英太のクリスマス・イヴ

 確か、アレは、小学五年生の時だった。

 ほら、もうあの時期になるとさ、クラスの九割は「サンタさん信じない派」になるじゃん。

 で、その時好きな女の子がいたんだよ。もう、顔も覚えてないけど……。

 にやけるなよ、真剣だったんだぞ。

 その子がさ「サンタさん信じてるなんて子供だよね」って言ったのをたまたま聞いちゃって。俺は決めたよ。「もうサンタさんは信じない」って。

 笑うな。俺だって恥ずかしいわ。

 でも、たったそれだけ。それだけで、俺は「サンタさん信じない派」に見事加入したんだよ。信じる理由もなかったし。俺が寝てから、親がプレゼントを枕元に置いてるのも知ってた。

 それでさ、その年のクリスマスイブの夕飯の時に、ばあちゃんが倒れたんだ。声もあげず、椅子から崩れ落ちたんだよ。

 その時、俺は……、俺は、笑ってしまった。

 その日の朝、母さんが見ていたドラマに同じシーンがあったんだ。コップに口をつけた女の人が、急に顔を引きつらせて倒れるシーン。あまりにも非現実的で、その女の人が、当たり前のことなんだけど、真剣に倒れるものだから腹を抱えて笑ったんだ。運良く、あ、悪く、か。そのドラマは録画だったから、何度も何度も巻き戻して見た。昼飯を食べる頃には、どちらの足を前に出して、どちらの手を先につくかまで覚えて、頭の中で再生できるようになってたね。

 そしてその日の夜、それが現実になったわけ。

 その女の人とばあちゃんが、頭の中で一寸の狂い無く一緒に倒れたんだ。

 もう、スイッチが入っちゃって。止まらなかったよ。人が倒れてんだ。それも身内が。なのに、いつまでも声を上げて笑うんだよ。

 母さんは、俺に怖くなったのか、ばあちゃんが倒れたのに怖くなったのか、ケーキを落としてしまった。年に一度の楽しみの、チョコレートケーキをすっと手を引いて、落としたんだ。何かこう、心臓が潰れるような音がした。それを聞いたことはないけど……。笑ってくれよ、ここは。

 メレンゲ細工の、ほら、ケーキの上に乗ってるやつ、おいしくはないけど誰が食べるかで絶対喧嘩になるやつだよ。そのサンタさんが、チョコのクリームに顔を半分のめり込ませているのを見た時、やっと、胸が詰まって、自分がしたことが信じられなくて、今度は涙が止まらなかった。

 

 耳をつん裂く音を鳴らして来たのは、もちろんサンタさんじゃなくて、白い服の救急隊員だった。母さんと父さんはそのまま一緒に行ってしまった。ケーキも片付けずに。


 家には、俺と姉ちゃんが残された。チョコレートのねっとりとした匂いが、胃の中に充満して吐き気がしたのを覚えてるよ。

 姉ちゃんは、白くなるまで唇を噛み、細い目をさらに糸のように細くさせ、俺を睨んで言ったんだ。「英太のせいだから」って。そして、自分の部屋に入って行ってしまった。


 そこから、俺はどうしたのか、気づいたらリビングのソファーの上で寝てた。リビングには、誰も居なくて、世界で俺だけが残されたんじゃないかと思った。

 まだ、甘い匂いがしたんだ。メレンゲのサンタさんは顔が見えなくなっていた。 それを見た時、「サンタさんはいないんだ」 って、ふっと思った。みんなが言ってたことは正しかったんだ。最後のピースがはまって、パズルが完成したような気がしたよ。すべて、願い事を叶えてくれるような、そんな、素晴らしくて、都合が良い人はいないんだよなって。

 なんでって、その年に頼んだのが「今までで、一番楽しくて、暖かくて、大好きなケーキが食べられるようなクリスマスイブになりますように」だったんだ。

 な、全く叶えてもらえなかっただろ。

 顔が沈んだサンタさんも、埃っぽいソファーで寝るのも、ま、いっか、どうにでもなるだろうって、突然、どうでも良くなって、瞼が落ちてくるのがわかった。

 世界の重大な秘密を知ってしまった、なんて。

 

 

 


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