第2話 少女の境遇

「やっぱり、いた」

 呆れたような声を耳にした少女は後ろを振り返る。

 淡い青色のパーティードレスを着た女の子が腕を組み、見下ろすような格好で立っていた。手にしたパンに気付くと露骨に表情を歪めた。

「焦げてるじゃない」

「香ばしくて美味しいですよ」

「失敗作を押し付けられたくせに。お金を返して貰いなさいよ」

 女の子は詰め寄った。勢いで長い黒髪が片方の頬に掛かる。苛立った手が後ろに払い除けた。

 少女は恥ずかしそうに齧った部分を見せた。

「食べてしまいました」

「その紙袋の中にもパンはあるよね。見せなさいよ」

「これは大丈夫です」

 少女は笑いながら開いている部分を閉じた。

「本当は焦げているんだよね?」

「どうなのでしょう。よく見ていないのでわかりません」

 少女は儚い笑みで小首を傾げる。女の子は目を合わせて睨み付けた。

 にらめっこのような状態が続いた。先に折れたのは女の子だった。

「もう、いいわ」

「ありがとうございます」

「なんでわたしが、あんたの代わりに怒らないといけないのよ。無駄なエネルギーを使ったわ」

 女の子はスカートのポケットから平たい缶を取り出した。鉄製のストローを起こし、口を付けて吸い上げる。

 目にした少女は物言いたげに口を開き、パンに齧り付く。大きな一口のせいで喉に詰まったのか。軽く胸の辺りを叩いた。

「これ、飲む?」

「……大丈夫です。あの、白い歯が黒くなっています」

「液体燃料だからね。それを気にするわたしじゃないし」

「あと、見られています……」

 公園の外に二人の女性の姿があった。立ち話に興じているように見えて、頻繁に鋭い視線をこちらに寄越す。

「わたしは気にしないけど、あんたが困るよね」

「そんなことはないですが……」

「わかったわ。もう、行くね」

 女の子はストローを咥えた状態で帰っていく。

「……咲千香さちか、気に掛けてくれてありがとう」

 小さくなる背中に親しみを込めた声で言った。


 刺々しい視線を受けながら少女は二個のパンを食べた。一個は紙袋に残し、立ち上がる。揺れるブランコを一瞥いちべつして踵を返す。二人の女性とは真逆の方向に歩き出した。

 少女は人目の付かないところを選んで歩いた。両側から迫る壁で辺りは薄暗い。それでいて道には塵一つ落ちていなかった。自虐的な笑みが浮かび、わたしが、と思わず声に出た。最後まで言うことはなく、唇を引き結んだ。

 青い空が緋色に変わる頃、巨大な半円のゲートが見えてきた。少女は手前で立ち止まる。路上の中央にぺたんと座って痛めた素足を交互に摩った。

 表情が和らいだ。両脚を伸ばし、両手を支えにゲートと向き合う。稲光のような縦の合わせ目には僅かな隙間もなかった。ゲートの周囲の街並みは空の変化に合わせて穏やかな夜へと移行する。

 少女はゆっくりと立ち上がる。閉じられたゲートに向かうと自動で開いた。中に入ると速やかに閉じられ、二重構造の光の輪を潜った。順にゲートが開き、三つ目で街の外に出た。

 黒雲が空を覆う。月や星は見えない。舗装された道はなく、廃材に等しい物が鋭利な刃のように突き出している。

 少女は足元に注意しながら歩いた。

「あれは」

 土に埋もれていたコードの一部を見つけた。足早に近付いてしゃがむと手で周囲を掘り始める。長さを期待したものの十センチ程度でころんと転がった。

「こんなことも、あるよね」

 コードの被覆ひまくは近くにあった金属片を利用して裂いた。中の銅線を丁寧に取り出すとポケットに入れていた麻の袋に収めた。同じような行動を繰り返して我が家に戻ってきた。

 二つの瓦礫の間にベニヤ板を載せて屋根に仕立てた。青いビニールシートは扉の役割を果たす。中腰になった少女は片手で開けて中へと入る。寄せ集めた布団の綿がふんわりと足を包み込む。

「あったかい」

 安らいだ表情で仰向けになった。顔の横にはパンを収めた紙袋を置いた。間もなく疲れた身体に夜が沁み込む。

「……草原の、匂いが……する……」

 両目を閉じた少女の口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。

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