第2話 部屋と脇肉と私

 今日も見逃し配信を全て見尽くしてしまった私はひとりコーヒーを飲みながらキッチンカウンターに座る。愛用のチェアーは、今日も私の大きなお尻を軋みながら包み込む。足はすっぽりと脹脛まで温めてくれる電熱ポカポカ足湯くんとウールの膝掛けでぬくぬく。右側にはコーヒーマシーン、左手元にはテレビのリモコンとスマホ、読みかけの小説。そして目の前にパソコン。もうこのまま何時間でもこうしていれる、最高のパーソナルスペースである。


 しかし、この幸せな日常を脅かすであろう恐ろしい出来事が昨日起きた。

 

 昨日の夜の風呂場でのことだ。


 こんな動かない快適な日中を過ごしすぎたせいで、私の背中側の脇肉がついにもっこりと二段に分かれてるではないか。触ってみると、うん確かにしっかりと脇肉はついている。見なかったことにしようと思っても触ってしまった手の感触が脳裏に残る。そう言えば体重計にしばらく乗ってないなと知ってはいたが気づかないふりをしていたことを思い出す。かれこれ二ヶ月ほどか。やばいやばいとお風呂から急いで上がり、髪の毛の水分で体重が増えてはならんと髪をふきあげ、寒い脱衣場で15年選手の体重計にそっと足をかけた。


 こ、これは、この数値は、過去最高ではないか。薄々わかってはいたが、まさかこんなになるまでとは。

 明るい引きこもりで人とほとんど会うことがなく快適パーソナル空間でダラダラしすぎた結果としては当然の報いだ。

 そう言えば、こないだ二ヶ月ぶりに行った美容院のスタイリストさんも眉カットの時にマスクを外してくださいって言わなかったぞ。


 夜はパジャマと呼んでいるヒートテックとスウェットに着替えながら、美容院での出来事を思い出す。


 行きつけの美容院は車で20分程度の場所にあり、吹き抜けの二階建てで、白を基調とした都会的な雰囲気が漂う空間だ。

 二ヶ月に一度、ヒートテックにスウェットの普段着を脱ぎ捨て、昔買ったオサレブランドのワンピースを着てウキウキ出かける。毎回カットとトリートメント、眉カットをお願いして一時間半コース。なかなかの非日常を味わう。


 ところが、先日の眉カットの際、最後に必ず行う、バランスチェックをするのでマスク一旦外して見せてください〜というくだりが無かった。


 私が二ヶ月前より太っていて、気を使ってくれたということだろうか? 

 なんてこと! まさかそういう理由だったとしたら、気を使わせてしまうレベルにまで到達してしまったということなのか。


 やばいやばい。やばすぎる。この脇肉め!


 私は脇肉をつかんだ。すると、脇肉が話だしたではないか。


 「私はあなたの脇肉です。私はもうずっと前からあなたが気づくのを待っていました。あなたは知らなければ幸せだったかもしれませんが、知らないからと言って無いことにはなりません。もう何年もブラジャーというブラジャーをつけておらず、出かける時だけ乳首が浮いてはいけないとブラカップ付きのタンクトップを着ていますね。最近ではそれさえも脇が苦しくなるからと、ヒートテックにスウェットで、さらにはフリースのベストを着てますね。確かにそれでは乳首は浮いて見えません。充分ノーブラでも上着をはおれば外出できます。足元に黒のムートンブーツがあれば、それなりに見えるとお思いですか?呆れた人です。それはあなたのためにはならないことをあなたもよく知っているでしょう。支えるものが何も無くなり、増え続けた私の細胞は膨れ上がり、こうして垂れてきたのです。そしてあなたに話しかけているのです。あなたにこの事実をお伝えするために。」


 恐っ! 聞きたくないぞその話!


 「あなたはそろそろ自分を見つめ直すべきです。体重計にも乗ってないだなんて怠慢にも程があります。もう四十二。ダイエットなんて短期集中よなんて言ってる場合の歳ではなくなってきています。このままあなたがこのような生活をお続けになったら、私はもうとんでもなく重力に従って下に下にと向かっていってしまいます。なぜならそれだけ下に下げれるものがあるからです。ここで悔い改めて私を元のようにしてください。とは言え、元々私はそこそこ大きいので、美しく夏にTシャツなんてものを着たいとお想いになるのでしたら、前よりも私は少なくならねばなりません。それがどれだけ大変なことかあなたはお分かりですか?」


 はい、充分承知しておりますと糖質ゼロ缶ビールのプルトップに指をかけた私にさらに脇肉は話続ける。


 「あなたがこの脇肉め! と私を呼んだから私はわざわざあなたに事実をお伝えしにきたのです。あなたの体の他の肉たちも相当まいっているのです。このまま増殖していいものか、悩みすぎて鬱になったものもおります。あなたのその顎の肉です。二重になって首との境目がなくなりかけていることをご存知でしたか?かわいそうに、あなたの顎の肉たちは、あなたが今飲んでいるアルコールによってブヨブヨと膨れ上がってしまい、もはやその形を留めておく気力すら無くなってしまいました。」


 確かにそうですよね。首との境がなくなりかけているような気はしていましたと言いながらビールをグイッと飲んだ私にさらにさらに脇肉は続ける。


「かわいそうな人ですあなたは。もう取り返しがつかなくなりますよ。あなたの家にはブルブルマシーンも、腹筋するための道具もあるではないですか。さらに言わせて貰えば、リビングと洗い物と洗濯が終われば今日の家事が終わったと思っているのがまずもって大間違いです。家の中の仕事は、玄関の落ち葉を拾ったり、トイレにお風呂、ガレージ、子ども部屋、冷蔵庫の整理と、カロリーを消費しようと思えば消費できる事柄がたくさんあるじゃないですか。」


 おっとそれは痛いところを突かれましたねと、缶ビールの缶をゴミ箱へ入れる私にさらにさらにさらに脇肉は続けた。


「私はあなたの脇肉です。あなたが私を見て可愛いと思ってくれないことが私は何より辛いのです。この脇肉め! などという言われ方をされたくはないのです。ううう。」


 ついに脇肉は泣き出してしまった。私は慌てて、


「わかったわかった、もうわかったから、明日からちゃんとします!」


 と脇肉に言い放った。

 脇肉はそれでは確かにお約束しましたからね、明日からお願いしますよ、と言って、脳内再生を終えた。


 よし、脇肉にもあんなに言われてしまったことだし、私もこのままではいけないと思っていた。明日からしっかりやるぞ。家の中の掃除でカロリーを使い、ブルブルマシーンにも乗る! 夏にはTシャツを堂々と着れるようにもなる! 私は変わるんだ! もう昨日までの私とは違うんだ! 私は決意を固めた。固く、固く誓った。脇肉に。身体中の肉たちに。愛しい肉たちに。



 そして翌日。




 この「部屋と脇肉と私」の冒頭に戻る。






 



 

 


 

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