その時に、男性たちは真顔を維持しなければならない。それがプロの掟だ。


好みの人物が自身の股間にぶら下がる果物に手を伸ばしてきたからといって、笑顔になってはいけない。


藤崎タピオカンデは、令和フルーツダンサーズの面接を、昨日受けて、その場で採用が決まった。チン毛とケツ毛が豊富に生えていたことが高く評価されたんだ、と藤崎タピオカンデは言った。


「面接官は俺の毛深いケツの谷間に鼻をくっつけて凄いいっぱい嗅いでいたよ。うーん、なかなか充実した雄を君は持っているって誉めてくれたんだ。」


私は、広場に私と藤崎タピオカンデしかいないことに気付いた。ステンレス製のベンチは、非常に、冷たい。私は、ベンチに尻の皮膚を直接付けている。


「ダンスの歴史は人類の歴史と同じく古いものだ。人類だけじゃない。動物たちもダンスする。鳥の求愛ダンスなんかめちゃくちゃ激しい。ダンスっていうのは生命体にとって特別な行為で……特に、令和フルーツダンサーズのダンスは、そのなかでもさらに特別で……そんな特別なダンスに参加できるのはやはり名誉なことだよ。凄く嬉しいし、楽しみなんだ……」


フルーティーになっちゃったよお!という叫び声は、今や流行語だ。40歳以上の男性の多くが、路上や駅などの公共の場で、上半身裸になり、脇毛を見せて、フルーティーになっちゃったよお!と叫ぶ。


その叫びを行う際には、口をOの形にし、目を思い切り見開く必要がある。


それは、社会的に推奨、推進されている行為であり、フルーティーになっちゃったよお!と言われた対象人物は、男性の脇毛のにおいを存分に嗅がなければならない。そして、嗅ぎ終わったら「うーんフルーティー!」と精一杯叫ばねばならない。それは令和時代の新しい礼儀なのである。


政治の世界においても、世の中の情勢変化に影響されて今度の臨時国会で「令和フルーツダンサーズ関連法案」が制定されるとのこと。


ビルに囲まれた、吹き抜けのようになっている広場。空は青く、鳩たちが横切る。


私は子供たちをビルのなかに誘導する。


最近制定された多種間移植推進法案のせいで、子供たちは身体の半分がゾウアザラシになっていて酷く臭い。


褐色のぬるぬるした肌、飛び出しそうなくらいデカイ黒い眼球、絶えず鼻水を出している鼻、だらしなく開いたまま、涎を垂らし続けるデカイ口。

だが、そのことを指摘することは許されない。


差別行為とみなされ人権保護特別秘密警察特務部隊により捕縛され、裁判なしの死刑になる可能性があるからだ。


私は今、下半身裸だ。先ほど尻を冷たいステンレス製のベンチに付けていた。ひりひりする。


顔のほとんどがゾウアザラシになりかけている少年ガザ石井が、心配そうな声で、大丈夫?お尻赤いよ?と言う。


私は吐きそうになる。あまりにも息が臭い。人間ではない。ゾウアザラシだ。身体の半分のうち、上半身がゾウアザラシになるのか、下半身がゾウアザラシになるのか、それはわからないことだった。ぬるぬるした肌、褐色の肌、生臭い息。


ビルの5階が教室で、私は、下半身裸の状態で、子供たちにテーブルマナーと丁寧な言葉遣いやフォークボールの投げ方を教えた。


フォークボールの投げ方を披露した時に私のチンポコは激しく揺れた。


私は吐きそうだったし、吐いた。

もちろん教室ではなく。トイレに駆け込んで吐いた。

どろどろの、緑色のヘドロが白い便器のなかにぶち撒かれた。


教室は臭い。あまりにも臭い。差別禁止法案により、室内での消臭剤の使用は完全禁止されている。


使用者は無期懲役、生産及び販売者は原則死刑だ。


モンちゃんはネット番組をよく見るが、そのときにコマーシャルで恋愛リアリティ番組の宣伝がなされると毎回涙ぐんでしまう。


世の中には友達もいない、恋人もいたことがない人間だっている、こいつらは、そんなこと微塵も思わない、鬼畜だ、酷すぎる。


……そういう想像力のない連中によりあらゆる場所でラブソングばかりが流され、友達も恋人もいない人間たちは、いかに、自分たちが一般的な社会から排斥された存在なのかを、思い知らされる。


……恋愛ドラマ、ラブソング、ラブコメ、甘酸っぱい思い出。そんなものを観たり聴いたりしても、遠い世界の遠い出来事にしか思えない。


……涎垂らし白目を剥いたグロテスクな見た目のいかにも頭のおかしい奴が、明瞭ではないがとにかく卑猥な話を延々としているような。


……それと同じだ。


恋愛ドラマ、ラブソングなんて。関わっている奴らの想像力の貧困。許し難いことだ。死んだ方がいい。全員巨大なミキサーに放り込んでセメントと混ぜたらいい。その辺の道路にしちまえ。俺はその上でウンチする。絶対にウンチする。


白昼の路上で、

誰もいないことを確認して、

ズボン、

パンツを脱いで、

しゃがんで、

うううう、うううう、と低い声で唸る、

ぶりっぶりゅ、ぶりゅりゅ、ぶり……

ケツの穴が、

ケツの穴の奥にあるウンチの大群により、

その下降により、

開かれ、

同時にガスも漏れ、

白昼の路上で、

黒いコンクリートの上に、

新鮮な、

湯気をたてている茶色い、

あるいは焦げ茶色のウンチが、

豊かな《ウンチ臭さ》を湛えて、

この世界に誕生する。


ウンチを手掴みでタッパーに入れ、近所に住んでいる有名なラブコメ漫画家の玄関口に、蓋を開いた状態で、置いておく。メモ書きを添える「上手にできたのでぜひお召し上がりください」。


モンちゃんは街を歩く。頭はボサボサで、無精髭、皺だらけのジャージ、太り気味の身体。


土曜日の繁華街にはカップルが溢れていて、若い男女は手を繋ぎ、笑い合う。


モンちゃんは涙ぐんでしまう。世の中には友達もいない、恋人もいたことがない人間だっている、こいつらは、そんなこと微塵も思わない、鬼畜だ、酷すぎる。


モンちゃんとすれ違うときに、若いカップルの、背の高い男、髪を緑と青とピンクに染めた男が、モンちゃんを見る。冷たい目。この世に、お前のような気色悪い生物はいるべきではない。そう言っているような、目。


モンちゃんはとても繊細な48歳だったから、傷ついて、涙ぐんでしまう。自殺した方がいいのかな。モンちゃんは思う。


繁華街のチキン屋でフライドチキンを五本貪り食う。汚い自室に帰宅してチンポコをいじる。


あーきもちい!あーイグッ!イグイグ!ああ!と、叫びながら、モンちゃんは赤黒いチンポコから白くてネバネバした精液を発射、天井まで、精液は届いた。


スッキリしたモンちゃん。


さっきまでは憂鬱だった。人生には闇しかないと、繁華街のカップルを見て思ったものだが、チンポコから精液を発射することで、精神状態は少し改善した。


「やっぱりチンポコ気持ち良くしないと人生はダメなんだよなあ!」


モンちゃんは汚い部屋の汚いベッドに仰向けになり笑顔。

天井に付着した精液を見る。

俺も生でいれてえよ。

そう呟くモンちゃんはとても寂しそうに見えた。

モンちゃんは下半身裸であり、精液で濡れたモンちゃんのチンポコはすでに萎んでいた。


黒い、破裂した風船のように、なっていた。


世の中には友達も恋人もいない、いたことのない人間だっているってことを想像したこともない連中への圧倒的な殺意が、徐々によみがえりつつあった……。


モンちゃんが駅の裏手にある雑居ビルに入ると、エレベーターの前に藤崎タピオカンデが立っていた。


外国ブランドの皺一つないスーツ、オールバックに整えた髪、彫りの深い顔立ち、分厚い胸板、身長は190センチ近くあるだろう。


ハンサムマンと言って過言ではない。


「タピオカンデさん!」


いつものボロジャージ姿のモンちゃんが、手を上げて言った。


「ああ、モンちゃんくん。来たね。さ、行こうか。」


二人はエレベーターに乗る。非常に静かに、エレベーターは動く。3階で停止。


藤崎タピオカンデは恋愛マッチングアプリを開発、運営していた。

(ハメハメワールドというアプリで、現在登録者数は300人。男293人、女7人がその内訳である。)


モンちゃんは、藤崎タピオカンデに直接電話して恋愛したい、マンコにチンポコ入れたい、人生このままは嫌だ、と訴えたのだ。


初めは、気色悪い奴だな、なんだこいつ、と藤崎タピオカンデは思ったが、モンちゃんがあまりにも切実に、涙声で、マンコ、チンポコ、入れたい、ううう、人生、ううう、マンコ、嫌だ、入れたい、マンコ入れないとチンポコが可哀想で、と訴えるので根負けし、モンちゃんにマッチする人を、直接紹介することとなったのだ。


「さ、この部屋だよ、開けてみて」


「はい。楽しみだなあ!」


モンちゃんが汚れた金属製のドアノブを握り、回して、扉を手前に引いた。


「アギャー!アギャー!アギャー!」


空間を引き裂くがごとき凄絶な叫び声。


外からは聞こえなかった。扉が開いた瞬間から叫び始めたのだ。意思があるのか。


「アギャー!アギャー!アギャー!」


見れば、首から下は確かに人間の女、やや太り気味でスタイルが崩れているが人間の女、しかも裸体で、マンコを剥き出しにした女である。


マンコはくぱくぱしていた……ビラビラが、少し肥大している。


しかし、

首から上は、ゾウアザラシだった。

褐色のぬるぬるした肌、飛び出しそうなくらいデカイ黒い眼球、絶えず鼻水を出している鼻、だらしなく開いたまま、涎を垂らし続けるデカイ口。


「アギャー!アギャー!アギャー!」


その、首から上がゾウアザラシの女が凄絶な叫び声をあげていた。


「さっき、女の首を切り落としてゾウアザラシの首を移植したばかりなんだ。どうかな?可愛いだろう?」


ハンサムマンである藤崎タピオカンデは、モンちゃんの耳元で言った。


思わず、モンちゃんは感じてしまう。耳が性感帯なのだ。


「あっ、あん!耳だめ!あん!」


耳を押さえて部屋に入っていく。モンちゃんはゾウアザラシの頭部を移植された女を凝視した。


「アギャー!アギャー!アギャー!」


叫び声がうるさすぎる。マンコには入れたいが、こんな奴に興奮することは不可能だ。モンちゃんは判断し、部屋を出て扉を閉めた。その瞬間、叫び声は消え去る。わざとやっているのだ。


「だめかな?マッチングしない?ハートがキュンとしない?」


「だめです。俺はもっとお淑やか、清楚な女と恋愛したい。」


「わかった。じゃあ、来て。」


再び、二人はエレベーターに乗る。6階で降りて3番目の部屋に入る。


静かな呼吸の音だ。

明かりをつけると、そこにはゾウアザラシがいた。人間との移植は、なされていない。ありのままのゾウアザラシだ。


「おとなしい子なんだ。」


藤崎タピオカンデが言って、ゾウアザラシの頭を撫でた。黒く丸い瞳を少し瞑る。


全く叫ばない。


モンちゃんの方を見て、少しだけ首を傾げた。


「可愛い!」


モンちゃんは叫んだ。


「可愛い可愛い!」


叫びながら、モンちゃんは衣服を脱いで全裸となる。チンポコは、完全に勃起していた。


「可愛い!可愛い!やる!やる!入れるぞお!マンコ!マンコ!マンコおおおお!」


赤黒く完全に硬くなったチンポコを持ち、モンちゃんはゾウアザラシに突撃した。


黒い穴。ぬるぬるした粘液を絶えず出している穴。


モンちゃんはゾウアザラシのマンコに、自身のチンポコを差し込んだ。


「ああ!ぎもぢい!初めてのセックス!ぎもぢい!孕め!ゾウアザラシと人間のハーフ産め!俺の嫁!お前は!俺の!嫁!」


涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、モンちゃんは、懸命に腰を振った。何度も、ゾウアザラシのなかに発射した。


「満足したようだね?」


その様子を、藤崎タピオカンデは全て見ていたのだ。


「はい!この子とマッチングしました!付き合いますよ!」


そう、交際宣言するモンちゃんの顔には、もはや憂鬱は一切ない。


ゾウアザラシの彼女を手に入れて、モンちゃんは充実したリアルを手に入れたのだ。


人生における幸せを手に入れたモンちゃんは、セックス、種付けを完了したゾウアザラシの嫁に、プレゼントを送ろうと決めた。


さっそく買い出しに行く。


もちろん、頭はボサボサ、無精髭、ボロいジャージ姿である。


繁華街のカップルを見ても、モンちゃんのなかに憎しみは湧いてこない。


俺も幸せになったんだなあ!


幸せになると、他人がどんなに幸せそうでも、何にも思わなくなる。怒りや惨殺への欲望は、綺麗に消えている。


(かつてのモンちゃんは路上を歩いているカップルや家族連れは突然やってきた頭ボサボサ目は虚ろ無精髭生やしたボロボロのジャージを着た浮浪者同然のおっさんに刃物によってめった刺しされて惨殺されても何とも思わない、むしろそういう奴らは死んで当然なのだと、強く思っていたし、実際そのような殺人事件があるとついニヤニヤしてしまう、嬉しさを隠せない、という人物であったのに……。)


モンちゃんは、電車に乗り、隣町にある高級食パンでも買おうと思っていた。それから、ゾウアザラシのマンコを気持ちよくできるようなデカイバイブ。


モンちゃんは電車の中で終始、にやにやしていた。幸せを反芻し、何度も味わっていた。


「誰か!ああ!ヨシオちゃん!」


そのときに甲高い女性の悲鳴が発生。


モンちゃんが走り、見れば、小さな男の子が駅ホームから転落し、線路上で泣いている。


「ああ!ヨシオちゃん!誰か!ヨシオちゃんを助けて!あたしには無理!」


母親らしいベージュのカーディガンを着ている太った中年女性は、駅ホームに四つん這いとなり、片手をホーム下の線路上にいる小さな男の子に伸ばしている。


「あたしには無理!誰か!ヨシオちゃんを助けてよお!」


誰も、飛び降りる気配はない。


みんな、身を乗り出して、線路上で泣き喚く小さな男の子を見ている。


「可哀想。誰かが助けてくれたらいいのに。」


目を見開き、小さな男の子を凝視する人々は述べる。述べながらスマホで転落した小さな男の子を撮影する者もいた。


(珍しい光景をネットにすみやかにアップしたいというのは現代人の習性であり、何も間違ったことではない。)


モンちゃんは幸せいっぱいで気分が良かったから、なんとなく、助けてもいいような気がした。


ヒューマニズム、思いやり社会、温かな人間の心。モンちゃんは、そういう世界に近づいてもいいかな、と思ったのだ。

モンちゃんにもヒューマニズムを愛した時代があった。学生の頃だ。ロマンロランの小説を熟読し第九の歓喜の合唱を学生食堂で突然歌い出したりした。

かなりの歌の上手さにも関わらず学生食堂では毎回少なくない罵声を浴び、その頃から人間不信になり始めたのだが。


普段のモンちゃんならば、あんな子供、バカなんだから勝手に死なせとけばいい、たとえ子供だろうが自己責任だろ、と見捨てるところだが、今日は違う。

幸せを手にし、充実したセックスライフが待ち受けるモンちゃんは、いつもとは違うのだ。


「お母さん!俺が助けますよ!」


モンちゃんは宣言。

中年女性は驚いた様子で、本当ですか!と叫ぶ。


「本当ですよ!」


「あなた英雄!あなた英雄!きゃああああ!」


歓喜の叫びだ。

中年女性は白目を剥き、仰け反り、大きく口を開けて叫ぶ。


中年女性の歓喜は、身を乗り出している人々にも広がる。


「あなた英雄!あなた英雄!あなた!あなた!」


中年女性以外の駅ホームにいる人々も、歓喜の叫びをあげた。


「ノブレスオブリージュ!」


モンちゃんは白目を剥いて涎を垂らしながら叫び声をあげ、ホームから降りて線路上に蹲って泣き喚いている小さな男の子の肩に触れた。


「大丈夫か!助けにきた!俺は英雄だ!」


モンちゃんは小さな男の子をおんぶして駅ホームに戻してやる。


「ノブレスオブリージュ!」


モンちゃんが白目を剥いて涎を垂らしながら叫び声をあげると、駅ホームの人々は、一斉に拍手した。


助けられた小さな男の子も、顔中を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、拍手し、叫び声をあげた。歓喜の叫びだ。


「あなた英雄!英雄!あなた!あなた!」


居合わせた89歳の田上洋次郎さんは、自分の人生において、これほどの英雄に出会った記憶はない、と語った。


「あ、あれ!」


走行音。


急行電車が、唐突に、前置きなく線路上を通過した。


「あ!」


急行電車に真正面から激突されたモンちゃんの身体はバラバラに砕けた。


衣服が引き裂かれ、

血飛沫、肉が飛び散り、臓物、脳味噌も。


電車は止まることなく、そのまま急いで去る。


歓喜の叫び声は停止。


みんな、立ち尽くし、唖然とした様子。


その時、小さな男の子と手を繋いでいる中年女性の肩に、黒っぽい、軟体動物、ナマコの死骸のような、ぐにゃっとした肉の棒が、引っかかる。


「え?何これ?」


中年女性はナマコの死骸のようなそれを摘んで、においを嗅いだ。


「くっさい!いや!きもい!くっさ!くっさい!」


ただの生ゴミ。


実際にはモンちゃんのチンポコであるわけだが、いずれにしても凄絶な悪臭を放つものには違いない。


何度も、中年女性はモンちゃんのチンポコを踏みつけた。


「死ね!死ね!臭いんじゃボゲ!」

日頃のストレスが、解消される感じが、少しだけする。


(死ねとか殺すとか言うと気持いい。だから、死ねとか殺すとか言うのを人は止めることがない。気持ちいいのが良い。気持ち悪いのは嫌だ。それに見知らぬ他人を攻撃するのは何の気兼ねなくできるし、いいのだ。そいつが死んだとて、見知らぬ他人であるわけだし、どうでもいいのだ。自分に関わりのない世界の人間が勝手にくたばっただけなので、全く変わらぬ日常を、そのまま過ごせるのだ。)


「ねえ、英雄は死んだし、帰る?なんかつまんない。」


コソコソと話をして、駅ホームから、人々は立ち去る。


《死んだ英雄はもう活躍することができない。だから面白くない。私たちは活躍する生きた英雄にしか、興味がない。それに、汚らしいおっさんのグロテスクなバラバラ死体を愛好するほど、私たちは悪趣味ではないのだ。》


曇り空で空気も濁っていたけど日課の散歩に出発。


路上には脚に硫酸をかけ続けないとチンポコの形をした凶悪なキノコが生えてきてしまうという若い男性がいたりした。ゾウアザラシを移植されたガザ石井の兄、ボマ石井である。常に苦々しい感情を剥き出しにした表情で歩いているから、顔見知りではあるが、声を掛けにくい。


結果、なんとなく、会釈だけして通り過ぎた。


いい年して自分の機嫌に左右される人間は死ねばいいと確信した。いつまでガキなんだ。


いつもの公園に入るとベンチに寂しげな感じのお婆さんが座っていた。心なしか、細かく震えているように、見えた。寒いのだろうか。


お婆さんは猫背で白髪でベージュのカーディガンを着用。干からびた肌をしていて、目を細めて頻りとため息をついていた。


凝視すれば、やはり震えているように、見えた。寒いのだろうか。


私は優しい慈愛の気持ちを発揮して公園の入り口にある自販機で温かいココアを購入し、ベンチに座るお婆さんに渡そうと突き出した。


こういう心優しい気遣いが連鎖して、伝染していき、優しい社会ってできるのだろうな。私は目を細め、微笑みを浮かべる。


このココアは温かい人の心、優しさの象徴なのだ。


拒む人間など、誰もいないのではないか。


優しくされて嫌がる人なんて、いない。人はみんな、誰かに優しくしてもらいたい生き物。


誰かが誰かに優しくて、それが、どんどん連鎖していく。


そして、ハートフルな世界が、そこに出現する。


私は温かいココア缶を、さらに突き出した。


「何よ!あんた!」


一気に、顔を真っ赤にして鬼のような形相になるお婆さん。


「あんた!あたしを見下したんだろ!バカにしたんだろ!」


甲高い叫び声。唇を突き出して唾を飛ばしている。


「いえ、ただ、ココアをご馳走したくて、それだけで。寒そうにしていらっしゃったし……それだけですよ。」


「何で!あんたはあたしを可哀想だと見下したんだろ!ココアを飲む寂しい死に損ないのババアでも見てやるかと!あんたはそういう思想だ!」


「違います。あなた、おかしい人ですか?」


「おかしいのはあんた!わからんないのか!あんた自分が相当おかしいって!寒そうなババアにココアやって、それを飲むところを見て、あんたどうするんだ!!」


「いや、おかしいでしょ。」


「あんたは可哀想なババアに優しくしてやる自分を想像して勃起した変態だ!バカ!死んじまえ!」


「死なないですよ。」


「バカ!お前は死ぬんだよお!」


「なんで死ぬんです?死なないでしょ。」


「バカ!ウンチ!お前は死ね!」


「なんでそんなこと言うんですか」


「ウンチ!!バカ!!ウンチ!!!バカ!!!!死んじまえ!!!!」


……私は缶を開け、口を付ける。ココアを口に大量に含み、ババアに向かって思い切り噴き出した。ココアは、ババアにぶっかかる。


「アギャー!」


ババアが叫ぶ。怒りが増幅されているようだ。


もう一度、私はココアを口に含み、ババアに向かって噴き出した。


「アギャー!アギャギャー!」


おかしい人は嫌いだ。常識でものを考えるべきだし、言うべきだ。特に他人に非常識なことや理不尽なことを強要する奴は嫌いすぎる。


「あなたおかしい人ですよ。死んだ方がいい」


私は全身をココアまみれにしたババアに向かって、極めて優しい口調で言い公園から出て行く。


ババアは数回ココアを噴き出してやったところ項垂れて動かなくなった。そのまま凍死すればいい。


公園から出た路上、電信柱のところにボマ石井がいて、剥き出しにした脚にビーカーに入れてある硫酸をかけていた。硫酸をかけないと脚からチンポコに似たキノコがいくつも生えてくるのだという。そのキノコは自立して動く。亀頭に似た部分に口がついていて、そこには鋭い牙が生えていて、放っておくとそれがハラワタを狙って襲ってくるのだという。だから、硫酸を絶えず、脚にかけないといけないのだ。大変な苦労だ。


ボマ石井は、苦々しい感情を剥き出しにした表情をしていた。私は顔見知りではあるが、声を掛けることに躊躇いを覚え、無言で素通りした。


ベージュのカーディガンを着用した中年女性は、やや太り気味。その太った手は、小さな男の子の手を握っていた。


「ヨシオちゃん、ケーキ食べる?ヨシオちゃんが危機的状況から生還した記念日だから。」


中年女性が見せる、我が子に対する柔和な笑顔。


小さな男の子は心底安心した様子で機嫌が良さそう。


「うん!いちごショートケーキ!丸飲みしたいよお!」


「コジラスコーナーで買いましょ。あたしもモンブラン、濡れたクリが載せてあるモンブランを舐めたいわ。」


「クリ?」


「ええ。クリを舐めると、凄く気持ちいいのよ。ヨシオちゃん。ヨシオちゃんも大人になったら、存分に舐めなさいね。」


「うん!僕、大人になったら沢山クリを舐めるよ!」


ケーキを購入して帰宅すると、中年女性の夫が、すでに帰宅していて、ローストチキンを、テーブルに並べていた。


ローストチキンはつやつやしていた。非常に、つやつやしていた。


「やあ!今日はヨシオが危機的状況から生還したって聞いてな!奮発したぞ!」

スポーツ刈り、洋服の青山で買った紺のスーツを着用した中年男性が言う。


「まあ!セレブ感溢れるチキンね!」


「ああ、本物のセレブがセックスする前にエネルギー補給のため、食うやつらしいよ!」


「素晴らしいわ!」


ヨシオちゃんも嬉しそうだ。

「パパありがとう!」

ヨシオちゃんは父親に抱き着いた。


その時、インターホンが鳴った。


「誰?」


中年女性がベージュのカーディガンを脱ぎながら言う。


ヨシオちゃんの父親は壁に取り付けられたモニターを見る。


「白衣を着た禿げのおっさんが数人……」


中年女性と中年男性は、ヨシオちゃんをリビングに残したまま、玄関に移動する。

扉を開ける。

「なんですか?」

中年男性が尋ねた。


白衣の禿げたおっさんたちは「今日、選任されました。」とだけ述べた。


中年女性と中年男性は、顔を見合わせ、頷いて「わかりました」と述べ、白衣の禿げたおっさんたちをリビングに連れて行く。


「お願いします。」

中年男性と中年女性は、白衣の禿げたおっさんたちに対してお辞儀をした。深いお辞儀だった。


「任せてください。プロですから。すぐ終わりますよ……」


1人の白衣の禿げたおっさんが手を挙げて合図すると、複数の白衣の禿げたおっさんたちがヨシオちゃんを地面に仰向けに倒して押さえつける。ヨシオちゃんは驚いた様子で目を見開き、手足をバタバタと激しく動かす。甲高い声で「やめろおおおおおおおおおお!!!やめろおおおおおおおお!!!うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」と叫びまくる。しかし、動じることなく白衣の禿げたおっさんたちはヨシオちゃんの手足を掴み、全く動けない状態にする。頭も固定する。叫ぶのはそのままにさせておく。「やめろ!!やめろよお!!」ヨシオちゃんは顔を真っ赤にして叫ぶ。白衣の禿げたおっさんの1人がスーツケースを開ける。チェーンソーを取り出した。チェーンソーのスイッチを入れると轟音が鳴る。ギュウイイイイイイイイイイイ!!!!そのまま、白衣の禿げたおっさんがチェーンソーを振りかぶり、「やだ!やめろ!!やめろ!!!」と叫び続け、涙を流し、鼻水を垂らすヨシオちゃんの頭部を切断した。ヨシオちゃんの生首が、無造作に、リビングのリノリウムの床に転がった。白目を剥き、舌をだらりと垂らしていた。顔中を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしていた。頭部を失った、その胴体の切断面からドババ、ドババ、と血が噴き出した。おっさんの1人は返り血を浴びて、白衣は真っ赤に染まっていた。何も声を出さず、白衣の禿げたおっさんの1人がスーツケースから新鮮なゾウアザラシの生首を取り出し、血が噴き出しているヨシオちゃんの胴体部分との接合を開始する。その作業は極めて素早く、ほとんど一瞬で、傷跡もなく、縫合は完了した。「薬剤投与」と小さい声で指示を出す。注射器の針をヨシオちゃんの肩に挿し込んでコバルトブルーの薬剤が投与される。


この間、3分ほどの出来事である。


中年女性と中年男性は寄り添い合い、じっと見守っていることしかできなかった。


「じゃあ、作業は終わりましたので、我々は失礼します。」

1人、白衣の禿げたおっさんがお辞儀をする。驚くべき速さで、みんな部屋から去って行った。


「忙しいのだわ」


「ああ。選任は一日に10万件以上あるというからなあ」


「大変な仕事」


「でも見たか?プロの仕事だ。凄かったな。興奮したよ」


「ねえ、あたしも、興奮しちゃったわ……」


「え?みつ子?」


「そうよ……コウジロウさん……濡れてるの」


「俺も、硬くなってる……」


「ねえ、あれ……」


中年女性は床に転がっているヨシオちゃんの生首を指さす。


「いいでしょ?」


上目遣いの太ったおばさんが言う。

スポーツ刈りのおっさんが、ヨシオちゃんの生首を拾い、趣味の草野球で使用している金属バットで打った。


ヨシオちゃんの頭部はぐしゃっと潰れ、脳みそが露出した。


「ぬるぬるしてる」


「いいわ。その脳みそ、手につけて、それで、あたしのマンコ触って……」


「こう?」


「ああ……いいわ……息子の脳みそ、いいわ……」


「ねえ、みつ子、俺も……」


中年女性がヨシオちゃんの脳みそを鷲掴みしグチャグチャに握り潰して液状にする。液状脳みその付いた右手で中年男性のチンポコに触れる。


「あっ、いい。息子の脳みそで俺のムスコ濡れるのいい。すげえ、気持ちいい……」


「あたしも、いいわ……」


「もっとヨシオの脳みそ使おうよ……」


「新鮮な脳みそをマンコとチンポコに塗って、合体しましょう……」


「そうしようか……」


ビルに囲まれた吹き抜けのようになっている広場。空は青く、鳩が横切る。


そこに設置されたステンレス製のベンチに私と藤崎タピオカンデは、並んで座っていた。


私はワイシャツの上にネイビーのスーツジャケットを着て、下半身は裸だった。


藤崎タピオカンデは、令和フルーツダンサーズを辞めたのだという。


「股間にドリアンを5個付けるように言われて。それが、チンポコに紐でぶら下げるっていうんだよ。ピアノ線みたいなやつで。そんなの、チンポコが千切れちゃうよ。その場で令和フルーツダンサーズ辞退の申し出をしたよ。」


私の裸の尻はステンレス製のベンチに触れている。痛いくらいに冷たい。感覚が麻痺してきていた。


でも、パンツを穿いたり、ズボンを穿くことは許されない。


私は泣きそうになる。尻が、剥き出しの尻があまりにも痛くて、痺れてきて。


一度、上司にパンツの着用について意見をしたが、物凄い剣幕で怒鳴られた。深夜お前の部屋に入ってお前が寝てる間にお前自身のチンポコを鉈のようなもので切断するからな、と脅された。

パワハラだと労働組合に訴えたが、そもそも下半身露出を止めようという発想がおかしく、上司の剣幕はむしろ異常思想への対応として適正だったと、判断された。


「あんまり元気ない?」


藤崎タピオカンデが言った。


「自分が元気だとか元気じゃないなとか、考えたことない。」


私が言った。

元気な人は苦手。常に元気でいなきゃダメっていう思想にとりつかれている人。それを他人にも強要してくるなら最悪。あんまり元気ではないって状態がデフォルトだって人も、たくさんいるはずなのに。


「俺は常に元気だったけど、この間、公園で汚いジャージを着た変な奴にいきなりココアを吹きかけられて、よろめいて道路にでたら、婆さんが乗ってるセグウェイに轢かれたんだ。婆さんはギャーって叫んで、白目を剥いていたよ。」


藤崎タピオカンデは言った。

自身のハンサムな、彫りの深い顔に触れながら。


「それで?」

私が言った。


「それ以来元気がなくなって。轢かれた後に聞こえ始めた音楽があるんだ。コントラバスが物凄い勢いで低音を刻んで、その上で甲高いおっさんの叫び声が、ピアノに……」


話しながら、藤崎タピオカンデは人差し指と親指で顎先を触っている。真剣な表情。推理を語っていくイケメン探偵のような雰囲気……。


「……延々と鳴り続けるんだ。セグウェイに轢かれた日からずっとそうだ、突然静かになりおっさんの低い声がお経みたいなものを唱え出して鐘が鳴らされオルガンが鳴り凄く速い人間に本当に弾けるのかって感じのバイオリンのパッセージが始まっててしゃがれたババアの声「あたしこれからカラスのモノマネします」と宣言したところで爆発の音がして、またコントラバスが物凄い勢いで低音を刻み始める、アフリカの打楽器、素手で叩く太鼓みたいな楽器の音、非常にリズミカル、土着的な、民族音楽みたいな、そんな雰囲気が醸成されていくが、おっさんがまた叫び始めて「黙ってろよボゲ」って少年たちのコーラスが入り、それでまたピアノに……」


藤崎タピオカンデはまだ話していたが、私はベンチから立ち上がりビルに入っていく。


ゾウアザラシの顔面をしたガザ石井が待っていて、ねえ、お尻赤いけど、大丈夫?と心配げに聞いてくる。


ガザ石井の兄であるボマ石井の方を、より心配してやるべきではないのか。

ボマ石井はろくに働くこともできず、路上の、電信柱に寄りかかって、剥き出しの脚に硫酸をかけ続けている。


ねえ、お尻、凄く赤くなってるよ、大丈夫?

また、聞いてきた。顔が近い。

そして、至近距離からのゾウアザラシの吐息である。あまりにも臭く、私は昏倒しそうになったが、なんとか、持ち堪えた。


消臭剤の使用は禁止されている。使用者は無期懲役、販売者および生産者は原則死刑である。


ガザ石井の人間の手が、私の、剥き出しの尻を触り始めた。


「とても赤くなってるよ、とても……」

荒い息をしながら言い続けている。


人間の指は尻の表面を進み、尻の谷間、そして、私自身のアヌスに触れた。


〈了〉


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セグウェイに轢かれた後に聞こえ始めた音楽について モグラ研二 @murokimegumii

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