第19話 決勝戦-終盤戦-




「4番サード樫本恭子さん。」



その名前が球場にコールされると黄色い声援一段と響き渡る。



光に1打席目のような気合いは感じられなかった。


リラックスしているというか、なんというかとにかく落ち着いていた。



1打席目は徹底的にインコース低めのストレートを投げ込んできた。



この注目の対決、重要な初球の入りに全員が何を投げるか楽しみにしていた。



その注目の初球に選んだボールは…。



テレビの前の視聴者、観客、実況解説、チームメイト、バッターボックスの中の樫本さん、そしてサインを出した天見さんでさえ驚いていた。



小さい子供が一生懸命に投げたような山なりのスローボール。



一瞬ナックルボールかと思うような軌道でゆっくりとホームベースに近づいてくる。



樫本さんは、唖然でしたままボールを見送った。


天見さんもキャッチャーミットを下向きにワンバウンドしそうなスローボールをキャッチ。



「…。ス、ストライク…。」



審判でさえ一瞬迷い、自信なさげにストライクコールをした。



電光掲示板に球速表示されていなかった。

反応しないほどのスローボールを良くストライクゾーンに投げれたなと光自身も驚いていた。




「光さん!なんて球投げるんですか!」



天見さんは怒った様子で、かなり強い送球を光に投げ返した。



ウィンクしながら、片手でごめんねというジェスチャーをしていた。



「天見さん。彼女サインミスしたの?」



「え?いや…。」



「あ、ごめん。そういうこと聞くのはルール違反だったね。」



樫本さんは天見さんの反応を見て、サインミスじゃなく、サイン無視して全然違うボールを投げてきたと判断した。



『サイン無視であのスローボール。確かにサイン無視して投げてもキャッチャーは怪我することはないし、そこは大丈夫だろうけど、いきなりどうしてスローボール…。』



樫本さんは心の中でスローボールを選択してきた理由を考えていた。



なぜこの場面スローボールを投げたかは、結局明らかにされなかった。


この回が終わった後、天見さんが光を問い詰めてもなんとなくと答えるだけで何も教えてくれなかった。




そして2球目はさっきの推定70キロくらいのスローボール後に、ストライクゾーンギリギリの外角低めに141キロのストレート投げ込んできた。



樫本さんは一瞬また変なボールが来ると頭によぎったのか、このストレートには反応出来ずに見送った。




ノーボールツーストライク。



天見さんはアウトコースにチェンジアップを要求したが、光は首を横に振った。


次にストライクからボールになるスクリューを低めに要求。だがこれも拒否。



恐る恐る1打席目に打たれたインコース低めのストレートのサインを出した。ゆっくりと首を横に振ってくれた。



安堵して、4度目のサインにやっとのこと首を縦に振ってくれた。




そして、4度目のサインに首を縦に振った勝負の3球目。


じっくりと交換したサインだった。


あんまりスピードが出ていない高めに変化球のすっぽ抜けたようなボールがきた。



投げた瞬間、樫本さんはすっぽ抜けの変化球だとすぐに判断してチャンスと思った。



だが、そこからボールが急に何かに当たったように縦に曲がるというより、折れるという表現をした方がいい曲がりを見せ、天見さんの構えたミットに吸い込まれていった。



「こ、これはフォークでしょうか?東奈さんはフォークをここまで投げてないみたいですが、高宮さん、どうなんでしょうか?」



「今リプレイを見ましたが、これナックルカーブですね。曲がり始めも遅くて、しかもかなり落差がありましたね。」



「ここまで投げてませんでしたが、甲子園に来てからナックルカーブですか?を覚えてここで披露したんですかね?」



「それは無いと思いますね。一瞬高めに浮いて曲がったナックルカーブですが、キャッチャーの天見さんの構えたミットにしっかりとコントロールされていたので、元々投げられたと考えるのが普通ですね。」




「なにか理由があるかわかりませんが、ここまで隠していたみたいですね。」




最後の最後に得意な変化球の1つのナックルカーブを投げ込んできた。



これには樫本さんも手が出ずに、この打席バットを1度も振ることなく三振した。



流石に1打席目のような笑顔を見えることができなかった。



5.6番に対してはさっきの丁寧な配球とは打って変わって、甘めのストレートをいい当たりをされながらもどうにか抑えてベンチに戻って行った。




「ねぇねぇ香織。東奈先輩、いい当たりばっかりされてるけど大丈夫?」



「大丈夫だよ。それよりみんなよく守ってくれてるね!今日はナイス守備だよ!」



「だけど、5回終わって三振2って少なくない?4回5回とか凄い強烈な打球飛んでくれるようになって来たから…。」



「それは…。」



「こらー。1年坊主!先輩の心配する前に早く先輩に一点取ってくれないかなぁ…。」



近くに居た光からお叱りが飛んできた。




「まぁそれはさておき、よく守備でも踏ん張ってくれてるね!球数を気にしてわざと甘い球投げてるから、強烈な打球打たれるのは仕方ないんだよね。」



いつも相手をねじ伏せるような投球をしている光が、球数を気にしていることにみんなが疑問を感じていた。




「5回終わって47球だよね?このままいけば7回65球くらいで行けそうだね。」



「え?5回47球?そんな省エネピッチングをしてたんだ…。」



「あんまり自慢したくないけど、今日はど真ん中にストレート投げてるあれ、ストレートじゃないんだよね。 秘蔵のシンキングファストを解禁してたんだよね。」



シンキングファストはパワーシンカーやSFF系などと言われているが、直訳は沈む直球。


ツーシームよりも更に変化する直球。



光は今日相手にバレないように、スピードを抑えたストレートとツーシームとシンキングファストを織り交ぜながら甘い球を投げて相手に打たせていた。



初回の投球の時に直感で感じ取った。


少し厳しい球を投げた時、相手のバッターの見逃し方を見て、待球作戦をしてくるんじゃないかという予感があった。



そこからわざと手を抜いたようなど真ん中に甘いストレートを投げ、相手がスイングしてくるように仕向けていた。



その作戦がこれでもかというくらい噛み合っていた。



花蓮女学院の昨日のスタメンの2番から6番までに、ツーシームと見せかけたシンキングファストを投げたらバレると思っていた。



打撃のいい選手と俊足の選手をスタメンに代えてきたことで、シンキングファストを投げているのをここまでバレずに投げ続けてこれた。





6回表。



また3番からの攻撃だった。


光が相手を翻弄している球の説明していたら、あっさりと三者凡退で攻撃が終わった。




6回裏。



7.8.9番の下位打線。



ここまでツーシーム、シンキングファスト、ストレートを織り交ぜたが、この回も相手の打者に捉えられた。



しかし、バッテリーの思惑通り以上に打球が野手の正面に打球が飛んでいき、この回も7球で3人を打ち取った。




そして、最終回。



花蓮女学院は投手交代で、まさかのもう1人の中継ぎの1年生投手の前橋美里が登板してきた。



天見さん達と同じ1年生達が登板してきた。


同じ1年なら絶対に打ってやるという気合いがベンチ内で溢れていた。



3年の投手に対しても、その闘志を出してくれたらいいのにと光は密かに思うのだった。



1年生前橋さんは緊張するであろう最終回に登板しても、動揺も緊張も感じさせなかった。



少し話は変わるが、中学硬式のクラブチームは公式戦男子しか出れないボーイズリーグ。


他にはフェニックスリーグ、シニアリーグなどの硬式野球のリーグがある。



彼女はガールズリーグという女子硬式野球のリーグで、全国大会優勝投手の経歴を持っていた。



その活躍を認められ、堂々と花蓮女学院への入学を決めたらしい。



この回初球から124キロの直球をど真ん中に投げ込んで来ていた。


スピードこそ光に遠く及ばないが、そのストレートは物理法則を無視しているんじゃないかと思うほど、球が浮き上がってるように感じられた。




「よしっ!絶対負けねぇ!!!」



三振を取るたび少しハスキーでカッコイイという感じの声で、マウンドで雄叫びを上げている。



同じ1年のストレートに全く掠りもしない、自分の後輩の1年生を見ないようにしていた。


それでもマウンドで躍動している前橋さんの将来が楽しみで、にこやかな笑顔を見せていた。



「私達が同じ1年生に、しかもストレートと分かっていながら、掠りもせず三振してるから内心怒ってて、逆に笑顔なんじゃない…?」



1年生達には光の笑顔が、自分たちの不甲斐なさに内心怒っているようにしか見えず、近づこうとしなかった。




7回裏。


ここまで4番の樫本さんにあわやホームランの打球が1回と、三振もここまで2つ。



かなり強烈な打球を打たれながらも、 守備のファインプレーにも助けられながらここまで来た。



1年生達も守備に必死で、まさかの完全試合中とは思っておらず普段通りに守備についていた。





1.2.3番からの上位打線。



流石にこれ以上は、シンキングファストとツーシームで打たせて取るというピッチングはきつくなってきた。



打たせて取るというよりも、打たれて抑えるというなんとも綱渡り的な投球を続けていた。



そして、光はこの回の上位打線はこれまでのピッチングを捨て本来の投球を披露した。



樫本さんに投げてから一球も投げていないナックルカーブを初球から使い、スクリュー、そして高めの141キロのストレートで三振。



2番もアウトコースギリギリにツーシーム。

次はインコース低めにストレート。

最後はアウトコース低めにスクリューで三振。



3番に対しては、ナックルカーブを2連投からの最後はインコースへ143キロのストレートで見逃し三振に打ち取る。




この回、ボール球無しの三者連続三球三振に切り伏せた。



7回投げきり驚異の投球数63球の超省エネピッチングを披露した。



ついでに完全試合中であった。




光が予想した通り、準決勝に続いて2戦連続で延長戦に突入することになってしまった。




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